旅行確定
『レベラント歴四千六百五十二年。
世界は白の天使により光を与えられ、光を受け取る富裕者と受け取れぬ者で二分化していた。戦争に至らぬものの、小競り合いが横行し、世界は狂乱の渦に、』
ぱたり。
「……外は大変そうだなー」
小さく吐き捨てるように呟き、読んでいた外の情報の一つだった雑誌を閉じた。先程まで読んでいたにも関わらずすっかり興味を失ってしまった彼女は徐に顔を上げる。
魔道具に魔法陣の描かれた紙が散乱、壁にや天井に貼り付けられた物の敷き詰められたごちゃりとした部屋。吸い込んだ空気は紙の匂いがする。デスクに積み上げられた本の上に雑誌を置いて彼女は椅子から降りた。
首を捻っては鳴らし腕を天井へ伸ばす。吐き出した息は、少しばかり軽かった。
「外出するか!」
なんだか、そんな気分だ!
椅子から飛び降り、少女は床に散るメモたちの合間を縫って扉まで近寄る。重たい音を立てて開かれたそれに反応した、お世辞にも広いとは言えない談話室のソファに腰掛けていた彼女の側仕えがぱっと彼女へと振り向く。その手には紅茶の茶葉。ローテブルに幾つも並んでいるところからして多分、自分で好ましい紅茶のフレーバーを自作していたのだろう。
先程まで彼女の過ごしていた研究室とは違い、綺麗に整頓された談話室は足の踏み場も当然に豊かだ。
ふかふかの絨毯の上をブーツが踏み行く。側仕えの彼の近くにまで寄った彼女は胸をそらした。
「今から、外出するよ」
「……構いませんが……。お珍しいですね」
普段一歩として自分の『領域』から出ようとしない主人の急な外出予告に目を見開いた彼だが、視線は彼女に向けられたまま指はくるりと回り茶葉を片していく。宙に浮く茶葉が、美味しそうな葉の匂いを広げた。次に飲む紅茶もきっと美味しいだろう。
「うん。ちょっとナファタのニットンまで行こうと思う」
「……」
「遠出するから、そのつもりで」
冷冷と告げられたそれにとうとう口もぽっかり開いた彼に彼女は瞼を伏せ、すぐに体を反転させた。出かける準備をしなくてはならない。
この場所にいつでも戻れるように、玄関の座標を自分に刻んでおけば大きな荷物にはならない。必要最低限の身なりを整え、……外の季節は一体いつだっけ。もうかれこれ長い間を外出していないせいで季節の感覚も曖昧でいけない。
「お嬢様」
「なに?」
さっき読んでいた雑誌は一週間前、外に買い物に行った彼からのおまけだ。あれにきっと日にちも書いてある、はず。雑誌とはそういうものだった気がする。
研究室の扉のノブに手をかけながら彼女は振り返った。多少、不機嫌に。
「ナファタ大陸はこの大陸から見て、あの……。星の裏の、大陸ですが……」
言いにくそうな彼に頷き抱きを一つする。
「そうだよ。ニットンに用事があるんだ。その道中に知り合いにも会いに行きたいから、そのつもりで。……ヴァイス」
「はい」
「外は一体、いつの季節なのかな」
「今は、冬です。お嬢様」
雑誌を見るよりも先に得た答えに彼女は一度、視線をずらして曖昧に「そう。ありがとう」と返して研究室に戻った。
指を鳴らせば彼女の腕にはコート、手にはブーツ。靴を履き替え、踵を鳴らすと先程まで履いていた室内用の靴が棚に飛んでいき勝手に収納される。
冬。
気付けば何度目かの冬になってしまった。
息を漏らしても、白い息なんて出てこない。室内はいつだって適温で保たれている。上げた視線、視界はいつもどおりの整頓とは程遠い研究室が映った。漏らした音は、笑みの音を含んでいた。
少しばかりの、自嘲を。