5話
大田原と別れてからしばらくして、古都美はいくつもの路地を抜けてきた。道順は、人の目に触れてしまう危険のある電子データにはしていない。古都美の脳内にすべて入っているのだ。
最後の十字路を左に曲がると、廊下の雰囲気がずいぶんと変わった。壁にかけられているランプの光は小さくなり、肌で感じる空気がひんやりとしてきた。
ふと、後ろを振り返ると元来た道は暗闇で閉ざされていた。これは魔法による影響だ。帰るときはまた別の道順で出口を目指すのだ。
「久しぶりだなピエロ」
エレベーターの前に辿り着くと、ピエロの仮面で顔を隠した1人の男が立っていた。
「東洋の魔女、お久しぶりです」
おそらく現状を把握できていない彼に、原石が狙われていることを伝えに来た。
ピエロというのはその仮面から取られたもので、彼の本当の名前は誰も知らない。
ピエロはUBNの本部が建設され、メレジウムの原石が保管されたその日からエレベーターの前に立ち、門番として働いている。リーンを所持しているのだが魔獣を倒すことが無いため、守護者ではない。
「現状の報告は来ているか?」
「ここがテロリストに襲撃されたとの通信が来たのですが、それ以降は何も報告がきておりません」
「やはりね。さっき外部と連絡を取ろうとしたらダメだった。どうやら通信を妨害さているらしいんだ」
「なるほど。手が込んでいますな」
「――と私も思っていたんだが、そうでもないらしい」
「と言うと?」
「テロリストたちは魔法に対してあまりにも弱い。そんな奴らが原石を盗んでどうする?原石はオマケ程度で真の狙いは別にある。おそらく……、奴らの裏にはデカい組織がいる」
「なるほど。あなたの知り合いの組織ですかね?」
「それは……まだ分からない」
「ワタクシは、あのお方がこんなことをしないと信じております」
「……ピエロ、ありがとう」
仮面から覗く碧の優しい瞳が、しっかりと古都美のことを捉えていた。
「それじゃあ、そろそろいくわ。何かあったら連絡しろよ」
「ええ。それでは」
そう言ってピエロは一瞬のうちに、古都美の視界から消えた。
彼が編み出した魔法、透明化の力だ。
ピエロは神星武器を持っているわけではないので、透明化に魔力を集中させている。よって、透明化を使っているときは他の魔法を使うことができない。
彼には、透明化以外にも独自に編み出した魔法がいくつもある。仮に、彼が神星武器を持っていて透明化も使えるとなれば、古都美なんて比にならない最強の守護者になったはずだ。
古都美が大田原のところへ戻ると、3人の男がまとまって紐で縛り上げられていた。
「大丈夫だったか?」
「問題ありません。学園長もご無事のようで」
大田原は手の埃を叩いて落とすと眼鏡の鼻当てを押し上げた。
「…………」
「……どうかなさいましたか?」
「いいや、何でもない。それよりもテロリストをぶっ潰そう」
「ここを離れても良いのですか?」
「門番が生きてることを確認したから問題ない。まぁ、あいつならどんなやつが来ようとも返り討ちさ」
大田原は、自慢げに話している古都美の後ろに続く。
「そんで、さっきのテロリストは魔法を使ってたのか?」
「いいえ。2人とも装備はアサルトライフルとハンドガン。対魔法弾が装填されていましが、先に彼らの存在に気づいたので奇襲をして無力化しました」
「ふーん」
古都美は気の抜けた返事をする。顎に手を当て何かを考えているようだ。
「何を考えていらっしゃるのです?」
「テロリストの狙いだよ。最初は原石を狙っているかと思った。だけどアイツらに守護者を殺す力は無い。そうなると原石の奪取ははぼ不可能。UBNを襲うんだ、そんなことガキにだって分かる。爆発の後に電波障害が発生したのだっておかしい。どうして――ああああっ!くそっ、何が目的なんだ!」
頭をぐしゃぐしゃと掻き回す。かなりイライラしているようだ。
「……しゃーない。まずは1つ片づけるか」
何かアイデアを思い付いたのか、古都美は突然足を止めた。そしてリーンを取り出して後ろを振り返る。ナイフの形をしたリーンは、大田原に刃を向けると黒い光の粒子に包まれた。
「私はとっくに分かってるんだぞ」
黒い光が弾けると、リーンは自身の身長を超すスナイパーライフルへと変貌を遂げた。古都美はそれを軽々しく片手で構え、銃口を大田原に向けている。
大田原は突然の出来事に驚き、数歩後退りをする。
「がっ、学園長?一体どうなされたんですか?」
「見ての通り、対魔獣用スナイパーライフルだ。芝居はやめろよ。お前が大田原じゃないことなんて、とっくに見抜いてんだ」
「何を言って――」
「不本意ながら、私は【東洋の魔女】なんて言われてるんだ。だったら分かるはずだ。私の持つ星神武器のリーン、【フェンリル】がどれほどの魔力を保持し、何体もの魔獣を殺してきたのかを」
「…………」
じりじりと、大田原は古都美から距離を置く。
「今なら命までは奪わない。本物の大田原はどこにいる?」
「………………」
「答えないのか。……だったら死ね」
その言葉と同時に、古都美は静かに引き金を引いた。
銃口からは高出力の魔力がレーザーとなって放出される。
狼が唸るように音を立て大田原を目指して黒の一線が迫る。
彼女の額に直撃するその刹那――、ギイイイイィィィンン!!!と金属が擦れ合うような甲高い音が鳴り響き、蒼い半透明な壁が現れレーザーを四方八方に散らせた。
レーザーを阻んだのは、高魔力による魔法防壁だ。
「――ッ!!!」
古都美はレーザーを弾かれたことに絶句する。
全力で無いとは言え、フェンリルから放たれるレーザー砲を防ぐことは世界中の守護者でも一握りだけだ。つまり、相手は古都美と同等の力を持つ守護者ということになる。
すべてを放出したフェンリルは、再び黒い光の粒子に包まれてナイフの姿に戻った。
廊下の壁と床と天井は、レーザーによる高熱でマグマのようにドロドロとなり赤く燃えている。煙がスクリンプラーを作動させ、2人にシャワーが降りかかる。
古都美は目を凝らすが、煙が顔を隠して人の影しか確認することができない。
「どうして偽物だと分かったんだ?」
大田原とは明らかに異なる男の声。なぜか記憶を強く刺激される。しかし、そんなことは深く考えず、影の動きに警戒しつつその質問に答える。
「……眼鏡だ。大田原は眼鏡がズレた時、いつも横のフレームを持って直すんだ。けど、お前は鼻当てを押し上げて眼鏡のズレを直した」
「なるほど。それだけで偽物だと判断したのか?」
「怪しんだってぐらいだ。まさか大田原がテロリストに負けるはずはないからな」
「信頼しているんだね」
「勿論だ。何年一緒に過ごしたと思ってる」
「それじゃあ、俺のことも信頼してくれてるのかな?」
「……なんだと?」
表情には出さずとも、動揺は激しくなる。そんなはずは無いと心の中で強く言い聞かせるが、どうしても懐かしい顔が思い浮かぶ。
「彩ちゃんと、コトミと、俺と、千代女先生。4人でいた時間をコトミは忘れてないよね?」
「まさか、本当に――」
「俺は、あの時間を忘れることなんて無かったよ」
人影は古都美に向かってゆっくりと歩き始めた。煙はだんだんと薄くなり、男の姿が鮮明になっていく。
古都美が最後に会った5年前の容姿と比べると、右目の眼帯と右手の白い手袋以外を除き、スラリとした手足、黒と青を基調にした衣装、白髪、黒い瞳。全く変わりは無いと思えた。
「久しぶりだね、コトミ」
「…………ミズキ」
古都美はナイフ状態の【フェンリル】を構える。この状態の【フェンリル】でも神星武器と言われるだけあって、人はもちろん、低レベルの魔獣なら簡単に殺すことができる。
「そんな武器じゃあ、今の俺を殺すことはできないよ」
「何だと?」
「これ、見てよ」
そう言って水霧は右手の手袋を外した。予想は出来ていたが、その手は機械で出来た義手だった。
「……千代女先生の刀で、コトミが俺の右手を切り落とした」
「ついでに、お前の右目は【フェンリル】で打ち抜いた」
「ははっ、相変わらずの皮肉っぷりだね」
水霧が右手を広げると蒼い光の粒子が現れ、一本の槍になった。おそらく、リーンによる武器の召喚だろう。リーンには武器を登録させておくことで、魔力を使って物理的に武器を出現させる仕様があるのだ。
「この右手は、とあるリーンを改良して作ったものなんだ。とある会社の特注品でね、かなりの金額だよ」
「まさか神星武器を改良したとか言わないよな」
「ははっ、さすがはコトミ冴えてるよ。これは神星武器【セルバンテス】を改良したものだよ。元々は使用者の血を吸うことで魔力を高める武器だったが、改良して俺の腕と直接繋がったことで、より多くの血を吸って強大な力を得ることができるようになったんだ」
「【セルバンテス】……?未確認の神星武器か!」
神星武器には名称は明らかになっているものでも、実物を発見できていない場合がある。【セルバンテス】はその中の一つだった。
「コトミたちと別れてから偶然発見した遺物だよ。素晴らしいだろう?」
「はっ、偶然ねぇ……」
「――とまぁ、茶番は終わりにしよう。コトミ、君とはここでさようならだ」
蒼い光を放つ槍を掴むと、古都美に向かい大きく振りかぶって投げた。
古都美にはこの槍が先程の水霧のような魔法防壁を展開しても防げるとは思わなかった。魔法防壁は魔法による攻撃には特に効果を発揮するが、物理的な攻撃にはめっぽう弱いためだ。
ここはギリギリで避けるしかない。至近距離まで引き付けて……
――ここだっ!
目前に迫る槍を半身で受け流すように避ける。たなびく黒髪に槍が突き抜け、毛髪が数本舞い散る。コンマ1秒経ち、グウウウウゥゥ!!!という風が通り抜ける轟音が耳に響き渡り、髪と服が大きく揺れる。
「よく避けたね。受け止めてたら死んでたよ」
水霧の手元には投げたはずの槍があった。おそらく魔法で分解されて、再形成されたのだろう。
「これぐらいで死んでしまったら【東洋の魔女】なんて呼ばれないさ」
古都美の言葉に水霧は笑みを浮かべる。何をするのかと思ったら、後ろを振り返り何もせずに歩き始めた。
「ちょっと待て!どこ行く気だ!」
「今日のところは帰るんだ。そうだ、彩ちゃんは地上に連れ出しておいたから安心
して」
「何もしてないだろうな!」
「大丈夫、気を失わせただけ。また会おうね」
「待て!」
古都美が水霧の後を追おうと走り出したが、目の前に巨大な壁が出現したことで立ち止まるしかなかった。おそらくこれも、魔法防壁の一種だ。破壊するのは不可能に近い。
ようやく壁が消えた時には、すでに水霧の姿はどこにも無かった。