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2-1

 詠斗が殺された創花生が誰であるかを知ったのは、翌日登校してすぐのことだった。

 学校中が騒然とした雰囲気に包まれていて、あちこちで生徒達が肩を寄せ合っては言葉を交わしているようだ。


「今度は三年の×××先輩だって」


 たたっと机と机の間を縫って詠斗の席へと近付いてきた紗友が新たな被害者の名前を教えてくれようとしたのだが、どうやら上級生の名前らしく、何と言ったのかわからなかった。


「な・か・た!」


 眉間にしわを寄せてみせると、紗友は一文字一文字区切りながらその名を口にし、指で机にひらがなを書いてくれもした。


「なかた?」

「そう、三年の仲田なかたつばさ先輩」


 今度は漢字でその名前を机に書く。なるほど、仲田翼か。


「……誰?」

「いやいやいや、さすがに知ってるでしょ? あの不良集団のボスだって」


 あぁ、と詠斗はなんとなくその顔を思い浮かべた。あの人、仲田って名前だったのか。


「胸を刺されたんだって……怖いよね」


 そこまで詳しく知っているのも十分怖いと思うのだが。というか、そんな情報を一体どこから仕入れているのか。


「美由紀先輩と仲田先輩、全然繋がりなさそうなのになぁ……確か二年の時のクラスも違ったはず」

「まだ同一犯と決まったわけじゃないだろ? たまたま創花生が続けて被害に遭っただけかもしれないし」

「あり得る? そんなこと」

「これが三人、四人と続いているのなら関連を疑う他にないだろうけど、今の段階では偶然で押しきれないわけじゃない」

「でも……」


 紗友は食い下がろうとしたが、チャイムが鳴ったのだろう、ちょうど担任教諭が姿を現したのでそれ以上何も言ってこなかった。


   *


 授業中、詠斗はすきを見計らいながら紗友の話を振り返っていた。

 二人目の被害者は、胸を刺されて殺された。

 一人目の羽場美由紀とは手口が違う。刺殺なら、美由紀の時のように事故に見せかけることは難しいはずだ。二つの事件が同一犯の犯行だとすると、ここまで殺害方法に違いが出てくるものだろうか。

 見方を変えれば、同一犯による殺害の可能性を警察に否定させるためにわざと別々の手口を使ったとも考えられる。そうだとすると、犯人は綿密な計画を立てて事に及んでいるということか。

 もちろん、美由紀殺害とはまったく別の意思が働いていて、たまたま同じ創花生が立て続けに殺されただけかもしれない。いずれにせよ、今の段階では判断材料に乏しすぎる。


 そんなことを考えているうちに、昼休みの時間がやってきた。アラームがセットされていることを確認しようと携帯をズボンのポケットから取り出すと、傑からのメッセージが届いていた。


【羽場美由紀と仲田翼の交遊関係を探ってくれ。二人の間に共通する人物がいればピックアップしてくれるとありがたい】


「おいおい……」


 要するに、詠斗を使って美由紀から直接情報を引き出そうという腹づもりなのだ。まったく、いざ自分が事件の担当になったら途端にこれだ。使えるものはとことん利用する。刑事部というのは総じて忙しい部署だ、そうまでしても事件解決を急ぎたいということか。

 しかし、やはり警察も美由紀と仲田翼の事件に繋がりを探ろうとしているようだ。もしも犯人が二つの殺人を別の動機による無関係なものであると警察に思わせることを意図したのなら、ここでもまた警察に読まれてしまったことになる。二度も続けて? そんなことがあるだろうか。


 屋上に出ると、今日は風がひんやりと冷たかった。濃紺のブレザーは比較的地厚い作りだが、風を通さないわけではない。春が来たとはいえ、まだ暖かさの安定しない四月の空で薄い白雲が足早に流れていた。


『お待ちしていましたよ』


 びくっ、と思わず肩を震わせてしまった。見えないところから急に声をかけられるのって、こんなにも恐いことだったっけ――。

 そんなことすら忘れてしまった自分に落胆しつつ、詠斗は努めて笑顔で宙を仰いだ。


「こんにちは」

『こんにちは、エイトさん』


 突如として降ってきた言葉に、いつも通りベンチに向かっていた詠斗の足がぴたりと止まった。


「……そう言えば俺、名乗りましたっけ」

『いいえ。けれど、紗友ちゃんが昨日そう呼んでいましたから』


 紗友ちゃん、と美由紀はさも当然のように言う。紗友と美由紀は本当に知り合いのようだ。


「すみません、吉澤詠斗っていいます。詠はごんべんに永遠の永、斗は北斗七星の斗」

『詠斗さん。綺麗な名前』

「そうですか? 言われたことないです。響きだけで言えば数字の八だし」

『グローバルな発想ですね』


 それほどでもないだろう。このご時世、eight程度なら幼稚園児でも知っている。

 止めていた足を再び動かし、詠斗はベンチに腰かけて弁当箱を広げ始めた。天の声は何も言ってこないので、詠斗も黙って箸を進める。


『また一人、亡くなったそうですね』


 しばらく沈黙の時が続いていたが、先に口を開いたのは美由紀だった。


『仲田翼さん……お話したことは一度もありませんでしたけれど』

「そうなんですか?」


 思いがけず美由紀のほうから情報をもたらしてくれた。いいタイミングだ、このまま傑から課されたミッションに取り組もうと詠斗は箸を握る手を止めた。


『えぇ。お顔は時たま拝見しますけれど、何せ仲田さんはあまり学校に来ていませんでしたからね』

「本当ですか? それ」

『えぇ、今の三年生ならみんな知っていることかと。黒い噂の絶えない方ですから』

「黒い噂?」


 何やら不穏な空気が流れ始める。胸を刺されて殺されるだけの理由が仲田翼にはあったということだろうか。


『中学の頃から悪いことばかりしてきていたようですね。聞くところによると、街で誰かを恐喝しているところを見た人がいるとか、いないとか』

「恐喝……」


 人を脅して金を巻き上げていたわけか。なんともタチの悪い。しかしこれが本当なら、殺される理由になりそうではある。


「脅されていたほうが誰なのかは?」

『さぁ、そこまでは』


 ですよね、と詠斗は肩をすくめた。どうもこの人の言うことはとりとめのないものばかりなような気がしてならない。


「そういえば、先輩を襲った犯人は男じゃないかもしれないです」

『えっ、そうなんですか?』

「兄がそう言っていました。小柄な先輩より背が高いってだけじゃ男性だと判断できないって。何か男性だと結論付けられるような情報があれば話は変わってくる、とも」

『なるほど、そう言われれば』


 そうですねぇ、と美由紀は少し考えるように間を置いた。


『何しろ一瞬の出来事でしたから……確かに、男性だと決めつけるのは早計だったかもしれませんね』

「けど、松村さんじゃなかったことは間違いない?」

『はい、それははっきりとお答えできます。私を殴ったのは知子ではありませんでした』

「その根拠は?」

『ないです』

「え」

『はっきりとした根拠はないですけれど、仮に知子だったのならば気づいていたのではないかと。さすがに私もそこまで阿呆あほうではありませんから』


 根拠もなしに胸を張られても、と詠斗はやはり頭を抱える。これ以上この人から有力な情報を引き出すことなどできないのではないだろうか。


「……わかりました。では、覚えていることなら何でもいいので教えてもらえますか?」

『そうおっしゃられましても』

「少しは思い出す努力をしてください。真犯人、見つけたいんでしょう?」

『うぅ、痛いところを突いてきますね』


 どこが痛いのかさっぱりわからない。――と思ったのだが。

 その時、詠斗ははたと気が付いた。


「……ひょっとして、怖いんですか?」


 そう問うも、答えは返ってこなかった。おそらく、真理なのだろう。

 詠斗は自分を責めた。どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったのだ。殺された瞬間のことを思い出せなど、無神経にもほどがある。美由紀がどれほどの恐怖を抱いて命を奪われたのか、そのことに思い至れなかったのは完全に自分の落ち度だ。


「すみません、俺……ひどいこと、言ってますよね」


 すぐさま謝罪の言葉を口にするも、やはり返事はないままだ。怒らせてしまったのか、あるいは、泣かせてしまったか――。


『……腕時計』

「えっ?」


 唐突に降ってきた美由紀の声は、思いがけない単語を連れてきた。


「腕時計?」

『はい。私を襲った犯人は、右手に腕時計をしていました』

「ということは、犯人は左利き?」

『右利きでも右手に時計をする方もいらっしゃるので確かなことは言えないですが、可能性としては高いですよね。何か大きな岩みたいなものを両手で持ち上げていたので、やはり男性だったようにも思えます』


 真面目な口調で美由紀はそうひと息に述べた。詠斗は小さく息を吐き出しながら、握っていた箸を弁当箱の上に置いた。


「……大丈夫ですか?」


 情報提供はありがたいのだが、美由紀の心を思うと胸が痛む。死者にだって、傷付く権利はきっとある。

 けれど、詠斗の心配に反して、美由紀からは『大丈夫ですよ』と本当に大丈夫そうな声が返ってきた。


『あの瞬間のことを積極的に思い出したい、とは口が裂けても言えません。怖いと思う気持ちが芽生えていることも事実です。けれど、あなたが私のために一生懸命になってくれていることは十分伝わります。ならば、私だって下を向いているわけにはいきません』


 斜め上を仰ぎ見る詠斗の髪を、やや冷たい春風がふわりと揺らす。

 たぶん。

 たぶん、美由紀は今、晴れやかに笑っているだろう。

 その微笑みには、計り知れない強さが秘められている。


「……強いですね、先輩は」


 思ったままを口にすると、『そうですか?』と少しとぼけた声が耳に届く。


『ひとりだったら、きっと思い出すことはできなかったでしょうね。ただ、それだけです』


 その言葉の意味をすくい上げる前に、誰かが背後から近付いてくる気配を察した。それも、おそらく二人――。


「よぉ」


 肩を叩かれる前に振り返る。

 屋上に姿を現したのは、紗友と巧だった。

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