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Voice -君の声だけが聴こえる-  作者: 貴堂水樹


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1-7

 帰りの電車に揺られながら、携帯のメッセージアプリを使って会って話がしたい旨の連絡を入れた。すると、


【五秒で仕事を終わらせて帰る。うちでメシを食っていけ。母さんと穂乃果ほのかにはこちらから連絡しておく】


 という返事が三十秒と経たずに返って来た。詠斗はぐっと眉根を寄せる。

 暇なのか?……いや、刑事部所属の現役刑事が暇であるはずがない。しかし、仮に暇でなかったとしても弟のためなら無理にでも暇を作るような男だ。おそらく、今回も。

 だいたい、五秒で終わる仕事って何だ? 単純に仕事を放り出して帰ってくるだけなのでは――?


 一気に重たくなった頭に、指の腹でこめかみをぐりぐりと押さえつける。これだからあの男には極力会いたくないのだ。


 詠斗は実家で両親と三人暮らし。今から向かうのは実家からほど近い六階建てマンションの四階。新婚夫婦の愛の巣だ。

 一応自分からも母親に連絡を入れ、直接目的地のマンションへと向かうことにした。できることなら、あの男より先にそこへ到着しておきたい。


 最寄り駅に到着し、歩くこと約十分。マンションのエントランスホールをくぐり、オートロック式の自動ドアの前で『405』とその部屋の番号のボタンをプッシュする。『呼出』ボタンを押すとインターホンの音が鳴るのだが、本当に鳴っているのかどうか詠斗にはわからない。

 すぐに応答してもらえ、自動ドアがひとりでに開く。さっと通り抜け、エレベーターを使って四階へ。降りて少し右手のほうへ歩いていくと、目的の部屋の前で女性がひとり立っていて、にこやかに出迎えてくれた。


「いらっしゃい、久しぶりね」


 吉澤穂乃果。詠斗にとって、義理の姉にあたる人物である。

 入って、と促されるまま、詠斗は穂乃果に続いて部屋の中へと上がり込んだ。このマンションに越して来てもう一年になるはずだが、廊下もリビングルームも相変わらず少しの汚れも目立たないなと詠斗は感心してしまった。

 ちなみに詠斗がここへ来るのはかれこれ半年ぶりになる。半年前、本当ならば両親だけが呼ばれればよかったところを、何故か詠斗も半ば強制的にその場に立ち会わされたのだ。


「だいぶ立派になったね、おなか」


 そう。

 半年前、穂乃果の妊娠を祝う会に呼ばれたのが、詠斗がこの家に足を踏み入れた最後の日。

 あの時は見た目にはまったくわからなかったが、今の穂乃果はすっかり妊婦らしい姿になっていて、それだけで微笑ましい気持ちになれた。


「でしょー? もう八ヶ月だもん。今でも重たいのに、ここからさらに大きくなると思ったらちょっと恐ろしいくらい」


 ははっ、と笑いながら優しくおなかをさする穂乃果。詠斗もつられて笑顔になる。


「なでてやってよ、詠斗も」


 ほら、と手招きされるまま、詠斗は穂乃果のすぐ前に立つ。どこから聞いてきたのか、穂乃果が言うには、たくさんの人の手でおなかに触れられることによって胎児はどんどん元気になるらしい。何かのおまじないなのだろうが、気持ちが不安定になりがちな妊婦にとっては、前向きな迷信なら信じるほうがいいのかもしれない。

 ちなみにもう性別はわかっていて、どうやら男の子で間違いないようだ。ふたを開けてみたら実は女の子でした、なんて話もまれにあるようで、念のため男の子用と女の子用とで名前を二つ考えているらしいと母から聞かされていた。


「……元気に生まれてくるんだぞ」


 そう言って、詠斗はそっと穂乃果のおなかをなでてやる。すると、何を思ってそう言ったのか穂乃果に悟られたようで、「こら」とすかさずデコピンが飛んできた。


って……!」

「うちの子の前で暗い顔しない!」


 両手を腰に当てて説教じみたセリフを浴びせるも、すぐに穂乃果はその表情を崩して笑った。


「座って。あの人ももうすぐ帰ってくると思うから」


 おなかの大きさを感じさせない軽やかな足取りで、穂乃果はカウンターキッチンへと向かう。言われるがまま、詠斗は四人掛けのダイニングテーブルに腰かけた。夕飯にしてはまだ少し時間が早い気がするので、先に美由紀の話をするほうがいいのだろうか、などとぼんやり考えていると、唐突にリビングの扉が開かれる様子が目に飛び込んできた。


「おぉ、もう来てたのか」


 現れたその人の目がいつになく輝いていて、詠斗は条件反射で眉間にしわを刻んだ。


「久しぶりじゃないか、詠斗」


 爽やかな笑顔で微笑みかけてくるのは、吉澤(すぐる)。ちょうど一周り歳の離れた詠斗の兄である。

 何やら穂乃果と言葉を交わしながら、傑はスーツの上着を脱いだ。所定の場所へきちんとしわを伸ばすように掛けると、まっすぐダイニングテーブルへとやってきて詠斗の真正面に座った。


「どうだ? 調子は」


 始まった――詠斗は軽く息を吐き出した。


「いいよ、問題ない」

「飯はちゃんと食ってるのか?」

「うん」

「学校の授業はどうだ? ついていけてるか?」

「うん」

「新しいクラスは? 嫌なヤツはいないか?」

「うん」

「担任の先生は、きちんとお前のことを理解してくれそうか?」

「うん」

「紗友とはうまくいってるのか?」

「うん。……ん? え?」


 つい流れで頷いてしまったが、最後の質問はどういうことか。


「紗友? 紗友が何だって?」

「うまくいってるのかと聞いたんだ」

「……意味がわからない」


 正直な気持ちを答えると、傑は何故か満足気な表情で笑った。


「変わらないようで何よりだ」


 どこらへんが「何より」なのかイマイチ理解に苦しむが、下手へたに刺激するといつまで経っても本題に入らせてもらえないだろうと判断し、仕方なく口をつぐむことにした。何か変な勘違いをされているような気がしてならないのだが、こういうことは気にしたら負けだ。無視を決め込む。


 とにかくこの吉澤傑という男、昔から詠斗のことが気になって気になって仕方がない兄なのだ。何なら母親に勝る勢いで詠斗に対して世話を焼きたがり、社会人になってからは母親を差し置いて自ら授業参観に出席しようとしたこともあった。全力で拒否したらすっかり拗ねてしまい、さすがに申し訳なくなって結局詠斗が折れる羽目になり、当の傑は満面の笑みで授業参観に足を運んだ、という具合だ。いつの時代も、弟が兄を超えようとすればそれ相応の苦労がついて回るものである。


 ただ、彼がそこまで詠斗に執着するのには理由があった。詠斗が生まれたのは、傑が「どうしても兄弟がほしい」と両親に頼み込んだおかげなのだという。そうして授かった念願の弟が生まれてみれば耳に病を抱えていて、傑なりに何か思うところがあったのだろう、とにかく詠斗の世話をすることに毎日全力を注いでいたのだそうだ。詠斗が生まれたときの傑は小学六年生。友達と遊ぶよりも詠斗との時間を大切にするような兄だった。


 幼い頃はそんな兄が大好きだったのだけれど、小学校も高学年になってくるとさすがにうっとうしさが芽生え始め、兄の猛攻をかわすことばかりが上達してしまっていた。ちょうどその頃から聴力がガクッと落ち始めたことも少なからず影響したのだろう、というのが詠斗による自己分析結果だ。


 それでも、兄を嫌いになることはなくて。

 好きなのだけれど、自立を阻害されるのは困るなあ、なんて思ってしまう詠斗なのである。


「それで?」


 傑は椅子の背に体重を預けながら詠斗に尋ねる。


「あぁ……うん」


 ようやく本題に入らせてもらえるようで安心したのだが、いざ話そうとするとどこから話せばいいのかわからない。そもそもの話、兄が自分の話を無条件で信じてくれる保証などないのだ。ちょうど美由紀と話していた時に出くわした紗友ならともかく、今この場で傑を説き伏せられるかどうか――。


「なんだ、聴こえるはずのない幽霊の声でも聴こえたか?」


 詠斗が言いよどんでいると、傑が唐突にそう口にした。

 ぽかん、と詠斗は口をあけ、思わず兄の目を凝視する。


「ほう、図星か」


 これは面白い、と声に出して楽しそうに笑う傑。すると、麦茶の入った三人分のグラスをお盆に乗せてダイニングテーブルへとやってきた穂乃果がぴたりとその足を止めた。


「うそでしょ?……本当なの? 詠斗」


 信じられない、といった顔をして詠斗を見つめ、ややあってからグラスを順に並べると、驚きを隠しきれないまま傑の隣に腰を落ち着けた。


「……うん」


 詠斗は素直に頷いた。


「亡くなった高校の先輩の声を聴いたんだ。それ以外の音は今までどおり何も聴こえない」


 正直に話すと、傑と穂乃果が目を大きくして顔を突き合わせた。

 見破られたことにも驚いたが、説得する手間をかけさせないところは「さすが」の一言に尽きる。昔から、兄の勘の良さには何度も助けられてきた。……助けを通り越して迷惑だったことも少なくないのだけれど。

 ふむ、と小さくつぶやきながら傑はスッと立ち上がり、上着とともに所定の場所へかけられていた鞄の中から何やら取り出して戻ってきた。


「欲しいのはこいつだろう?」


 手渡されるまま受け取ると、傑は再び腰を落ち着けた。それは一冊のファイルだった。


「先日起きた創花高校の女子生徒が殺された事件の捜査資料だ」

「えっ?!」


 まさしく望んでいたものを何の疑いもなく差し出してきた傑に、詠斗は驚愕の目を向けた。


「どうして……?」

「簡単なことだよ。悲しいことではあるが、お前から僕に連絡を入れてくるなんていうのは余程のことがない限りあり得ない。最近お前の周りで起きた『余程のこと』といえば、お前が通う高校の生徒が殺された事件くらいなものだろう? 僕が刑事であることを勘案すれば、何かその事件絡みのトラブルに巻き込まれて困っているから助けてほしい、という道筋が自然と浮かび上がってくるわけだ。まさか殺人の被害者の声が聴こえたなんて言い出すとは思わなかったけどな」


 楽しそうに笑う兄を前に、詠斗は小さく息を吐き出した。ぐうの音も出ない。いつだって、兄は自分の一歩先を胸を張って歩いていく。


「ちょっと、なに勝手に捜査資料持ち出してるのよ?!」


 そう声を上げたのは穂乃果だった。穂乃果と傑とは高校時代からの付き合いで、実は穂乃果も元警察官である。刑事になるのが夢だったらしいのだが、傑にその夢を託す形で自分はあっさり寿退職してしまった。現役時代、所轄の交通課で「ミニパトの魔女」と渾名あだなされていたと傑がこっそり教えてくれたのだが、あまりにもぴったりで言い出した人に拍手を贈りたいと思った。


「所轄の刑事課に知り合いがいてな。『創花に通っている弟が何やら困っているらしいから助けたい』と言ったらあっさり提供してくれたよ」

「ウソね、どうせ脅し取ってきたんでしょ」

「人聞きが悪いことを言うな。ちょっと横っ腹をつついてやっただけでやましいことは何も」

「はいはい、盗んだ事実は変わらないからもう結構です」

「む、盗んでなどいないぞ? ちょっと拝借しただけだ」

「もう、バレたらどうするつもりなのよ?!」

「どうもしないさ。バレないのだからな」

「あのねぇ……!」


 はっはっは、と笑う傑に、まだ何やら説教じみたことを口にしている穂乃果。楽しそうで何よりですね、とでも言ってやるべきだっただろうか。詠斗はくしゃりと髪を触った。


「さて」


 そう言うと、傑は改まった様子で詠斗と向き合った。


「話を聞かせてもらおうか――お前は一体、どんな声を聴いたんだ?」

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