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 当然のごとく、五時間目と六時間目の授業はまるで集中できなかった。

 常に先生の口もとを見ていないとすぐに何を話しているのかわからなくなってしまう詠斗にとって、授業中に他ごとを考えることは致命傷を負うのと同義だ。何度もうわの空になってしまうことに気付いた時点で、今日の授業は初めから受けなかったことにすると決めた。それが集中できない時のいつものやり方だった。


 授業内容は家に帰ってからゆっくり復習することにして、詠斗はぼんやりと美由紀の話を振り返り始めた。

 頭を殴られ、階段の上から放り投げられたという美由紀。警察の捜査でも、そこまで詳しくわかっているのだろうか。

 美由紀の友人が警察から疑われているというのだから、殺人事件として捜査しているのは間違いない。さすがはプロといったところか。事故に見せかけようとした犯人の意図は簡単に見破られてしまったわけだ。


 美由紀の言葉を信じるとすれば、犯人は男性である可能性が高い。目撃情報など、犯人が男性であるとする何か根拠らしいものを警察がまだ掴んでいないのなら、この美由紀の証言で捜査を前進させることができそうだが、如何いかんせん死者の証言だ。先ほどの紗友と同様、捜査員を信じさせる手段がない。今の段階ですでに警察が犯人を男性としぼって捜査していることを願うのみだ。


 はぁ、と無意識のうちにため息が漏れ出た。

 いくら死者の声が聴こえるからといって、すぐさま犯人を見つけられるわけじゃない。美由紀が犯人を目撃していれば話は変わってくるのだが、今手元にある情報だけでは手がかりなど何もないに等しいわけで。


 ――やっぱり、話してみるしかないよな。


 脳裏にある一人の男の顔が浮かぶ。自然と、詠斗の表情が曇った。

 できることなら頼りたくない相手だけれど、今回ばかりはその手を借りないわけにはいかないようだ。それに、さっき美由紀に「相談してみます」と言ってしまったし。

 もう一度、今度は自分の意思で深くため息をつく。

 帰りの電車で一度連絡を入れてみるか、と気の進まない心をどうにか前向きにさせ、詠斗はいつの間にか黒板いっぱいにびっしりと書かれていた数式をノートに写し始めた。



   *



 放課後。

 まっすぐ校門に向かって歩いていると、誰かが駆け寄ってくる気配を感じた。次の瞬間には肩を叩かれていて、振り返るとそこには紗友の姿があった。普段ならバスケ部の練習のために体育館へと向かっているはずなのだが。


「ねぇ、さっきの話の続きだけどさ」

「さっきの話?」

「その……美由紀先輩のこと」


 あぁ、と詠斗は短く答える。


「言ったろ? もう少し状況がはっきりしてきたら話すって」

「うそ。詠斗がそう言って逃げるときは、いつまで待っても話してくれないもん」


 私をあざむけると思ってるの? とさっきも聞いたようなセリフが今度は顔に書かれている。詠斗はため息をついた。


「……先輩を殺した犯人を見つけてほしいって」


 美由紀の願いを伝えると、紗友は驚いた顔を見せた。


「ち、ちょっと待ってよ! 詠斗が聴いたっていう先輩の声、そんなこと言ってたの?!」

「そう。なんでも、お友達が警察に疑われているのが気に入らないんだとか」

「お友達って?」

「なんて言ったかな?……松村さん、だったっけ」

「松村? 松村知子先輩のこと?」

「またお前の知り合いかよ……」

「知子先輩は女バレの部長。美由紀先輩とは二年の時に同じクラスで、女バレ内でもあの二人は特に仲が良かったはず」


 同じ学年の人間関係ならともかく、一学年上の諸先輩方に関するそういった情報は一体どこから仕入れてくるのか。訳知り顔の紗友を前に、詠斗はくしゃりと頭を掻いた。


「先輩が言うには、その松村さんって人は犯人じゃないらしいんだ。なんで疑われてるのか知らないけど、とにかく無実であることを証明したい。そのためにもぜひ真犯人を見つけてほしい、というのが先輩から頼まれたことの全容」


 結局べらべらとしゃべってしまったことを若干後悔しながら、詠斗はひとつ息をつく。まったく、どうしていつもこうなるのか。


「なるほどね……。で? そのお願いを聞いてあげることにしたわけ?」

「……一応、やれるだけのことはやろうかと」


 そう正直に答えると、はぁ、と大きなため息をつかれた。


「なに安請け合いしてるのよ?! 殺人事件の捜査なんて、素人の高校生にできるはずないじゃない!」

「そんなこと俺にだってわかってるよ! けど……」


 そっと視線を右に逸らし、詠斗は少し間をおいてから再び口を開いた。


「せっかく、聴こえたから」


 もう一度、詠斗は紗友の目をまっすぐに見る。


「俺にしか聴こえない声なんだ。俺が聞き届けなきゃ、先輩の想いはいつまで経っても報われないだろ?」


 真剣な眼差しを向けると、同じように真剣な視線が返ってくる。互いに逸らすことなく、しばしの沈黙が二人の空間を支配する。


「……わかった」


 静寂を破ったのは紗友だった。


「だったら、私も手伝う」

「は?」


 この回答はとうに想定済みだったはずが、いざ面と向かって言われると即座に対応できないもので。


「なに言ってんだよ、お前は関係ないだろ?!」

「ダメだよ! 詠斗ひとりで事件の捜査なんて、そんな危ないことさせられないもん!」

「はぁ?! なんでお前にそんな保護者みたいなこと言われなきゃなんねぇんだよっ」

「当たり前じゃん!――私が、詠斗の耳になるんだから」


 その一言に、詠斗はごくりと唾を飲み込んだ。


 あの日。

 この耳が音を完全に失った日。紗友は泣きながら、今と同じ言葉を口にした。

 そして今でも事あるごとに、詠斗の前でそう口にする。

 何度突き放しても、紗友が諦めることはなくて。

 そのたびに、詠斗の心はじわりじわりと締め付けられてしまう。


「ダメだ」


 はっきりとした口調で、詠斗はそう言い放った。


「これは俺の問題だ。お前には関係ない」

「関係なくない!」

「関係ないって!!」


 声を張り上げると、さすがに紗友も黙らざるを得ないようだった。うっすらと、その瞳を潤ませているようにも見える。


「……願うだけでいい」


 そう言って、詠斗は柔らかく微笑んだ。


「願っててくれ、俺が無事に犯人を見つけられるように。それで十分だ」


 いつも紗友がやってくれるように、ぽんぽん、と詠斗も紗友の肩を優しく叩く。


「早く行けよ。もう練習始まってるんじゃないか?」


 じゃあな、と片手を挙げて、詠斗は紗友に背を向けて再び校門に向けて歩き始めた。

 紗友がしばらく背中を見つめていたことに気付いていたけれど、振り返ることはしなかった。

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