1-3
「殺された……?」
俄かには信じられない言葉が飛び出したが、それよりも重く受け止めなければならない事態が目の前に転がっている。
羽場美由紀と名乗るその声は、この世に生きる人間のものではない。
つまり――死者の声であるということ。
『はい。塾帰りのことでしたが、誰かに後ろから頭を殴られて……。その後、事故死に見せかけようとしたのか、自宅近くのマンションと公園の間にある長い階段の上から放り投げられたようで』
その時のことは覚えていませんが、と美由紀の声は付け加える。
「ちょ、ちょっと待ってください。一旦状況を整理させてほしいんですけど」
あまりにも淡々と自らの死に際について語ってくる美由紀に対し、詠斗は片手を挙げてストップをかけた。
「えっと……まず、あなたは、その……幽霊、なんですよね?」
『俗っぽく言えばそうなります。まさか自分が幽霊になって後輩の男の子と触れ合うことになろうとは思っても見ませんでしたけれど』
そうでしょうね、と詠斗は力なく相槌を打つ。自分だって、幽霊の先輩と言葉を交わす日が来るなんていう未来は想定していなかった。というか、そんな未来を想定して生きている人間などまずいないだろう。
「えーっと、俺の声は届いているようですけど、俺の姿は見えているんですか?」
『もちろん、見えていますよ。階段の上から投げ落とされてどれくらいが経った頃かはちょっと判断できかねますけれど、この姿になってからは目も耳も正常に機能しています』
「なるほど、了解です。俺には、声は聴こえてもあなたの姿は見えていないもので」
『あら、そうだったんですね。どうりでさっきから視点が定まっていないはずです。もともとそういう方なのかと思っていましたけれど、違ったのですね。すみません』
「いえ。一応、視力は今まで一度も衰えたことがないです」
『視力は?』
意外と鋭い人なのか、美由紀は細かいところを拾って突き返してくる。ひとつ小さく息をつき、詠斗はまた少し斜め上を仰いだ。
「俺、耳が聴こえないんですよ」
今日はいい天気ですね、くらいのテンションで言ったつもりだったのだが、美由紀から言葉が返ってくるまでに軽く十秒はかかった。
『そう、なんですね』
相手の姿が見えないのでいなくなってしまったかと思ったが、どうやら詠斗の告白に驚いて言葉を失っていたようだ。「そうなんです」と答えると、また少し間があいた。
『だから、私の声が聴こえるんでしょうか?』
「あぁ、そういうことなら納得できなくもないです。俺の耳には、あなたの声以外の音は何も届かないままのようなので」
『霊感の強い方あたりに気付いてほしくてずっと呼び続けていたのですけれど、まさかあなたのような耳の不自由な方に届くとは思いませんでした』
「すみません、俺に少しでも霊感があればあなたの姿が見えたんでしょうけど」
『いえ、十分です。この声を聞き届けてもらえるだけで、願いはほぼ叶ったようなものですから』
「願い?」
はい、と答えた美由紀に、詠斗は眉をひそめた。そういえば、この世に現れる霊というのは強い念の塊だという話を聞いたことがある。美由紀に関しても、何かどうしても成し遂げたいことがあるということか。
『私を殺した犯人を捕まえてもらうこと――それが私の願いです』
詠斗の口がわずかに開いた。しかし、言葉が転がり出てくることはなく、ほぅ、という吐息だけが零れ落ちた。
――犯人を、捕まえる?
確かに今、美由紀はそう言ったように聴こえた。
誰かに殴られ、階段の上から放り投げられたという先ほどの話を頭の中で振り返る。
「……え、っと」
何と答えていいのかわからないまま、詠斗は詰まらせながらもどうにか言葉を絞り出した。
「俺に、ですか?」
『はい?』
「俺が、あなたを殺した犯人を捕まえるんですか?」
『そうです』
当たり前でしょう、といった風に言う美由紀。詠斗はいよいよその表情を険しくし始める。
「……そういうのって、警察の役目でしょう?」
『私もそう思って、事件現場で何度も呼び掛けてみたんですけれど、私の姿が見えたり、声が聴こえたりする方には出会えなくて』
「それで、たまたまあなたの声が聴こえた後輩の俺に頼もうってわけですか?」
『そういうわけです』
きっとにこやかに笑っているのだろうな、と見えない美由紀の口もとを想像してしまい、詠斗は右手でそっと額を押さえた。
そういえば、と詠斗の手が額から離れる。いくら同じ学校とはいえ、羽場美由紀という女子生徒を詠斗は知らない。……いや、よく知らない、が正しい言い方だ。一昨日の始業式で、校長から春休み中に生徒が一人亡くなったという話が出ていたことを今さらながら思い出す。あの時話題になったのがこの羽場美由紀という女子生徒だったわけだ。
ここまで思考を巡らすも、結局のところ今の詠斗には、彼女は一体何者で、どんな顔をしているのか、声以外に何の情報もない状態であることに変わりはない。そして、何故彼女は殺されることになってしまったのか――。
「……一応、訊きますけど」
『はい、何なりと』
うきうき感満載の声が返って来て、やっぱり頭を抱えることになる詠斗だった。この人、本当に殺されたのか? それにしては、いやに冷静な気がするのだが。
「何か殺されなきゃならないようなことをしたんですか?」
『失礼な! 心当たりなんてありませんよ。誰に殴られたのかもわからないですし、どうして死ななくちゃならなかったのか、まったく見当もつきません』
「なるほど、それで自分が殺された理由が知りたいと?」
『それだけじゃありません』
意外な答えが返って来て、詠斗は少し眉を上げた。
『私の友人が、犯人じゃないかって警察に疑われているみたいなんです』