3-5
「待たせたな、詠斗」
後ろをついて歩いてきた二人の背中にそれぞれ手を回して自分の前に立たせながら、傑は爽やかな笑みを浮かべてそう言った。
「いや、俺達も今来たとこだから」
「そうか」
神宮司隆裕、そして草間千佳はそれぞれ目を合わすこともなく、不安げな面持ちで佇んでいる。
『――あの方です』
不意に、美由紀の声が聴こえてきた。
『間違いありません。私があの時振り返って見たのは、そこに立っている男の子でした』
神宮司隆裕のことを指して言ったのであろう美由紀の証言に、詠斗は大きく頷いて見せた。そして、一歩前に踏み出すと、二人の同級生に向かって口を開いた。
「ごめんな、わざわざ休みの日に出てきてもらって」
「××××××」
神宮司が何か喋ったようだが、口の動きが小さくて言葉がうまく読み取れない。
『「謝るくらいなら呼び出さないでくれ」だそうです』
ぐっと眉を寄せていると、ふわりと詠斗の髪が揺れ、美由紀の声が優しく届く。
『どうぞ、話を続けてください。今だけですが、私があなたの耳になります』
はっ、と詠斗は目を見開いた。
拳を強く握りしめる。先輩はきっと、すぐ隣にいてくれるんだ。これほど心強いことはない――。
もう一度、詠斗はまっすぐ神宮司と目を合わせる。そして、改めて話を切り出した。
「わかってるよな? 二人とも。どうしてここに呼ばれたのか」
「さぁ、何の話かな」
「……頼む、神宮司」
とぼけたように薄ら笑いを浮かべた神宮司に、詠斗は祈るような目を向けた。
「自首してくれ」
その声にハッとした表情を浮かべたのは草間千佳だった。見る見るうちに青ざめていき、顔を上げられないでいるようだ。
詠斗が傑にした頼み事。
たとえ真実がわかっても、安易に逮捕しないでほしい。
できることなら、二人には自首をしてもらいたいから。
自首を勧めるための時間を作ってもらうこと――それが詠斗の願いだった。
「……自首?」
うろたえる草間千佳の隣で、神宮司はフンと鼻を鳴らした。
「どうして僕が?」
「もう全部わかってるんだ。俺達に説明させないでくれ」
「は? 全部って……一体何の話かなぁ?」
シラを切り続けるつもりか、神宮司は一向に首を縦に振ろうとしない。その反面、草間千佳は今にも崩れ落ちそうになるのを必死に堪えているようだった。
『「てめぇ……すっとぼけやがって!」とタクミさんがおっしゃっています』
振り返れば、美由紀の言う通り巧がものすごい剣幕で怒りを露にしていた。
「……先輩、そういう細かいところは拾わなくていいですから」
そう言ってから、しまった、と詠斗は思った。うっかり美由紀に声をかけてしまい、慌てて神宮司たちのほうへ向き直ると、案の定何事かという表情で二人は詠斗のことを見つめていた。
軽く咳払いをして、もう一度場を仕切り直す。
「自分から話す気はない、ということでいいんだな?」
「話すも何も、僕にはやましいことなんて何もないからね」
使う言葉には自信を滲ませているものの、その頬には一筋の汗が伝っている。虚勢を張ってどうにかこの場を取り繕うつもりか。
これでは埒が明かない。兄に目を向けると、一つ頷きが返ってくる。
仕方がないとばかりに詠斗は小さく息をつき、ゆっくりと語り始めた。
「今回起きた一連の事件の目的は、仲田翼先輩と猪狩華絵さんを殺すことにあったんだ」
二つの名前が出た瞬間、神宮司も草間千佳もぴくりと眉を動かした。
「神宮司は仲田先輩から恐喝の被害に遭い、草間さんは猪狩さんからいじめのような仕打ちを受けていた。あんた達二人がどこで互いのことを知ったのかはわからないけど、どちらかが言い出したんだろうな……仲田先輩と猪狩華絵さえいなくなれば、自分達は救われるんだって」
自らを脅かす悪を打てば、平穏な日々が訪れる。そう信じたくなるほど、二人の心は逼迫していたのだろう。
「しかし、どれだけ上手く動いてそれぞれの敵を殺したとしても、警察がきちんと調べれば一番に疑われるのが自分達だというのは子どもにでもわかることだ。そのリスクを犯してもなお、あんた達は仲田先輩と猪狩さんを殺すことでつらい現実から逃れるという方法を選ぶことに決めた。そして、少しでもリスクを避けようと、ある作戦に打って出ることにした」
細めた目で神宮司から睨み付けられるも、詠斗は怯むことなくその目をじっと見つめ返した。
「仲田先輩を草間さんが、そして猪狩さんをお前が殺す……互いに殺したい相手を入れ換え、それぞれの殺害時刻にアリバイを作ることで、警察からの疑いの目を避けようと考えたんだ」
二人が選んだ、いわゆる『交換殺人』という手法。
確かに捜査の撹乱という観点において有効な手段の一つではあるが、この方法を用いる最大のメリットは被害者と加害者との間にまるで接点がないということだ。ネット社会と言われる現代において、不特定多数の中から条件に合致する人と手を組み交換殺人を成立させようと目論むなら成功率も上がりそうだが、今回は同じ高校の関係者の中ですべての事件が起こっている。たとえ被害者同士や容疑者同士に接点が見つからなくとも、交換殺人を疑う余地は十分すぎるほどある状況だ。うまい手を使ったとはおよそ言えそうにない。
「実際、神宮司に関しては仲田翼殺害時に完璧なアリバイがある。草間さんについてもそうなんだよな? 兄貴」
「兄貴?」
と神宮司は眉をひそめて後ろを振り返った。黙って話に耳を傾けていた傑は、詠斗に応えるように口を開いた。
「猪狩華絵が殺されたのは二日前の午後十時すぎ。その時間、草間千佳は大学生の姉とともに自宅近くのレンタルショップにDVDを返却しに行っていた。店の防犯カメラに映像が記録されていた上に、店員が顔を覚えていたよ。ちなみに羽場美由紀が殺された四月三日にも、同じレンタルショップの防犯カメラに草間千佳の姿が映っていたのを確認している」
ありがとう、と言ってから、詠斗は話を先に進める。
「こうして作られた完璧なアリバイは、たとえ殺す動機があっても実際には殺すことのできないことの証明となり、警察の捜査を行き詰まらせることに成功した。もちろん猪狩華絵殺害時には神宮司にアリバイはなく、そして仲田翼殺害時には草間さんのアリバイがない。これも警察の調べでわかっていることだ。たとえこの一連の事件が単独犯によるものとして捜査が進められていたとしても、それぞれ殺す動機に乏しい人間を狙っていることに誰かが必ず違和感を抱くことを二人は想定していた。一度は疑われることを覚悟しても、何か決定的な証拠が出ない限り逮捕されることはないと考えたんだろう。実際、その通りになったしな」
「面白い推理だな、吉澤」
いやらしく口角を上げながら神宮司が口を挟んだ。
「しかし、君自身が言うように、決定的な証拠が今のところ何一つ提示されていない。君が今話しているのはただの推測だ。証拠もなしに犯人扱いされたんじゃあさすがに気分が悪いんだけど?」
ねぇ、草間さん? とこの時初めて神宮司は草間千佳のことを見た。その草間千佳といえば、相変わらず青ざめた顔で縮こまっているばかりで神宮司のほうを見ようとはしない。
「証拠ならある」
詠斗がそう言うと、神宮司の顔から余裕の色が消えた。
「第一の被害者である羽場美由紀先輩が殺された夜、この辺りでお前を見たと言っている人が見つかった。写真じゃわからないって言われたから、実際にお前の姿を目で見て確認してもらったんだ。確かにお前だったって、そうはっきり証言してくれたよ」
「嘘だッ!」
神宮司は目を大きくして一歩踏み出した。
「犯行はすべて夜の出来事だったんだろ?! 暗い夜道で人の顔なんか判別できるはずが……っ」
そこまで一気にまくし立てたところで、神宮司は大きくした目をさらに見開いてその場に凍り付いた。
「そうなんだよ」
冷静さを失った神宮司と対照的に、詠斗は至って冷静な口調でそう言った。
「こんな細い裏路地じゃ、夜になれば真っ暗で街灯もあてにならないだろうな。そんな場所で見知らぬ誰かの顔を判別することなんて、そう簡単にはできないんだ。それはお前を目撃した人に限らず、お前自身にも言えること。だからお前は、美由紀先輩を殺すことになってしまった――標的にしていた猪狩華絵と見間違えて」




