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五人はその後も事件についてしっかりと話し合い、会議を終えた傑は詠斗からの頼み事を叶えるべく颯爽と自宅マンションを後にした。詠斗達三人の高校生もそれぞれ帰宅すると穂乃果に告げると、「残念ね、またカレー食べにいらっしゃい」と本当に残念そうな顔で見送られた。
「じゃあな、詠斗」
マンションの駐輪場から自転車を引っ張り出しながら、巧は片手を上げて自転車に跨った。
「巧、紗友のこと家まで送ってやってくれないか?」
「おいおい、何言ってんだよ? そりゃオレの役目じゃねぇだろ」
「はぁ?」
詠斗が睨むと、巧からニヤリと意味ありげな笑みが返って来た。
「とにかく、お前の兄貴から連絡があったら知らせてくれ。じゃあなー」
「おい、待てって……!」
詠斗が引き留める声に振り向きもせず、巧は瞬く間に遠く小さくなってしまった。朱に染まり始めた薄青の空を見つめ、詠斗は小さく息をつく。
「あれ、巧くんは?」
少し遅れて自転車を押しながらやって来た紗友は、詠斗の肩をぽんと叩いてキョロキョロと辺りを見回した。
「帰った」
「帰った? もう?」
紗友は巧の消えていった西の方角を見つめ、「早いなぁ」と呟いたようだ。
「送るよ」
残された詠斗は紗友に向かってそう言うと、「えっ」と驚いた顔を向けられた。
「いいよ、すぐそこだし」
「俺、駅に行くから。お前んちのほう通って行く」
「駅? どこ行くの?」
心配の色を滲ませた紗友の瞳が詠斗をそっと覗き込む。
「美由紀先輩の事件現場。……先輩に会いに行く」
そう答えると、詠斗は紗友の家に向かって歩き始めた。しかし、すぐさま自転車のサイドスタンドを立てた紗友に腕を掴まれ、強引に体の向きを変えさせられる。
「ねぇ……大丈夫?」
やっぱり心配そうな顔をして、紗友はそう口にした。
「……わからない」
その答えに一番驚いたのはたぶん自分だろうと詠斗は思った。
わからない、なんて曖昧な言葉を紗友に対して口にするなんて。そんなことを言ったら、間違いなく紗友は自分にくっついて離れなくなるというのに。
「一緒に行こうか? 私も」
詠斗の予想に反することなく、一歩踏み出しながらそう言う紗友。詠斗は首を横に振る。
「ごめん、心配かけるつもりじゃなかった。一人で大丈夫だから」
「ほんと?」
「ほんと」
もう一度「大丈夫」と口にして、詠斗は紗友に笑みを向けた。完全には納得していない様子の紗友だったが、最終的には詠斗の意向に沿い、詠斗に見送られながら自宅へと帰っていった。
*
紗友を家まで送り届けたその足で、詠斗は再び電車に乗り、美由紀の殺害現場へと向かった。到着する頃には西の空が真っ赤に染まり、日暮れまであまり時間がないことを告げていた。
「美由紀先輩」
そこにいるのかいないのか、見た目にはわからない。
けれど、何故か今日は自信があった。
先輩は今、俺の目の前にいる――。
『こんばんは、詠斗さん。どうしたんです? こんな時間に』
やっぱり、と心の中で呟きながら詠斗は微かに笑みを零した。
「こんな時間と言うほどでもないでしょう」
『そうですか? もう日が暮れますよ?』
「たまには夜遊びしたっていいじゃないですか。小学生じゃないんだし」
『夜遊びと言うにはまだ少し早い気が』
「先輩が『こんな時間』なんて言うから」
姿こそ見えないけれど、きっと美由紀は楽しそうに笑っている。そう思うと、詠斗の顔にも自然と笑みが浮かんできた。
こんな瞬間を楽しみたい――ただそれだけの理由で、ここへ来たいと思ったのかもしれない。
もちろん、本当は違う。違うとわかっているのだけれど、そう思うことくらい許されてもいいじゃないか。そう誰にともなく反抗してみる。
ひとつ息をついてから、詠斗はここへ来た真の目的を果たすべくいつものように斜め上を仰いだ。
「先輩に一つ聞きたいことがあって」
『はい、何でしょう?』
「猪狩華絵は駅前のラーメン屋でアルバイトをしていたらしいんです。それで、もしも先輩が猪狩華絵だったとしたら、バイトの行き帰りにはどの道を通りますか?」
『うーん……そうですねぇ、この辺りに住む人なら迷わず今いるこの路地を使うでしょう。華ちゃんも例外ではないと思いますし、そこの十字路を左に折れて少し行ったところが華ちゃんの自宅ですから』
美由紀の言う『そこ』というのはおそらく、今詠斗が立っている美由紀の殴り倒されたこの位置から、件の階段方面へ向かって少し歩いた先にある十字路のことだ。右へ曲がると信号のある大通りへと繋がり、左へ折れた先には一軒家の立ち並ぶ住宅地が続いている。猪狩華絵が被害に遭ったのは自宅近くの路上というから、美由紀の言うとおり猪狩華絵もこの路地を通って帰路に着いたのだろう。
「やっぱりそうですよね」
そう呟いてから、詠斗は改めて斜め上を仰ぎ見た。
「ようやく犯人がわかりそうですよ、先輩」
詠斗がここへ来た理由。
それは、美由紀に事件の真相について知らせるためだった。
『本当ですか?』
「えぇ、今兄貴が裏取りに動いてくれています。早くて明日にはすべてが明らかになるはずです」
そうですか、と言った美由紀の声が妙に落ち着いていて、詠斗は思わず眉をひそめた。
「嬉しくないんですか? 事件の真相解明が先輩の望みだったはずでしょう?」
『……そのセリフ、そっくりそのままお返ししても?』
「え?」
思わぬ一言に、詠斗は素直に驚いてしまった。
「……どういう意味ですか? それ」
『どうもこうも、あなたのほうが全然嬉しそうじゃないからですよ。どうしてそんなに暗い声で言うんです? せっかく真相がわかったというのに』
「それは……」
次の句が継げないまま、詠斗はそっと俯いた。
先程の会議で出された結論が本当に真実だったとしたら、美由紀に一体どう伝えればいいのだろう。
どれだけ言葉を選んでも、美由紀の心を傷つけることにしかなりそうにない。命を落とし、訪れるはずだった未来を奪われたという事実だけでも十分につらい現実なのに、これ以上その傷を抉るような真似などしたくないのに。
『大丈夫ですよ、私なら』
詠斗の気持ちを察したのか、美由紀は優しい声でそう言った。
『あなたの言う通り、すべての真実を知ることが私の願いです。それは今でも変わりませんし、どんな真実だって受け止める覚悟はできています。知らないままでいるほうがつらいですからね、私にとっては』
そのまっすぐな言葉に、くしゃ、と詠斗は柔らかい黒髪を握りしめた。
眩しいくらいの輝きに満ちた美由紀の顔が容易に想像できてしまって、あまりの眩しさに目を伏せてしまいたくなる。
どれだけ懸命に走っても、その輝きには手が届きそうにない。
「……やっぱり強いなぁ、先輩は」
伏し目がちで、ぽつりとそう呟いた。すると、『ねぇ、詠斗さん?』と美由紀の声が返ってくる。
『どうしてあなたは、私のことを強いと思うのでしょうね?』
「え?」
『強い人って、どんな人のことを言うと思いますか?』
言葉の意味が本当にわからなくて、詠斗は眉を寄せて宙を見上げた。
「それ、どういう……?」
『考えてみてください』
まるで語尾に音符マークでもついているかのように、美由紀は楽しそうな口調でそう言った。
美由紀のことを、強い人だと思う理由――?
いつだって前向きで、現実を受け入れる覚悟のできている人だから?
命を落としてもなお、楽しそうに笑っているから?
そんな答えを期待しているのではないことはなんとなく察しがつく。だとしたら、美由紀の求める答えとは一体――?
『はい、時間切れ』
「……時間制限アリだったんですか」
『クイズにタイムリミットはつきものでしょう?』
「クイズって……」
そんな軽々しい問いではなかったはずだと思うのだが。ふふっ、とやっぱり楽しげな笑い声が返ってくる。
『答えは教えません。自分で見つけることに意味があるからです。代わりに、人生の先輩として一つだけアドバイスを』
ひと呼吸置いて、美由紀は改めて口を開いた。
『強がることと強いことは違います』
え、と詠斗は微かに声を漏らした。
『強がりは時に自分を傷つける刃になります。自分で自分を傷つけるような人は、強い人とは言えません』
その意味を上手く自分の中に落とし込めなくて、詠斗はその場に立ち尽くすことしかできなかった。
『解答期限を伸ばしましょう。ぜひ、あなた自身で答えを見つけてください』
詠斗は何も言えないまま、じっと宙を仰いでいた。
綺麗に笑った美由紀の顔を、沈みゆく夕陽の中に見た気がした。
* * *
翌、土曜日の午後一時。
昼前になってようやく傑から連絡が入り、詠斗達がたどり着いた事件の真相におよそ間違いはないだろうとのことだった。
紗友と巧にも声をかけ、詠斗は二人とともに美由紀の殺害現場へと赴いた。
「先輩」
到着するや否や、詠斗は美由紀に声をかける。
『はい、こんにちは。皆さんお揃いのようで』
「先輩、これから一連の事件の犯人がここへ来ます。そいつが本当に先輩を襲った犯人かどうか、見てもらってもいいですか?」
そうお願いをするも、しばし沈黙の時が流れた。
『……わかりました。協力します』
返ってきた声はどこか不安げで、いつものような明るさはない。詠斗は斜め上を見上げた。
「怖いですか?」
『……そうですね、少し』
「やめましょうか? 面通し」
『いえ、大丈夫です』
「本当に?」
『はい。でもやっぱり怖いので、あなたの後ろにくっついていることにします。そうすれば、何かあってもあなたが守ってくれるでしょう?』
「何かって……」
幽霊を相手には何をすることもできないと思うのだが、美由紀がそれで落ち着けるのならそうしてもらえばいいか、と詠斗は頭を掻いた。
「……取り憑かないでくださいよ?」
『ご心配なく。未だに取り憑き方を知りませんから』
振り返りながらそう言った詠斗は、自分のすぐ後ろで険しい顔を並べている紗友と巧の存在に苦笑した。二人には自分が一人でしゃべっているようにしか見えないのだと言うことを思い出し、もう何度目かの不思議な気持ちを味わうのだった。
まもなくして、傑が二人の少年少女を引き連れて姿を現した。
傑とともにやってきたのは、神宮司隆裕と草間千佳だった。




