3-1
昨日の雨とは打って変わって、今日はからりとよく晴れた春らしい日だった。
しかし、詠斗達の通う創花高校の雰囲気は、春の陽気とは似ても似つかぬ仄暗い影に包まれていた。
誰もが恐れていたことが、昨晩ついに起こってしまった。
また一人、創花高校の生徒の命が何者かによって奪われたのだ。
「猪狩華絵。詠斗は知らないかもなー、同級生なんだけど」
登校早々、またしても紗友が詠斗に情報をもたらしてくれた。今回は紙と鉛筆を持参して説明モード全開の様相だ。
「ごめん、知らない」
「だろうね。仲田先輩ほど目立つ存在ではないけど、二年の中では割と名の通った子だと思う。いじめっ子集団のボス格って感じで」
「いじめっ子集団?」
また一段と不穏な空気が漂いまくりな冠をかぶった集団に、詠斗は眉間のしわを深くした。
「集団っていうか、ほら、よくいるじゃん? 自分が少しでも気に入らないと思ったらその子を徹底的に排除しようとする人。華絵はまさにそのタイプだったの」
そんな人間がよくいたらたまらないと思ったが、女子の間ではそれが普通なのか。人付き合いを避けて生きてきた詠斗にとっては、男も女も関係ないわけではあるが。
「でね、華絵と家が近所だっていう子に聞いたんだけど、昨日の夜中、華絵の家の前に警察がわんさか来て大騒ぎになってたんだって。ちょうど雨も上がってたらしくて、何事かと思って外に出たら華絵が道路に血を流して倒れてたみたいだって野次馬のオバチャン達が騒いでて……」
「血を? また刺されてたのか?」
「ううん、頭から血が出てたって言ってる人がいたって」
「なら、美由紀先輩と同じで撲殺か」
かもね、と紗友は険しい表情をして頷いた。
「ちなみにだけど、華絵と美由紀先輩、同中なんだって」
詠斗は少し目を大きくした。殺害方法だけでなく、出身中学校にも繋がりが見えてきた。
「美由紀先輩が亡くなった現場と華絵の自宅、そう遠くない距離なんだって。華絵は自宅から少し離れた路上で襲われたみたい」
「自宅近くで?」
住宅街の路上で殴り殺された状態で放置されていたということか。こちらは美由紀の時と状況が異なる。美由紀の時は事故に見せかけようと細工した形跡が見られたが、今回は殴ってそのまま遺体をその場に残している。この違いはどう解釈すべきか。
「その猪狩華絵が見つかったのって、具体的には何時頃の話なんだ?」
「詳しくは知らないけど、華絵は駅前のラーメン屋さんでバイトしてて、その帰りに被害に遭ったんじゃないかって話だよ。だから、襲われたのはせいぜい夜の十時くらいってところじゃないかなぁ?」
また午後十時前後。美由紀の時と同じだ。そして猪狩華絵には、仲田翼と同じく誰かから恨みを買うような行動を日常的に取っていた――。
前の二つの事件と似た部分がところどころに見られ、頭が混乱してきた。一度状況を整理して、最初から一つ一つの事件を見直してみる必要がありそうだ。それに、昨日殺されたという猪狩華絵についてはまだまだ情報が足りない。
そんなことを考えているうちに担任教諭が姿を見せ、紗友は自分の席へと戻っていった。出席を取ったあと、放課後の部活動の中止と次の月曜日を休校にする可能性があると担任から伝えられた。
* * *
あまり事件のことばかりを考えていると授業に遅れを取ってしまうので、ほどほどに考えを巡らせながらも午前中の授業をきっちりこなし、詠斗は弁当箱を片手にまっすぐ屋上へと向かった。
昨日の雨で濡れたであろうベンチはすっかり乾いていて、いつものように腰を落ち着けることができた。
弁当箱が空になるまで、美由紀の声は聴こえてこなかった。辺りを見回すも、当然その姿は見えない。
「……先輩?」
立ち上がって呼び掛けてみるも、やはり声は返ってこない。
「先輩」
嘘だろ、まさか――。
「美由紀先輩ッ!!」
『――はい、何でしょう?』
はっ、と詠斗は怖い顔をしたまま斜め上を見上げた。
「……良かった、聴こえた」
『すみません、ちょっと考え事をしていたもので』
すとん、と力なく詠斗はベンチにへたり込んだ。はぁ、と長く息を吐き出す。
『どうかされたんですか?』
悪意のかけらもないその一言に、詠斗はそっと俯いた。
「……怖かった」
『え?』
「また何も聴こえなくなったのかと思って……。いつもは先輩から声をかけてくれるのに、今日は全然聴こえてこなかったから」
自分の声すら聴こえない詠斗だったが、今はその声が震えているのがわかる。おかしいな、と自嘲気味に笑いながら、再び顔を上げて宙を仰いだ。
「今更何を怖がってるんでしょうね、俺は。もう長いこと、音のない世界で生きてきたはずなのに」
立ち上がり、転落防止柵に両腕を乗せて体重を預ける。
「ここに来れば、先輩の声が聴こえてくるものだと思ってた。聴こえないことのほうが当たり前なのに、それこそ当たり前のように聴こえるものだと思い込んでました」
凪いだ春風の中で、詠斗は遠い目をして雲ひとつない青空を見上げた。
「ダメですね。一度失ったものを取り戻してしまうと、ついそれに甘えたくなってしまう。いつまた聴こえなくなってもいいように、覚悟だけはしておかないと」
ふぅ、と息を吐き出して、詠斗は体の向きを変えて今度は柵に背を預けて立った。
「また一人、被害者が出ましたよ」
美由紀に何か言われる前にと、詠斗は昨夜の事件の話を振った。
『えぇ……私が考えていたのはその件についてです』
さすがにもう知っていたか、と詠斗は話を先に進めた。
「猪狩華絵さんとは同中だって聞きましたけど、知り合いだったんですか?」
『知り合いも何も、幼馴染みたいなものです。華ちゃんは私の弟と同級生で、通っていた幼稚園も同じでした。家も近所でしたし、小学生の頃は弟も一緒になってよく遊んでいましたよ』
かわいそうに、と美由紀は今にも泣き出しそうな声で呟いた。もしかしたら、涙を流しているのかもしれない。
「気の強い人だって聞きました。いじめをしていた、とか」
『昔からはっきり物を言う子ではありましたね。そういう性格なのだから仕方がないのでしょうけど、敵を作りやすい子だったことは否定しません。中学に上がってからは疎遠になってしまったので、いじめについてはよく知らないのですけれど……』
そうですか、と詠斗は腕組みをした。
第一の被害者・羽場美由紀と第三の被害者・猪狩華絵は幼い頃から付き合いのあった間柄だった。美由紀の弟も含め、当然そこには共通の友人・知人が存在するだろう。その辺りをつついてみれば、どこかで仲田翼ともつながりが見えてくるかもしれない。
「……ねぇ、先輩?」
はい、と美由紀の声が返ってくる。そこに先ほど滲ませていた悲しい響きはなく、いつも通りといった雰囲気が感じられた。
「もし犯人がわかって事件が解決したら……先輩、どうなっちゃうんですか?」
ふと頭に過ぎったことをそのまま口に出してみる。
もとはと言えば、美由紀に頼まれて始めた犯人捜しだ。その役目を果たし、美由紀の願いが叶った時、美由紀の霊は一体どうなってしまうのか――。
『残念ながら、それは私にもわかりません』
至極真っ当な答えが返って来て、詠斗は少し目を細めた。
『何せ、幽霊になったのは初めての経験なものですから。道標もありませんし、すべてを天命に任せるしかないようです』
ふふっ、と笑ったその顔は見えないけれど、きっとものすごく前向きで楽しげなのだろうと思った。はぁ、と詠斗は一つ息をつく。
「……先輩、悩みなさそうだねってよく言われたでしょ?」
『なっ?!……し、失礼なこと言わないでくださいよっ』
「やっぱりそうだったんだ」
『あ、今バカにしましたね?! ありましたよ、私にだって悩みの一つくらい!』
「どんな悩み?」
『えーっと……ケーキに合うのは紅茶かコーヒーか、とか?』
「小さい悩みだなぁ」
ははっ、と詠斗は声に出して笑った。同時に、こんな風に笑ったのはどれくらいぶりのことだろうと、少しせつない気持ちも芽生えたのだった。




