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穂乃果は巧に手のひらを向けてペンを要求する。そして、巧の書いた『神宮司隆裕』の文字の下に赤字で『アリバイ?』と書き足した。なるほど、と詠斗は小さく呟く。
「兄貴が言うには、仲田翼先輩が殺されたのは一昨日の午後七時から九時の間。その時間に確実なアリバイがもしあるのなら、神宮司隆裕に仲田先輩は殺せない」
「アリバイっていうと、誰かと一緒にいたとか、そういうことだよね?」
そう確認してきたのは紗友だ。詠斗は頷いて同意した。紗友の隣で穂乃果が「ちなみに」と手を挙げる。
「家族によるアリバイ証言は証拠能力に欠けると言われているわ。身内を守るために嘘をつくことが容易に想定されるから」
「けど、夜の七時ならたいていのヤツは家にいるもんじゃねぇの?」
巧は眉を寄せながら意見する。そうね、と穂乃果は頷いた。
「その辺りは傑たち警察が徹底的に調べることでしょう。わずかなほつれもない完璧なアリバイが立証できてしまえば、神宮司隆裕を容疑者扱いすることはできなくなるわね。他に被害者の仲田翼と諍いのあった人物や、仲田翼が死んで得をするような人物がいるなら、そちらも疑ってかからなければならないし」
「創花の関係者とは限らないしな、犯人は」
と詠斗は付け加えた。しかし、「それはどうかしら?」と穂乃果は返してくる。
「これが仲田翼殺しだけなら捜査範囲はもっと広がるんでしょうけど、一週間前に同じ高校の同級生・羽場美由紀が殺されてる。二つの事件の関連を否定する何か特別な要因でも見つかれば話は変わってくるけど、まずは創花高校の人間を疑うのが筋だと思うわよ?」
穂乃果の指摘はもっともだと思ったのだが、本当に関連性を疑うべきなのか、詠斗にはまだどこか納得できない部分もあった。
殺される理由を買っていたと思われる仲田翼と、殺される理由なんてないと誰もが口を揃えて言う羽場美由紀。
まるで対極に位置するかのような二人が同じ誰かに命を奪われたと仮定するなら、仲田翼とは接点がなかったという美由紀の話はどう考える? 共通の知人がいたのか、あるいは無差別連続殺人か――。
「紗友、美由紀先輩と仲田先輩の間に誰か共通する人の心当たりはないか?」
「共通する人?」
「たとえば、美由紀先輩の彼氏が仲田先輩の友達、とか」
「美由紀先輩は彼氏いないよ!」
「だからたとえばの話だって」
何故か身を乗り出した紗友をなだめつつ、視線だけで先を促した。うーん、と紗友は少し考えるように斜め上を見上げた。
「仲田先輩、あんまり学校に来てなかったからなぁ……。あ、でも確か知子先輩は仲田先輩と同じ中学出身だったはずだよ?」
紗友はペンを握って『仲田翼―松村知子 北中(だと思う)』と記した。なるほど、二人は北中学校出身だったのか。ちなみに詠斗達三人は同じ市内にある東中学校の卒業生だ。
しかし、また松村知子か、と詠斗は思った。美由紀殺しを疑われ、今度は同じ中学出身の同級生が殺されるとは。
「……××××」
巧の口がぼそぼそと動いた。詠斗が眉をひそめると、「あぁ、悪い」と巧は改めて詠斗のほうを見て話し始めた。
「怖いよなって言ったんだ」
「怖い?」
うん、と巧は頷く。
「だってよ、同じ高校に通うヤツが二人も死んだんだぜ? 事故とか病気とかならまだわかるけど、殺されたなんて……。ありえねぇだろ? 普通」
確かに、と詠斗も思った。
どう考えたって普通じゃない。立て続けに起こった殺人事件の被害者の声が聴こえ、その声を頼りに犯人を捜し出そうとしていることも含めて。
巧はがしがしっと頭を掻く。
「……殺すのはナシだろ、どれだけ恨んでたとしても」
その一言に、誰もが首を縦に振った。
* * *
結局その後も傑が姿を見せることはなく、詠斗達による第一回捜査会議はそのまま散会となった。
詠斗のもとに傑から新たな情報がもたらされたのは翌日のことで、穂乃果の見立て通り、重要参考人として名前の挙がった神宮司隆裕には仲田翼の死亡推定時刻にアリバイがあることがわかったという。
神宮司は高校一年の頃から放課後は塾に通うのが習慣で、一昨日も午後七時から八時、八時十五分から九時十五分までそれぞれ英語と数学の授業を受けていた。その塾では生徒一人一人にICカードを貸与しており、塾の入り口でカードリーダーに通すと保護者へメール連絡が入る仕組みになっているという。帰宅する際も同じようにカードを読ませることで保護者に知らせが行き、何時に塾を出たのかがわかるのだそうだ。
当然塾側にも記録が残り、一昨日の記録によると神宮司隆裕は午後六時四十分に塾へ来て、午後九時二十三分に帰路についている。授業に参加していたことも講師や同じクラスの生徒達から証言を得られており、鉄壁のアリバイが証明されたというわけだ。
ちなみに羽場美由紀が殺されたという四月三日のアリバイは証明されていない。本人によると家にいたという話だが、当該時刻は家族と離れ部屋にこもっていたと言っているため本当のところはわからない。神宮司の家は羽場美由紀の殺害現場から自転車を使っても三十分は優にかかる。往復一時間、さすがにそれだけ長い間家をあけていれば家族の誰かが気付くのではないかというのが警察の見立てだった。また、本人いわく羽場美由紀とは面識がない上に名前すら聞いたことがないらしい。
昼休み。
生憎の雨で屋上へ出られない詠斗は、屋上へと続く扉の前の階段に腰かけ、やっぱりひとりで弁当をつついていた。
『寂しくないんですか?』
唐突に降ってきたその声に、詠斗の手がぴたりと止まる。
「……なかなか慣れませんね、どうしてもびっくりしちゃいます」
苦笑を浮かべながら詠斗は箸を弁当箱の上に置いた。
音のある世界で生きていればこんな思いはしないのだろうが、如何せん三年も経てばその感覚を忘れてしまう。
美由紀に話しかけられるたびに、心臓が大きく鼓動する。
怖いと思うからなのか、嬉しいからなのか。
「俺が驚かないように話しかける方法ってないんですか」
『なかなか無茶なことをおっしゃいますね? あなたこそ、私の姿を見えるようにはならないんですか?』
「それこそ無茶でしょう。というか、それができたらとっくにやってますって」
それもそうですね、と美由紀は声に出して笑う。まったく、どうしてこの人はいつもこう楽しそうなのだろうか。
『それで?』
「はい?」
『寂しくないんですか? 毎日ひとりでお弁当を食べていて』
顔を覗き込まれているような気がして、詠斗はわずかに上体を後ろへ引いた。
「……忘れましたよ、そういう感情は」
そう答えて、ミートボールをつまみ上げる。
「寂しいとか、つらいとか、そういうことは考えないようにしてます。確かに耳が聴こえないことでしんどい思いをすることもありますけど、世の中には俺以上につらい思いをしている人がたくさんいる。あなただってそうだ」
『……私、ですか?』
「そうです。わけもわからないうちに命を奪われるなんて、これ以上つらいことってないんじゃないですか?」
『……まぁ、言われてみれば』
「その程度の感情なんですか……」
食べようと思ってつまんでいたミートボールを再び箱の中へと戻し、詠斗は息を吐き出した。
「とにかく、俺はひとりでいたって寂しくもつらくもないし、誰かにそう思われたくもない。楽ですよ、ある意味。ひとりでいれば誰も傷つけることはないし、俺自身が傷つくこともないから」
そう言って、今度こそミートボールを口に運んだ。まずくはないけれど、特別美味しいとも思わなかった。
『……本当にそうでしょうか』
美由紀は悟ったような声でそう詠斗に言う。詠斗はわずかに顔を上げた。
『私には、強がっているようにしか見えませんけれど』
美由紀の言葉に、詠斗の瞳がほんの少しだけ揺れた。
そんなに強がらなくてもいいじゃん!
いつだったか、紗友にも同じようなことを言われたことがあった。
強がってなどいないと言うと、紗友はますます怒ってしまったことを思い出す。
『あなたがひとりを選ぶことで、苦しい思いをする方がいらっしゃるのではないですか?』
階段の下、渡り廊下の窓の向こう。
降りしきる雨が滝のように見えた。
美由紀には、何もかもを見透かされているのかもしれない。
詠斗が今何を思っていて、誰のことを考えているのか。
「……やめましょう、この話は」
そう小さく呟いて、詠斗は一つ息をついた。
「それより、先輩に聞きたいことがあって」
『はい、何でしょう?』
「神宮司隆裕という男を知っていますか? 俺の同級生なんですけど」
『ジングウジ?……さぁ、珍しいお名前ですけど聞き覚えがありませんね。その方が何か?』
「仲田翼先輩殺害の重要参考人なんだそうです。もしかしたら、先輩ともつながりがあったかもしれないと思ったんですけど」
『そうだったのですか。……すみません、お役に立てなくて』
いえ、と答えたその瞬間、詠斗はある一つの方法を思い付いた。
「……見てもらったほうが早いかも」
『はい?』
「先輩」
そう言って、詠斗は真剣な眼差しでまっすぐ前を見つめた。
「一度会ってみてもらえませんか? 神宮司隆裕に」
少し間を置いてから、『なるほど』と返ってきた。
『いわゆる、面通しというやつですか』
「そうです。たとえ一瞬の出来事だったとしても、もし本当に神宮司が犯人だったら思い出せるんじゃないかと思って。顔じゃなくていい、背格好や雰囲気だけでも」
『……えぇ、そうですね。確かに顔をはっきり見たわけじゃありませんが、本人か別人かくらいは見分けられるかもしれません』
「決まりですね。じゃあ放課後にここへ連れてきますから」
『わかりました、お待ちしています』
これで神宮司隆裕が美由紀殺しの犯人だと断定できれば、あとは仲田翼殺害時のアリバイを崩すことで二つの事件が一気に解決する。アリバイ崩しのほうは専門家である警察に任せればいい。
いよいよ核心に近づいた気がして、詠斗の弁当を食べるスピードがはやる気持ちに比例していた。




