90話 なお、ガチ勢とエンジョイ勢は相容れないとする
セキュリティホール云々の前に、この状態ならもしかしたら仕留められるかもしれない。
そう思い付き、まきびしを手元に呼び出した、その時だった。
彼は蹌踉めきながら立ち上がり、顔を覆っていた両手を広げる。
驚く事に、彼の両目が、真っ赤に輝いていた。
これはマズい。ガチの大技が来る。
私はすぐに見構えたが、彼が口を開く方が早かった。
「星が瞬き、夜空が囁き、子供達は夢をみる」
こんな状況でも改行を自重しているところに吹き出しそうになったものの、
その不穏なポエムは確実に今までとは何かが違った。
周囲の空気がビリビリと震え、一気に気温が下がったような感じがする。
「……さぁ、おやすみ」
「おーっと待った」
振り向くと、うちのチームで一番のチビが、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
左手でパソコンの底面を支え、右手でモニターの上の部分を持っている。
「何かな?」
「出来たぞ、イタいお前への処方箋」
「どういう……?」
こういうことだと言うように、知恵はディスプレイをバグに向けて、エンターキーを押した。
強烈なフラッシュが点滅し、バグの全身をその光が包む。
「なっ!?」
「よくわかんないけど、やったー!」
「これで最後だね!」
私と家森さんは歓喜した。
まさか菜華無しで知恵がここまで戦えるとは。
でも、よく考えたら狼に囲まれた時もディスク投げて戦ったりしてたし、
ペアで居ないと都合が悪いのは、寧ろ菜華の方なのかもしれない。
とにかく、私は知恵を心から見直していた。
まばゆい光が収まり、バグは自身の両手を交互に見る。
動作確認をするように握ったり開いたり、周囲を見渡したり
自分の異変を察知するように体を動かしてから、彼はこう言った。
「……いや、なんともないぞ」
「別にこれでお前を倒すとは言ってない」
倒せや。最後とか口走って恥ずかしいわコラ。
あと見直した心みたいなものを返して。
「ただのこけおどし、ということか。青年誌の袋とじのようだね。は!?」
彼は自分の発言に驚いていた。
私達も耳を疑ったが、知恵だけは確信めいた笑みを浮かべている。
「なんか急に歳相応の男子っぽいこと言い出した」
「ね。あと青年誌の袋とじにがっかりするのは君のレベルが足りないからだよ、分かったね」
「意味不明な説教するのやめて」
動揺する私達を他所に、知恵はついに堪えきれずに声を上げた。
上手くいったと笑っている。
「お前のうぜぇ台詞を勝手に修正して話すプログラムを作ったんだ、どうだ?」
「くっ……! 小癪な真似を! 捕獲クエストで乱入してくるラージャンのようだ!」
「すごい健全な男の子になったね」
「うわああああ!!」
バグは壁に手をついて、そのままガンガンと頭を叩き付けた。
よくわからないけど、かなり辛いのだろう。
私だって、逆にこのバグのようにしか喋れなくなったらこうなるかもしれない。
瞳の色は完全に黒に戻っているようだ。
脅威は過ぎ去ったようだし、ここは彼を元気付けるしかないだろう。
私は彼の肩に手を置いて、口を開いた。
「夜が訪れても、泣いてはいけないよ。
その後には必ず、朝が来るんだから。
泣いちゃいけないんだ。
朝から雨降りなんて、嫌だろう?」
「えげつねぇ」
「これ見よがしに改行使ってる……」
「ぐぬ!!!!!!」
「この人めっちゃ悔しそうじゃん」
「憧れたんだろうな、嘆いてる人にポエムで元気付けるの」
言い知れぬ達成感が全身を包む。
彼は奇声を発した後、壁と床の間に顔を埋めると動かなくなった。
モザイクが発生していないということは、まだ消去には至らないのだろう。
やはり、鍵となるのは寝室か。
私達は目配せをすると、長い廊下を駆け出した。
ポルターガイスト紛いの現象のおかげで、床は激しく損傷していたが、
少し離れると、かなり緩和された。
「この辺は被害無いみたいだな」
「とりあえず、この廊下を真直ぐ行こう!」
私達は中央のエントランス部分を駆け抜けると、そのままの勢いで突っ切った。
そして扉の前に立ち、ドアノブに手をかける。
なんの抵抗もなく、扉は開く。
念の為、中を確認しなければ。
ドアを乱暴に押すと、それは丁番を軸に半周して、大袈裟な音を立てて壁にぶつかった。
「この部屋は……物置みたいだね」
「さっきから物置多くないか?」
知恵は不思議そうにそう言ったが、こんな広い屋敷に一人なのだ。
使っていない部屋も多いだろう。
次の扉を目指して再び走り始めた時、家森さんがぽつりと呟いた。
「もしかして、普段は二階だけしか使ってないのかも」
先頭を走っていた私だが、それを聞いて足を止める。
背中に家森さんと知恵がぶつかり、危うく転びそうになったが、なんとか踏ん張った。
「ねぇ。そうだよ、それだよ」
「つっても、この先にあるかもしれないだろ?」
「可能性は低いんじゃない? 今ならまだエントランスの階段に近いし、
引き返すなら急いだ方がいいよ」
それでも知恵は納得が行かないという顔をしていた。
そこで、私は多数決にしないかと提案をした。
「いいぜ、んじゃ下から順に調べた方がいいと思う人、挙手な!」
そう言って知恵は一人で挙手した。
私? いや、私は上から調べた方がいいと思う。
一階はどの部屋からも生活感? みたいなものが感じられなかったし。
「はい決まり! 知恵は一人で一階調べてね! 家森さん、行こ!」
「うん!」
「待て待て待て待て! 単独行動禁止だろ!? 月光も『うん!』じゃねーよ!」
二階へと続く階段目指して駆け出した私達の後を、知恵が怒鳴りながらついてくる。
でも一階も気になるから調べてきて欲しい、と思ったけど、さすがに可哀想なので黙っておいた。
階段を上る時に、バグと激戦を繰り広げた廊下にちらっと視線を向ける。
どうやら、彼はまだ沈んでいるようだ。
しかし、いつ立ち上がって私達を追ってきてもおかしくはない。
ピッチを上げてなんとか階段を上りきると、当然と言うべきか。
上のフロアも二手に分かれていた。
「どうする?」
「こっち!」
私達は家森さんが指さした廊下を、再び走り始めた。
普段の運動不足が祟ってるんだろうけど、既に喉の奥から血のような鉄の味がしてる。
「札井さん、まさかと思うけど……疲れてる?」
「えっ、あっ、うん……ちょっとね?」
「ウッソだろお前。老人じゃん」
「はい知恵は一人で一階探索ね」
「そういうのいじめって言うんだぞ!」
どっちがじゃ。私は「年寄り乙www仲のいい友達誘ってゲートボール始めたものの、
ガチで打ち込み過ぎて、エンジョイ勢にキツく当たって人間関係こじらせて
ぼっちな老後でも送ってろwww」と言われてるのと同じなんだから、
一階の探索くらい一人でやってこい。むしろまだ足りないくらいだろうが。
私は知恵を睨みつけながら、なんとか辿りついた扉のドアノブを握った。
「……あ」
「夢幻? どうした?」
ノブが回らない。
当然扉は開かない。
屈んでノブの正面から見ると、鍵穴がついていた。
「ここ、鍵かかってる」
「マジかよ!」
「やっぱり二階だったんだね!」
私はまきびしを呼び出し、外壁を壊した時と同じ要領でドアを破ろうとした。
しかし、それは突如目の前に現れたバグによって阻まれてしまう。