205話 なお、強いとする
重苦しい空気の中、私は突如ゲームに乱入してきたキラという女を観察していた。
女はおもむろにサングラスを外して、マスクをぐっと顎まで下げて知恵と対峙している。
金色の長髪に気の強そうな整った顔。やっぱり、間違いない。
これ、あのKIRAだ……。
菜華が落ちたオーディションに受かったという人間、今をときめく女性ギタリストのKIRAだ。
志音と目を合わせて小さく頷くと、私はとりあえず握手を求めようと駆け寄った。
が、志音に首根っこを引っ掴まれて制止されてしまった。
「ぐえっ」
「バカお前、今はそういう空気じゃねぇだろ」
「なんでよ! 有名人に会ったら握手を求めるのは庶民の義務でしょうが!」
「おまっ、知恵の顔見ろよ」
そう言われて知恵の顔を見ると、なんかすごい顔をしていた。
怒っているようでいて、泣き出しそうにも見える。なんだこれ。
私が知恵に話し掛けようとすると、その前にKIRAがぽつりと言った。
あの曲、まだ弾けるんだね、と。
あの曲というのは先ほど二人がゲームで演奏していた曲だろう。
どこかで聴いた気がする曲だけど、全然知らないアーティスト名だった。
きっとその筋の人達にとっては有名な曲なんだろう。
二人の演奏は、素人の私から見ても一糸乱れずといった感じで、
まるで普段から一緒に活動してるバンドメンバーみたいに噛み合っていた。
知恵のあの表情の意味、なんとなく分かる気がする。
菜華はKIRAのことを昔から知っていて、それでいきなり音を合わせることになっても
難なくこなせるくらい、互いの演奏について知り尽くした間柄だったのだ。
そこが引っ掛かるのは、知恵の立場なら当然だと思う。
「名前は?」
「知恵だけど」
「へぇー。知恵は何のパートなの? 楽器背負って無いとこ見ると、
ギターやベースではなさそうだけど。あ、もしかしてボーカル?」
「あ? 楽器なんてできねーよ」
普段からお世辞にも口がいいとは言えない知恵だけど、今は殊更口が悪い。
纏ってるオーラがヤンキーそのものだ。
制服の上に羽織ってるパーカーのポケットに手を突っ込んで、ギンギンにKIRAを睨み付けている。
友達じゃなかったらチビってたかもしれない。
だけど、KIRAは怯えるどころか、目を丸くして素直に驚いていた。
楽器ができない人種がそんなに珍しいか。
私も志音もできないぞ、どーだ、参ったか。
「嘘でしょ!? 菜華が音楽やってない奴と付き合ってんの!?」
「あぁ? うっせーな」
「いやビビるって、マジで。ひゃー、じゃあどこがいいの?」
これ以上険悪なムードを加速させるな。怖いから。
私は二人の睨み合いを止めることもできず、ただそっと志音の手首を強く掴んだ。
痛ぇって声が聞こえたけど無視した。
「体の相性がいいの?」
「はぁ!? お前頭おかしいんじゃねーの!?」
「綺羅さん、それは否定しないけど知恵が照れるから言葉にするのはやめてほしい」
久方ぶりに声を発したと思ったらロクなことを言わなかった菜華は、
知恵に脛を蹴り飛ばされて蹲ることになった。バカ過ぎる……。
その様子を観察していたKIRAの口元が、楽しそうに弧を描く。
「そっかー。じゃあ知恵には分からなかったかもしれないから教えてあげるね。
私らのさっきの演奏は完璧だった」
「だったらなんだよ」
「ヤったことあるなら知ってるでしょ? そんで聞いてるでしょ? 菜華の耳。
最初の一個目を開けるきっかけになった、思い出の曲なんだよ」
「あぁそうかよ」
このタイミングで口挟んだら顰蹙を買うだろうから絶対に言わないけど……
知恵、ヤったことあるって否定しなかったな……
まぁ私もそうだろうとは思ってたけど、少し前の知恵なら顔を真っ赤にして否定してたはずなのに。
それくらい、二人にとって当たり前のことになったんだろうな。
なんか別次元ってレベルで進んでる。
「嬉しかったなー、菜華がまだあれを完璧に弾けて。
あんなの、一回弾けるようになったからって、ずっと弾いてない人が急に弾けるもんじゃない」
「何が言いてぇんだよ」
「菜華があれ弾いてるの、聴いたことある?」
「ねぇよ」
「……なんでだろうね?」
うっっっっっっっっっっわ、こいつ、性格悪っ……。
性格悪過ぎて引いちゃった……。なんでだろうね? じゃないわ。
何その問い掛け。意地悪大魔神じゃん……。
知恵は今にも掴みかかりそうな目でKIRAを見ている。
若干置いてけぼりを喰らっている私と志音だけど、止められるのは多分私達だけだ。
その前に確かめなければいけないことがある。
私は菜華の横に立って、髪を退かして耳を確認した。
「うわ、何その耳」
「説明が面倒だからオシャレということにしておいてほしい」
「部族じゃん……」
「そう、部族風のオシャレ」
こいつホントに説明がめんどくさいんだな。
さすがに察したのでそれ以上は追求しなかったけど、これをやった張本人が
目の前にいると思えば、知恵の怒りも当然と言えるだろう。
しかも挙げ句の果てに、菜華がKIRAとの思い出の曲をこっそり練習していることが
発覚してしまったのだから。
音楽的な浮気じゃん……。音楽的な浮気ってなんだ……。
知恵は何も言わずに俯いた。そのせいで表情が分からない。
なんだろう、怒ってくれるといいな。
怒りを通り越して泣かれたら、本気で可哀想になっちゃうかも。
「はは、ははは……」
笑い声が聞こえる。これは知恵のものだ。
悲し過ぎて壊れた……私と志音は一度目を見合わせてから、彼女の顔を心配するように覗き込んだ。
菜華は眉間に皺を寄せて気まずそうにしている。
まぁこいつの立場を考えたら当然だけど。
「お前、可哀想だな」
「……は?」
「お前と菜華がどういう関係だったか、確かにあたしは知らねぇ。聞いてねぇ。だってキョーミねぇし」
「強がってんの?」
「今の菜華があるのは、積み重ねてきた過去があるからだ。だから、あたしから
お前に言うべきことがあるとしたら、ありがとう。それだけだな」
「……菜華は、知恵に内緒でギター練習してたんだよ?」
「ばーか。菜華はそもそもあたしの家で既存の曲をほとんど弾かねぇ」
「え?」
どういうこと? ずっと教則本見て基礎練してるの?
いや如何にも菜華らしいけど……説明を求めるように私達が菜華を見ると、
彼女は頷いてから静かに言った。
「知恵が言ったのは本当。知恵と居ると、インスピレーションが次々と湧いてきて、
思い付いたフレーズを弾くのに忙しい。既存の曲なんていつでも練習できる。
だけどイメージを形にするのはその時しかできないかもしれない。
私はそちらを優先する。それだけ」
「ま、あたしが気に食わねーってんなら受けて立つぜ。音楽以外でな」
知恵はそう言って、アーケードゲームがずらっと並んでいる方に視線を向けた。
そうだ、ここにはそういう機械が山ほどある。ゲームセンターなんだから。
KIRAはムカッとした顔をして、すぐにその勝負を引き受けた。
どれでもいいなんて啖呵を切って、知恵の手を引いてゲームを選ばせている。
「なんかよく分かんないけど、知恵の方が一枚上手だったみたいだね」
「だな。懐が広いっつーか、メンタルが強いっつーか」
「ま、血を見るかと思ってヒヤヒヤしてたから良かった、かな?」
「そういえばお前、KIRAに握手してもらわなくていいのか? 今ならいけそうじゃねーか」
「あ!」
志音に指摘されて気付いた。握手してもらうの、すっかり忘れてた。
私は離れていく二人を慌てて追い掛けた。