167話 なお、何故かいなかったとする
私は一人、腹をぱんぱんにして学校に戻っていた。
まだ陽は高い。お気に入りのラーメン屋、鷹屋を出て志音と別れたあとのことである。
あいつを連れていっても良かったんだけど、っていうか私が学校に戻ると知っていたら
絶対についてきたと思うんだけど、四六時中一緒にいると思われるのも
なんだか恥ずかしいから声はかけなかった。
職員室に寄ったが、鬼瓦先生はエクセルの方にいるという。好都合だった。
私の抱えている用事もそういうものだし。
小走りで施設に向かうと、彼はA実習室の横のデスクで書類を読んでいる。
そして今。
私は彼に声をかけた。
「すみません」
「……あぁ札井か。どうした、まだ帰っていなかったのか」
「はい、先生にどうしても相談したいことがあって」
「相談したいこと?」
彼は書類をデスクに置くと、入れと言って立ち上がった。
そうして隣に立てかけてあったパイプ椅子を開いて私の席を用意する。
私が席に着くのを見て、ようやく彼も再び腰を下ろした。
「で、どうしたんだ」
「知恵がエンジンの主人になったの、知ってますよね」
「もちろんだ。彼はいいヤツだ。ラーフルも気に入っていた」
「私も、あそこで生体アームズの主人になったんです」
「……なんだと?」
彼はお化けでも見るような目で私を見て、ガタガタと震え出した。
そして「札井に生体アームズは駄目だ札井に生体アームズは駄目だ」とぶつぶつ呟いている。
先生、私だって傷付くから。
なんでそんな、生体アームズの無事は保障されないみたいなこと言うの。
「と、とにかくだ。そういうことなら基本的な呼び出し方を覚えておいた方がいいだろう。
ちょうど生徒に出した課題にも、目を通し終わったところだ。俺のVP空間に来るか?」
「え? 先生のVP空間……?」
「そうだ。粋先生があった方が便利だろうと作ってくれたんだ。VP許可証も持っている。
つまり、俺とお前はその点で言えば同じ立場ということになるな」
そう言って彼は、ふっと笑った。
そうか……私、先生と同じ立場なんだ……じゃあ私って偉いんだ……。
納得するようにその事実を反芻していると、先生は立ち上がった。
別室へ移動するのだろう。
「善は急げだ。幸い、今日は始業式でVP体験室が空いている。適当な部屋でダイブするとしよう」
「はい!」
そうしていくつかの体験室をたらい回しにされ、私達は先日
雨々先輩と使用したあの部屋に居た。
とりあえずダイブできればどこでもいい。
嫌なサインをさせられた記憶がばっと私を襲ったが、気付かないフリして鞄を棚に押込んだ。
「トリガーの呼び出しを行うまで5分ほどかかる。そこで、それまでに
お前が生体アームズと契約を取り交わすに至った経緯を知りたい」
「契約? 来る? って聞いて、うんって言われただけですけど……」
「そうか……つまり、乙と同じという解釈でいいか」
「そうですね。元々知恵達の話を聞いた私が思いついて、近くに居た子を誘った感じなので」
私達はダイビングチェアに座って会話を続ける。
ラーフルを取り戻したのだって最近のことの筈なのに、
その後にあった試験のせいか、遠い昔のことのようだった。
「しかし、乙達はそれについて何も言っていなかった……知っていたら
もっと早くに俺から声をかけたのに」
「いいえ、知恵達は知らないんですよ」
「何故だ」
「私を置いて帰ったじゃないですか」
「あぁ……そういえば、そうだったな……」
鬼瓦先生は悲しい出来事を思い出すような顔をして私を見た。
そのもう助からない人を見るような目をやめろ、今すぐにだ。
「生体アームズの呼び出し方法と条件は人によって異なるんだ」
「え」
「乙の場合、よほどシンクロしたんだろうな。エンジンの名を呼ぶだけで呼び出しに成功していたぞ」
名前を呼ぶだけで生体アームズが呼び出せるって当たり前のことじゃないの?
だって先生だってラーフルの呼び出しで、あれ?
私、先生がラーフル呼び出すの見たことあったっけ……。
「俺も普通に呼び出せるようになるまでは苦労した。
というよりも、ラーフルが呼び出しの応え方を知らなかったんだ。
元々生体アームズとして使役していた者なら、その辺は問題ないだろう」
「なる、ほど……?」
「お、準備が出来たようだ。札井、すぐに行くぞ」
「は、はい!」
せりあがってきた台からトリガーを手に取ると、私はすぐに装着した。
そうしてトリガーを発動させると、視界いっぱいに草原が広がった。
ラーフル奪還から帰ってきた時に、私をのけ者にしてみんなが居た空間に似ている。
そう、私をのけ者にして。
「ここが俺のVP空間だ。何もないだろう」
「そうですね、木すらほとんど生えてない」
「ラーフルが走り回るのに邪魔だからな」
この人はどれだけラーフルを優先させれば気が済むのだろうか。
いや、もう分かりきったことか。私の視線に気付くと、彼は言い訳をするように続けた。
「それに、俺は他にも遊び場をと言ったんだが、ラーフルは「優人さえいれば何もいらないよ」と言ってくれたのでな」
「なんかすごい特殊なのろけ話を聞かされてるみたいで怖いです」
私は素直に心情を吐露すると、早速本題に移った。
つまり生体アームズの呼び出しについてである。
先生もそのつもりだったみたいで、腕を組んで耳を傾けてくれた。
「姿をイメージして名前を呼べばいいんですよね?」
「そうだ、つまり基本的なアームズの呼び出しと変わらないな」
「さっき言っていた、人によって違うというのは?」
「理屈は分かっていないんだが、媒介になるアームズが必要になることがあるようだ。
俺も身近に生体アームズを使う人間がいないので分からんが、中には二つ以上必要とすることもあるとか」
「媒介になるアームズが必要……?」
それはあまりよろしくない。
枠が一個の場合、彼女を呼び出せないということになる。
とりあえず、私は彼女の姿をイメージしながら名前を呼んでみた。
「キキーー!」
「……ゲヒゲヒと言ったりキキーと言ったり、お前は、その、大変だな」
「ゲヒゲヒとくっつけたらキキも奇声っぽくなるでしょ! やめて!」
困り顔の鬼瓦先生に文句を言って、周囲を見渡す。
キキが呼び出しに応えてくれた様子は無い。
おかしい、待ってるって、言ってくれたのに。
やっぱり媒介が必要なのかな。
「出てこない、か……ラーフル!」
「はーい!」
先生が呼んだ瞬間、彼は私達の目の前に現れた。
久々に会ったけど、やっぱり可愛い。
ラーフルはにっこりと笑って私の前にやってきた。
「札井! 久しぶりだね! この間はありがとう! 何故か札井には会えなかったから、
ずっとお礼を言いたいって思ってたんだよ!」
「ね。ホントにね。何故なんだろね。私だけいなかったの」
その理由については答えたくない。
でもよく考えると、その理由こそが私がここにいる理由、と言えなくもない気がしてきた。
そうだよ、だってその間にキキを誘ったんだから。
生体アームズを説得していて会えなかった。
ほら、なんかかっこいい。
「札井は乙と同じように生体アームズと契約を交わしたらしいんだ。
しかし呼び出しに応えてもらえない。ラーフルは何故だと思う?」
「えー? 分かんないよぉ。でも、それってちょっと前の話だよね?
急に呼び出しに応えなくなっちゃったってことかな?」
「ううん、呼び出しは今日が初めてだよ」
「ええ〜、それは応えてもらえないんじゃないかなぁ……」
ラーフルは眉をハの字にしている。
何やらいけないことをしてしまったらしい。
鬼瓦先生ですらピンと来ていなさそうな顔をしている。
「だって、ぼく達、ずっと待ってるんだよ? せっかく契約したのに
長い間一度も呼び出してもらえなかったら、悲しかったり、怒ったり、
しちゃうんじゃないかなぁ……」
彼に言われて気が付いた。
そうだ、キキは呼び出しされるのを待っていると、明確に言っていた。
そしてあの小鳥は悲しむよりも怒るタイプっぽい。
「なるほど、言われてみればそうだな……ならば札井に取れる手段は一つだけだな」
「何か方法が?」
私は期待に満ちた表情を先生に向けた。
ラーフルも同じような顔をしている。
今にも「やっぱり、ゆーとはすごいや!」と言い出しそうである。
羨ましい、私もこんな風にアームズに慕われたい。
二人を見ると、早くキキを呼び出して仲直りしたい気持ちが一層強くなった。