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Lily paTch  作者: nns
VP研修
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163話 なお、してやられたとする

 ダイビングチェアの上で目を覚ました私は、すぐに横を見た。

 志音は座ったまま惚けているようだ。


「お疲れ」

「本当に疲れたんだけど」

「それな」


 私達は雨々先輩お手製のVP空間から戻ってきたのだ。

 色々と問題は山積みだったけど、秘密を一人で抱え込まなくても良くなったせいか、

 私の気は少しだけ軽くなっていた。


 志音は伸びをして脱力すると立ち上がり、こちらに歩み寄る。

 そうして私の顔を覗き込んできた。


「サイン、しなきゃな」

「分かってるよ」


 いつもとは違う疲労感に見舞われながら椅子から離れると、

 背後では書類の束を持った先輩が笑っていた。

 作り直してくるから待っていてと言われ、私達はなんとなくその場に立ち尽くす。

 先輩は別室に移動してしまったので、二人きりで取り残されてしまった形になる。


「気になるだろ。先輩があたしになんて言ったか」

「当たり前じゃん」

「死ねるようにはするつもりだって言われた」

「え?」


 死ねるようにはする……?

 バーチャルに意識を完全に移した時の話なんだろうけど、それじゃさっきと言ってることが真逆だ。

 私は、あの場で先輩が嘘をつく必要があったのかと頭をひねった。


「真先輩には知られたくないらしい。雨々先輩は二人で同時に

 この世から完全に消えるつもりだって言ってた」

「はぁ……?」


 ちょっと意味が分からない。そんなことをして何になるというのだろう。

 拒否されるのが怖いのだろうか。雨々先輩の為にリアルを捨てた人が、

 今更彼女の望むことに反対するとは思えないんだけど。


「あの人は真先輩と完璧な心中がしたいんだとよ」

「なにそれ怖い」


 完璧な心中ってなに?

 そんな不穏な単語ある?


 私なりにどういった条件が必要か考えてみよう。

 やっぱり、二人できっちり死ねることだろうか。片方が残ったら目も当てられないし。


 でもそれだけなら、真先輩に内緒にする必要はない。

 先輩のことだから、私のような普通の感覚を持った平凡な女には、

 想像もつかないことを考えている気がする。


 私は両手を上げて、降参だとジェスチャーした。


「あたしも上手く言えないんだけどな……幸せの絶頂?

 で、そのまま消えたい、みたいな感じだった。何年か何十年か分からないけど、

 しばらくはあっちで暮らして、今だと思ったときに終わらせるつもりらしい」

「えぇ……」


 先輩、あまりにも自分勝手では?

 いや、真先輩はそういうところもひっくるめて雨々先輩のことが好きなのだろうか。

 もう色々ぶっ飛び過ぎてて分かんない。


「まぁ、先輩の考えてることも、分からなくはないけどな」

「やめてね」

「しねーーーよ」


 死ぬ自覚がないまま、幸せな気持ちのまま自分という存在を完結させることができるなら。

 そう訊かれれば、悪くないと答える人もいそうだ。


 志音はそう言って私を見た。

 その目は”お前はどう思う?”と問いかけているような気がした。


「まぁ……確かに、分からなくは、ないかな」

「一応、雨々先輩なりに責任取ろうと考えた結果みたいだぞ」

「そっかぁ」


 今なら、あの家に戻ってきた志音が笑顔で「二人を応援してます!」と宣言した理由が分かる。

 うん、色々通り越して”二人が幸せならそれでいいや”って気持ちになるね。


 私が妙な納得の仕方をしていると、先輩が戻ってきた。

 その手には数枚のプリント。出て行く前の束と、同じ種類の書類とは思えない。


 どういうこと?

 もしかして、やっぱり書かなくてもいいよと思って置いてきたってこと?


 私と志音が先輩の手元に注目していると、先輩はにっこりと笑って、ボードにそれを挟む。

 サインを書きやすくしてくれてるのかな。ということはやっぱりサインが必要なのかな。

 そんなことを考えると、先輩は私にそれを手渡した。


「簡単な書類にしたからさ。さっとサインだけしてくれるかな」


 そこには、守秘義務を全うすることを誓います、と書かれた書類を渡された。

 あとは、念書にサインすることを誓う、とも。

 念書というのはこのプリントのことだ、上の方に記載されているから間違いない。

 こんなものを書かされなくても、この件を他言するつもりなんてないのに。


 さっとサインして志音に渡すと、彼女も眉間に皺を寄せながらではあるものの、名前を書いた。

 名前書けたんだね。偉いね。


 書かれた名前はボードに読み込まれて、即座にデータ化された。

 そこまで仰々しく管理する程のものでもないと思うけど。


 そうして先輩にボードを返すと、もう一枚の紙をくっつけて、今度は志音に手渡した。

 あの紙はなんだろう。


「っ……」


 私は志音の顔色を見て全てを察した。

 この書類絶対ヤバい。

 普通そのものだった彼女の顔が、見る見るうちに青ざめていく。


「志音……?」

「それ。サインしてくれるよね?」

「いや……これは、ちょっと……ちきしょう、やっぱこういうことかよ……」

「まぁ、しないとダメなんだけどね。一枚目にサインしたよね? 念書にはサインするって」


 先輩はいつものテンションでクスクス笑っている。逆に怖いんですけど。

 耐えられなくなり、私は志音の手元を覗き込んだ。

 そこには、先輩の言うとおり、念書というタイトルのプリントがあった。


【該当VP空間の情報が漏洩した場合、死を以て償います】


「は?」


 いや、普通に考えておかしいよね。

 下の方に私達がサインするスペースがあるけど、ここを埋めるワケにはいかないよね。


 念書が一枚とは限らないかもしれないけど……でも、普通そう思うじゃん……?

 結局、一枚目の書類はこれに確実にサインさせる為の布石だったらしい。

 データ化されている、ということは言質も取られている。


 だけど、こればかりは軽々しくサインしていいものではないと思う。

 っていうか一枚目の時点で勘繰るべきだったね、もう手遅れだね。


 志音の反応は、この文章の異常な点に気付いたからこそのものだろう。

 そう、これは許されるべきものではないのだ。


「あの、これ、おかしいですよね」

「何が?」

「百歩譲って、私達が情報漏洩させたら、ですよね? いや、それでも死ぬっていうのは

 ちょっとアレですけど……この書き方じゃまるで、私達以外の誰かがやらかしたとしても、

 私達の責任になるみたいな」

「そうだよ」


 涼しい顔で私の発言に被せて肯定する。

 隣では志音がやっちまったという顔をして額を押さえている。

 何? アンタもう諦めてんの? こういう時こそ戦わないでどうすんの?


「有事の際にこういった書類に同意しないと、デバッカーとして

 活動できないことが法律で決まってるけど」


 はい負けました。

 返す言葉が見つからず、私達は下の空欄を自分の名前で埋める事となった。

 つまり、私は志音をとんでもないことに巻き込んでしまったということになる。

 こうなったのは先輩なりの対策だと思う。

 今回みたいな事が起こらないように、別の学年にも監視の目を光らせたかったんだ。


「……こわ」


 え、この先輩こわ。

 普通ここまでやる?


 分かってる。普通という言葉が、この先輩には全く通用しないことくらい。

 それにしたって限度が有るじゃん。やっていいことと悪いことがあるじゃん。

 いや、それすらこの先輩にはないのか。

 殺人という重罪のような真似を、愛という感情を原動力にやってのける人なのだから。


 そうして私達は鞄を手に、本日二度目の下校をした。

 先輩ヤバいという単語をうわ言のように呟きながら、亡霊のように足を動かす。

 帰路の分岐点まで辿り着くと、私達はどちらからともなく立ち止まった。


「私達、これから命賭けで先輩の秘密を守らないといけないんだね」

「成行きとはいえ、これはな……」

「先輩達より私達の方が先に心中しそう」

「洒落になってねぇ」


 なんとなく一人になりたくなくて、しばらく道の端に寄って、落ちゆく太陽を眺めていた。

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