162話 なお、ぴったりくっつくとする
雨々先輩から経緯を聞かされた志音は唖然としていた。
私を見ると、「お前……数時間とはいえ、こんなのよく一人で抱え込んでたな」と零す。
「びっくりした?」
「これでびっくりしないヤツがいるなら、お目にかかってみたいですよ」
私達はテーブルを挟んで先輩二人と向かい合っていた。
全てを聞かされても尚、志音は信じられないという気持ちが拭えないらしい。
きょろきょろと周囲を見渡して、ここで真先輩が生活しているということを確認しているようだった。
キッチンの上の調理器具、棚の中で綺麗に重なっている食器、
窓際の花瓶からは小さな花が顔を出している。
「……マジ、なんだな」
志音は観念したようにそれを認めると、真先輩の目を真っ直ぐ見て言った。
「マジなのはわかったんで、何か履いて下さい」
「え? ねぇ笑、履いた方がいい?」
「履かなくていいよ」
「うん! 分かった!」
「オイ!」
相手が先輩であることも忘れているらしい。
志音は顔を赤らめながら勢いよく席を立った。
叩かれたテーブルがバンと鳴る。
しかし、先輩達は涼しい顔でコーヒーを啜っていた。
志音の抗議を笑顔で流すと、雨々先輩は呟いた。
「いつか、私もこっちに身体を移すつもり」
その言葉に、私達は絶句した。
つまり、彼女はリアルの世界で死のうとしている、ということになる。
志音と目を合わせて互いに首を振った。うん、ね。この人本当にヤバいね。
「そもそも先輩は、どうして真先輩にこんなことをしたんですか?」
「さっき言ってたろ、好きだからって」
「いやアンタ、私のこと殺すの?」
「そんなヤバいことする訳ねーだろ」
「それ間接的に私のことヤバいって言ってるよね?」
先輩は志音を視線で射殺すと、私を見た。
人一人を殺したばかりのその目が怖い。瞳の奥がぐるぐるになっている。なにその目。
たじろいでしまったけど、このまま有耶無耶にされてはいけない。私は勇気を振りしぼって続けた。
「でも、いま志音が言った通りですよ。真先輩が好きなのは分かります。
でも、方法はいくらでもあった筈です。危ないという理由であれば、
デバッカーを辞めさせれば良かったし、独り占めしたいなら監禁とかでも良かったじゃないですか」
いや監禁はまずいよ。
そうは思ったが、わざわざこんな大掛かりな、下手したら本当に死んでしまうような
方法を取るよりは現実的な気がしたのだ。
先輩は私の考えをあざ笑うと、子供を諭すように言う。
「でも、それじゃ死んじゃうよね?」
実際に相方を殺しておいて何を言っているんだ。
私が困惑していると、先輩は追い打ちをかけるように、優しい顔のまま続ける。
「私は、死んじゃったら終わりだと思うな」
だからって予め死んでおくのはおかしいと思うんだけど。
しかし、彼女の主張が少し分かった気がした。
「つまり、バーチャルに精神を移せば、肉体に囚われずに永遠に一緒に居れる、と?」
「そうそう。そういうこと」
先輩はにっこり笑って肯定する。そういうことなら、私から言えることはもう何も無い。
というかこれ以上異論を唱える勇気が出ない。
さっき出したもん。今日の分の勇気は残ってません。
腕を組んでため息をついていると、隣のゴリ子が「ちょっといいっすか」と、控えめに手を挙げた。
「何? 小路須さん」
「死にたくなったらどうするんすか?」
「そんなことないよ」
「そうっすか? あたしは未来永劫バーチャルで生き続けるなんて嫌だけどな」
「私達は小路須さんじゃないから」
「でも、VPと言えど、絶対に環境が変わらない保障はないじゃないっすか。
長い目で見れば、二人の為に作ったここが、地獄のような環境に変わる可能性だってある。
それでも絶対に有り得ないなんて言えるんすか?」
「小路須さん、ちょっといい?」
先輩はつとめて笑顔で、しかし速やかに志音を家の外に連れ出してしまった。
真先輩はうとうとしている。自由過ぎるわ。
今の会話もほとんど頭に入っていなかったようだ。
私は志音の主張も一理あると考えていた。
今はVPという、国家資格者が管理する特別な空間として存在しているけど、
現在の体制がいつまでも継続されることはないだろう。
もしかしたら画期的な技術が開発されて、現在のプロテクトが意味の成さないものになり、
簡単にこの空間に侵入できるようになるかもしれない。
致命的な問題が起こって現存するVP空間を削除することになるかもしれない。
この空間がなんらかの要素によって歪められる可能性は充分あるように思える。
戻ってきたら私も志音に同調しよう。
そして考え直してもらわなくちゃ。
真先輩には悪いけど、彼女にだって悪い話じゃない筈だ。
雨々先輩がリアルに居続けるってことは、この空間の保全に繋がるんだし。
「笑がこっちにくるとしたら、あと10年後くらいがいいかなぁ。いや、15年くらいかな?」
「どうしてです?」
真先輩はニコニコしていた。
テーブルに肘を付いて、どこか楽しげだ。
「成人女性と女子高生って組み合わせ、すごいえっちくない?」
「さらに上を目指そうとしないで」
どこまでどん欲なんだ、この人は。
もう既に全日本えちえち女子高生選手権で上位5位くらいに食い込めそうなのに。
なんならディフェンディングチャンピオンとして名を刻んでそうなのに。
私が唖然としてると、出て行った二人が戻ってきた。
何故か二人ともニコニコしている。
え、志音のあんな屈託のない笑み、初めて見たんだけど。気持ち悪……。
「あたしが間違ってました! 二人のこと応援するんで!」
「どうした?!」
大変だ、志音が洗脳されてしまった。
私も同調しようと思ってたのに、これじゃ話が進まなくなる。
しかし残念なことに、当の本人は朗らかに笑い、椅子を引いて席に着こうとしていた。
止めなくちゃ。私は志音が腰を下ろす瞬間、椅子を蹴り飛ばした。
「いてぇ!」
「大丈夫!? 正気に戻った!?」
「痛ぇな! まず怪我の心配しろよ!」
志音は椅子があった筈の床に尻餅をついて悲鳴をあげた。
起き上がる前に私に抗議すると、尻をさすって何やら呟いている。
私は自身のアームズを呼び出すと、彼女に差し出した。
「志音? 大丈夫? これ使う?」
「どうやって用いることをイメージしてあたしにそれを差し出してるんだよ」
ぺしっと叩き落とされた地面に刺さる寸前、私はそれを念じて操作する。
志音の眉間を陣取らせると、ほっと一息ついた。
「何かあったらすぐに言ってね」
「眼前にまきびしがあるんだけど」
お騒がせしてすみませんと先輩達の方を見ると、雨々先輩はいつも通り
若干引いた表情を、真先輩は目を輝かせていた。
なんだろう。まきびし欲しいのかな。さっきお尻にあげたばっかりなのに。
「笑、この子達、本当にすごいね」
「でしょ?」
「うん! テレビいらないって感じ!」
よく分からないけど失礼なことを言われてるのはよく分かった。
私は怨嗟に満ちた視線を真先輩に送ったものの、彼女の隣から除霊と呼ぶには生温い、
火を炎で焼き尽くすような業火の如き視線を感じたので、すぐに笑顔を作った。怖過ぎ。
「なぁ、やっと気付いたけど、もしかしてまきびしを状態異常回復アイテムのように
使おうとしてないか?」
「そうだけど……」
志音は当たり前のことを、困った表情で訊ねてきた。
そうに決まってるじゃん。針で刺されたら大概のことはどうでも良くなるでしょ。
沈黙も混乱も痛みで解消するよ、大丈夫。
毒だったら、うん、傷口から毒が出てくれるかもしれないから、やっぱり有用だよね。
っていうか、そんなことはどうだっていい。
私は二人が外で何を話してきたのかが気になるのだ。
わざわざ外に出て話したってことは、私か真先輩に聞かせたくないものなんだろうけど。
分かってるけど、無視できなかった。
「二人で何を話してきたんですか?」
「大した話じゃないよ」
先輩はそう言って笑ったけど、戻ってきたら意見が
180度変わってるなんて、絶対におかしいよね。
志音を見ると、彼女は「大丈夫だ、心配すんな」と言った。
首を振ってまきびしから逃れようとしながら。
あんまり動くと目に刺さるから止めた方がいいよ。