155.5話 なお、まぁいいけどさぁとする
真に会いに行くのは、私の日課だった。
今日はVPの為の登録作業が終わった後輩達を見届けてからのダイブとなったので、
いつもよりも少し時間が遅いけど。
起動させたダイビングチェアが立ち上がるのを待つ間、
小さな棚の傍らに立って、後輩達のことを考えた。
本当にあの子達がVP許可証を手にするとは。
小路須さんは分かるけど、札井さんについては本当に予想だにしていなかった。
簡易ロッジの設置もまともにできなかった彼女が。
というか、未だにまきびししか呼び出せないのに。
この狭き門を強引に潜り抜けたというのが信じられない。
やっぱり面白い子だ。真に会ったら話そうと思う。
例のまきびしの子が免許試験に合格したって。
部屋が明るくなる。振り向くと、ダイビングチェアのモニターが煌煌と点いていた。
私はペットボトルを足元に置くと、すぐに席に座った。
トリガーを装着してスイッチを押すと、そこには見慣れた光景が全然広がっていなかった。
「……え?」
やけにファンシーな家が私を出迎える。
まるで、後輩達がテストダイブする舞台のような建物だ。
家というか、小屋というのが正しいだろう。
確かに、真には多少の創造権を与えてはいる。
創造権というのは、ほとんどVP管理者達しか使わないような用語で、つまり製作した
世界に対して、他人にどれだけ干渉する力を持たせるかというものである。
一種のアクセス権と考えてもらって間違いない。
真は自分が存在する空間にお菓子の家を作るくらい、容易くできるだろう。
しかし、私は彼女がそれを行使しているところを見たことがない。
今までと同じように生きる、それが彼女の選択した道だった。
そんな彼女が突然、こんな非現実的なものを造りあげるとは……考えにくい、けど
そうであって欲しいと思っている。
だって、そうじゃないと、私のダイブ先がそれになってしまっているということになる。
もしそうだとしたら、かなり笑えない。
「真?」
ドアを開くと、甘ったるい匂いが私を襲う。
甘いものはあまり好きじゃない。匂いで胸焼けしそうだ。
少量なら美味しくいただけるが、すぐに「もういい」となってしまうタイプなので、かなりキツい。
容赦ない香りに、入室前から若干気分が悪くなったが、中に入って真の姿を確認しなければ。
というか、もうダメなんだろうな。
粋先生、設定間違えて私のVP空間勝手にいじっちゃったんだろうな。
他の管理者では外部から覗けないようにプロテクトをかけているとはいえ、
あの六人の内の誰かは、知らず知らずの内に私のVP空間に飛び込み、真と対面している筈だ。
「……家森と井森って、言ったっけ。あの二人じゃないことを祈るけど」
これは勘ではない。
あの二人の食い散らかしっぷりは上級生である私達の耳にまで届いている。
といっても、知ってる人の方が少ないような小さな噂だけど。
部屋の中の点検は一瞬で終わった。だって狭いんだもの。
実際この小屋に住むことになったら、トイレとかどうするんだろうなんて
無粋なことを考えつつ、私はテーブルに座ってみる。
ちなみに椅子は切り株のような菓子で出来ている。
ふちを握って力を入れてみると、それは乾いた音を立てて割れた。
どうやらクッキーのような生地で出来ているらしい。
食べてみると、香ばしくて結構美味しい。
「……やっぱりお菓子、か。はぁ。あー……もし真があの二人のうちのどっちかと会ってたら……」
いくらなんでもそれはない。大丈夫。
浮気の可能性を否定しつつも、もう一人の自分はつらつらと最悪の事態を想定していく。
先々まで、よりリアルに。考えたくないと思えば思うほど。
後輩に組み敷かれて、まんざらでもない表情を浮かべる真が脳裏によぎったところで、限界を迎えた。
「……大丈夫かな、私。できれば後輩は殺したくないんだけど」
少し落ち着こうと思う。私は自らの《《得物》》を呼び出すと2、3回大きく振った。
それだけでチョコやらクッキーやらで出来た屋根が落ち、ウエハースやらで出来た壁が崩れる。
すっかり明るくなった、もはや室内とは言えないそこで、私は一人佇んでいた。
「ふぅ……やだな。いくら真でも、自分がすごく寂しい存在なんじゃないかって、気付いちゃうかも」
それは都合が悪い。彼女は私のことだけ考えていればいいのだから。
もっと他の人と話をしたい、などと言われた日には、そのきっかけを
与えた人物を消してしまいそうだ。
まぁ、まず第一に、設定を間違えたであろう粋先生なんだけど。
考えたくはない、が、何かあったときの為に、暴れる用の仮想空間を
作っておいた方がいいのかもしれない。
この世界にも太陽は設定されているらしい。
作りものの太陽のような何かに目を細めると、足元に散らばっているチョコレートを拾って口に運ぶ。
「うん、やっぱり美味しい」
そういえば、今日は真がクッキーを焼いてくれるって言ってた。食べ損ねちゃったけど。
代わりと言ってはなんだけど、少し味見をしたアレでも食べようか。
切り株をサッカーボールの様に蹴ってみると、何処かに飛んでいくことなく、
粉々になって足元に散らばった。
塵のように地面に広がる、ゴミと化したそれをぐじぐじと踏み躙ってみる。
「はぁ……」
彼女に会えないことも、誰かが私達だけの空間を汚していることも、
その後の対応についても、何もかもが気がかりだった。
早く真に会いたい。
今日はVP空間の修正をしたあと、チェックと称して真に会いに行こう。そうしなきゃ。
しかし、どちらにせよ、それが可能になるのは後輩達のテストダイブが終わってからだろう。
私はクッションとして置かれている巨大なマシュマロに体を沈めると目を瞑った。