131話 なお、実は死にかけていたとする
枕を取りに行った後、私達は部屋に戻り、映画の続きを再生する。蚊はどこかに消えたようだ。
家の中を捜索しようとウロウロし始めたところで、ゴリラに怒られてしまった。
ちなみに、ゲストルームには入れて貰えなかった。こいつ私のこと1mmも信用してないよね。
「……ごめん、ストーリー忘れた」
「あたしもだ」
時間が空きすぎたせいか、映画の内容が全然頭に入ってこない。
というか、この刑事さん誰だっけ。
ぼんやりとテレビを見つめていると、志音がおもむろに口を開いた。
「いつも通り、ピザでも取るか?」
「え、いいの?」
「作ってくれないんだろ?」
「パテ・ド・カンパーニュとかでいいなら作れるけど……」
「普通にめちゃくちゃ料理できるんじゃねぇか」
誰も作れないとは言ってない。
お礼として振る舞って恥ずかしくない料理を作る自信がないだけ。
私はつらつらとそれを述べると、志音はやけに目を輝かせた。
子供が玩具を見るような目だ。
「じゃあ、和食とかも作れるのか……!?」
「和食がいいの? 分かった、じゃあ今日の夕飯はおにぎりね」
「いきなりレベル下がってんじゃねーか」
期待したり落ち込んだり、こと料理に関する志音のリアクションは見ていて飽きない。
でも、よく考えたら夕飯におにぎりとか、私が嫌だな。
「和食は苦手なんだな」
「一通り作れるくらいだよ。郷土料理はあんまり自信ないけど」
「やっぱ作れるんじゃねぇか!」
志音がうるさいので、メニューは冷蔵庫を見て決めることになった。
この会話の最中にもずっと流れていた映画は、おどろおどろしいBGMと成り下がっていて、
部屋を離れる時に一時停止することすら放棄された。
「冷蔵庫の中なぁ。あんま入ってないと思うぞ」
「んじゃ、失礼しまーす、っと」
「どうだ?」
「あ、ステーキ用の肉入ってる! めっちゃいい肉じゃん! メニュー決まったね」
「初めて母さんのこと恨んだ」
志音はお母さんを恨んでるようだけど、私にとってこれ以上無い幸運だった。
うちじゃこんなにいい肉には、なかなかありつけないから。
何を残念がっているんだ、この小僧は。贅沢にも程があるわ。
「まぁ出来るだけ手間かけて焼くよ」
「何するんだ?」
「焼いてる最中にスクワットしたりする」
「味に反映される手間をかけてくれ」
私は志音にアルミホイルを用意させて、調理に取りかかった。
っていっても、大雑把に言うと焼くだけだけど。
「アルミホイルなんて何に使うんだ?」
「あぁ、志音はオーブンとか使う派?」
「あ? こんなもん、じゅっと焼いて終わりだろ」
「もうお前は生肉でも食ってろ」
信じられない。こんないい肉を適当に焼いておしまいだなんて。
いや、ゴリラ的に言えば、火を通しただけでも上出来なのかもしれない。
そう考えると、むしろ良くやっていると言えなくもないだろう。
「ごめんね、火、通したんだよね。偉いね」
「すっげームカつく」
私はあやすように志音の頭を撫でて、手を洗う。
パッケージから肉を出して下ごしらえしていると、電話が鳴った。
空中にディスプレイが表示されるタイプのもので、手が濡れていようが、汚れていようが関係ない。
料理中も気兼ねなく応じる事ができるのだ。
ディスプレイをタップしようとすると、志音が口を挟んだ。
「出なくていいぞ、多分勧誘とかだ」
「勧誘?」
「あぁ。教材のセールスとか。最近は詐欺の電話も多いみたいだし、関わらない方がいいだろ」
画面には非通知の文字が表示されている。確かに、この上なく怪しい。
しかし、呆れたような顔で腕を組み、ディスプレイを睨んでいる志音を無視して、私は電話に出た。
こんなものは出鼻でブン殴れば、何の問題も無いのだ。
「お電話ありがとうございます。こちら、鈴重警察署南交番です。あ、切れた」
「先手打ち過ぎだろ」
「札井セキュリティを忘れてもらっては困るね」
「さっきお前がその設定を忘れたせいで、私が困ったけどな」
クレームを聞き流しながら、私の調理の手は淀みなく動く。
食器を用意させることでその口を塞ぐと、今度は知らない番号から電話がかかってきた。
ディスプレイの右上に志音と書かれている。
志音はケータイにかかってきた電話をこちらに転送しているようだ。
どうせ家には自分しか居ないし、と考えてのことだろうか。
ケータイの電源が切れている事も多いし、掛ける側としても有り難い対策と言えなくもない。
「これ、取っちゃっていいの?」
「あ? 誰だ、これ」
「アンタにかかってきた電話でしょ」
「そうだけど……まぁいいや、あたしが出るよ」
「なんで? 私が出る」
「あたしのケータイにかかってきた電話に他のヤツが出たらおかしいだろ!」
再び志音の声を無視しつつ、私は通話ボタンを押した。
音声のみの通信なので、姿が見える心配もない。ちょっとイタズラしてやろう。
「もしもし、なんざますか?」
「お前の口調の変化が”なんざますか”だよ」
「うを!? 志音じゃねーのか!?」
この声は知恵だ。志音に電話だなんて珍しい。
っていうか、志音もクラスメートの電話番号くらい、登録しといてあげてよ。
「志音の母のクリスティーネですが?」
「あたしの母さん日本人だぞ」
「す、すみません! えっと、志音の友達の知恵って言います!」
ヤバいコイツ信じてる。
っていうか、クリスティーネって何?
自分で言ったくせに、珍妙過ぎて笑いそうになるんだけど。
しかし、ここまで信じてくれているのだ。私は母になりきらなきゃいけない。
「知恵さん! あなたが噂の!」
「え、噂? あたしのことなんか言ってたのか!?」
「ご学友の菜華さんといい仲だそうで」
「はぁ!? あいつそんなこと親に言ってんのかよ!」
「なんざますか! その口の利き方は!」
「すいません! いい仲です!」
びしっと背筋を伸ばしているのが見えるようだ。
堪えきれなくなり、私は笑いを噛み殺した。
今まで小声で喋っていた志音だったが、見かねて「そろそろやめてやれ」と声をかけてきた。
「あー……面白かった。ごめんごめん、私だよ」
「は、はぁ!? あ、夢幻か!?」
「そーだよ、何? クリスティーネって」
「てめぇが言ったんだろーが!」
知恵はぎゃんぎゃん吠えている。
おそらく、羞恥と怒りで顔を真っ赤にしていることだろう。
「悪かったな、こいつが勝手に電話出ちまって」
「ったく、勘弁しろよ……マジでビビったろうが……」
「安心しろ、母さんは知恵のことなんて知らねぇから」
「それはそれで悲しいじゃねーか」
複雑そうな声色が聞こえたところで、私は肉をひっくり返した。
ヤバ過ぎ、めっちゃ焦げてる。これ志音の分ね。
「で、なんの用だ? 夢幻に聞かれてマズイなら、5分後にまた掛け直してくれ。
今度はケータイで取るから」
「いんや、暇だったからかけただけだ」
「なんだ。あたしらこれから夕飯なんだ」
「いい仲なのはてめぇらの方じゃねーか。邪魔しちゃ悪いから切るな」
「あ、志音の肉めっちゃ焦げたから」
「炭じゃねーか!!」
炭化したそれを志音に押し付けながら、私は知恵に話し掛ける。
「別に切らなくていいよ。っていうか菜華は? そっちこそ入り浸ってそうだったけど」
「あいつならそこでギター弾いてるよ」
「自由かよ」
私達は菜華の自由さにドン引きしながら食事の支度をした。
うん、私の肉はすごいいい感じで焼けてる。
フライパンの具合を確かめる為に、分けて焼いたのは正解だった。
私は自分の判断に惚れ惚れしながら、取り出した肉をアルミホイルで包む。
「お前らも泊まりなのか?」
「じゃねーの? コイツ、昨日も泊まってったし」
「やべーな」
「ところで、菜華ってなんでそんなに知恵が好きなの?」
前から気になっていた疑問をぶつけてみた。
菜華という生き物が知恵を好いている、これがデフォになっていたけど、
その由来を聞いたことは無かったのだ。
食卓についた志音も、「そーいやなんでだ?」なんて言いながら、炭にナイフを入れている。
ねぇその炭食べるの?
「それがわっかんねぇんだよなぁ。心当たりと言えば、滅茶苦茶になってる
コイツのネクタイを結んでやったくらいだ」
「……へ、っへぇー」
それ、私もしたことある。
そうか、あの日以降、知恵が私の代わりに菜華のネクタイを結んでいたのか。
世話焼きなコイツの事だ。
あの破滅的な、現代アートのような結び目が視界に入る度に直してやっていたのだろう。
「もしもし」
「菜華か。ギターはもういいのか?」
「えぇ。夢幻に一つ言っておきたいことがあって」
「わ、私に? なに?」
「夢幻が私のネクタイを直してくれたとき、正直落ちかけた」
「っっっっぶな!!」
「失礼だろ!?」
志音が私を窘めるけど、これを危ないと言わずしてなんと言うの?
一歩間違えば私がターゲットになってたんだよ?
っていうか、ビックリする程惚れっぽいくせに愛が重いって怖すぎるわ。
お手軽メンヘラは駄目、回避しようがないもん。
「っへぇー…………」
知恵はあからさまに面白くなさそうな声をあげて黙り込んだ。
「い、今は違う」とか「知恵だけだから」等という、かなり珍しい菜華の焦った声が
電波に乗ってこちらに届く。
ねぇ、二人ともめんどくさい。
あんたら結構お似合いだよ。
私は二人の痴話喧嘩を聞き流して肉を口に放り込んだ。
「あ、めっちゃおいしい」
「良かったな」
「志音はどうしてお歯黒してるの? どなたか亡くなったの?」
「お前が生成した炭のせいだよ!」
黙らせる代わりに、志音に私のステーキを切り分けて食べさせた。
眉間に寄っていた皺が、咀嚼を繰り返す度に消えていく。
「うっま……!」
「ね。こんないい肉が冷蔵庫に入ってるなんて、志音は幸せ者なんだよ」
「自分用に出された肉がRGB(0, 0, 0) って感じでもか?」
その後、私達は食事を終えて、流しを片したけど、知恵達はまだ似たようなやりとりをしていた。
知恵は既にケータイを手放してどこかに置いていたみたいだけど、
時折「うるせー!」とか「ばーか!」とか言う罵声が聞こえてきたので、間違いない。
「ねぇ、二人とも。通話中だって忘れてるでしょ」
やることも無くなった私は、大きめの声でディスプレイに話しかけてみた。
すぐあとに、「おーい、聞いてるかー?」と志音の声が続く。
少し間を置いて、ガサガサという音が鳴った。
「ご、ごめん! そういえば電話中だったよな!? そ、その、えーと……」
「いや、いいよ。なんとなく察してるから」
「悪ぃ……」
「仲直りのエッチでもしなよ、なんてね」
「大丈夫、今してた」
「とっとと切れ!」
切れと言いつつ、通話終了のボタンをタップした。
いや、タップと言っていいのだろうか、空中にでかでかと表示されていたそれに、
殴りつける勢いで触れた。
菜華なりの冗談だったんじゃないか?
なんて、冷や汗を流しながら志音はフォローしてたけど、苦しすぎて居たたまれなくなってくる。
あんな冗談を言った私も悪かったけど……あの二人のことはもう忘れよう、それがいい。
部屋に戻ると、テレビが真っ暗になっていた。
点けっぱなしで出てきた筈なんだけど。映画も終わって、そこからさらに
しばらく時間が経って、スタンバイのモードにでもなっているんだろう。
志音はディスクをケースに戻しながら、呟いた。
「なぁ」
「何?」
「ホラー映画と菜華、どっちが怖い?」
「菜華って言わない人いるの?」