128.5話 なお、エンジンは動き続けるとする ●
目が覚めるとそこは暗闇だった。
オレはどこにいるのかも、いや、それどころか、自分が何者なのかも分からないまま、
ただ命ぜられるまま手足を動かした。
進め、止まれ。
何かが、ただそれだけを、頭の中に直接呼びかけてくる。
その声に従うだけでいい。オレに意思は必要無い。
誰から言われた訳でもないのに、生まれた瞬間から、何故かそう認識していた。
毎日毎日、呼び出されては何かの上を走る。
しばらくしてから、それが回転する床だと知った。
そして、更にその後、オレは何かの機械の動力源らしいということを知った。
聞こえてくる会話の内容が段々と理解できるようになり、
ミヤベってヤツがオレの生みの親だと知った。
オレの名前はエンジン、色々な声がオレをそう呼んでたから間違いない。
そこからさらに数日後、オレはオレであることを知られていない、という事に気付いた。
つまり、オレはこうして自分で考えることのできる生き物だけど、
そうだとは思われていない、ということだ。上手く説明できないな。
物だと思われてる、これで分かるかな。言葉って難しい。
オレは生きている。急にそれを伝えたくなって、声を出そうとした。
イタズラ心だった。ミヤベ達のように話せなくていい。
ただ、同じように声を出せれば、きっと気付いてもらえる。
上手く喋れるかな。いつも冷静沈着なミヤベは、どんな反応をするだろう。
不安と期待に胸を膨らませる。
呼び出しが解除される前に、ミヤベ達は必ずオレの近くに寄るから、その時を待った。
そして、帰還命令をこなした直後、いよいよ吠えようとしたが、それは叶わなかった。
口が開かなかったから。ほんの少しだけ開けることは出来るけど、それだけだ。
触れてみると、何かがオレの顔を覆っていた。自分の体じゃないような違和感がある。
それは恐らく、オレの体の一部ではなく、後から取りつけられた枷なんだ。
何も知らないオレだけど、感覚的にそれを理解した。
暗闇の中、ミヤベ達の声が聞こえる。
本当に燃料無しでよく走りますね。静かで、それでいて速い。
みんな、興奮した様子でそう言った。嬉しそうだった。
ミヤベらしき声が、それを聞いて”あぁ、自慢のエンジンだ”と言った。
そしてオレは、忘れていた事を思い出す。
そうだった、ただ脚を動かす為に呼ばれたんだった。
生きてるかどうかなんて、きっとミヤベ達にとってはどうでもいいことなんだ。
こんな大事なこと、忘れるなんてどうかしてる。
この時に感じた気持ちの名前を、オレは知らなかった。
オレは来る日も来る日も走り続けた。
それがオレの存在意義だから。それしか無いから。
喋っちゃいけない。疲れちゃいけない。
そのことをなんでか良く思えないオレがいるんだけど、多分、
そんな風に何かを感じることも、本当は許されていないんだ。
オレはオレが動かしている何かのパーツの一部になろうと、脚を動かすことだけを考えた。
燃料というのは、走る為に必要なものらしい。
オレはそれが要らないから、すごいらしい。
オレってすごいんだ。そう思ったけど、別に嬉しくなかった。
ある日、停止信号が聞こえたから脚を止めた。
いつもなら、カシャカシャとかジーという音がしばらく鳴って、すぐにまた動くように言われる。
音が鳴り止んだ、そろそろ行くか。
発進の合図を待ったが、なかなか出ない。その時、ミヤベの声がした。
お前のおかげだ、ありがとう。
ミヤベは、確かにそう言った。オレが物だと思っているくせに、そう言ったんだ。
その日から、たまにミヤベはオレに話しかけるようになった。
顔に付けられている何かのせいで、リアクションはできないけど、
どうせ生き物だと思われていないし、そういう時は黙って耳を傾けた。
「調子はどうだ」
「今日はいつも以上に走ってもらうぞ」
「カメラの調子が悪い、あまり飛ばし過ぎるな」
話しかけられる言葉の意味が分からないこともあったけど、嬉しかった。
いつからか、ミヤベの言葉がオレの燃料になってた。
ある日、みんなの会話が聞こえた。今日はこれで終わりらしい。
オレは狭いスペースに座って、いつも通り過ごしていた。
「今年のクリスマスはお前達と過ごす事になりそうだな」
「いいじゃないですか、クリスマスに仕事。社会人なんてそんなもんっスよ」
「折角だし、ケーキでも食うか?」
「バーチャル空間に持ち込めるのか?」
「あぁそうか。じゃあ、飾り付けでもするか」
「そりゃいい。おーい、エンジン! 当日はゆっくり走ってくれよ!」
そう言ってみんなは笑っていた。
いきなり話しかけられたオレはめちゃくちゃビビった。
くりすます? という日には、ゆっくり走らないといけないらしい。
ゆっくりってどれくらいだろう。いつもの半分くらいかな?
普段、淡々としているみんなの声が浮ついている事は、はっきりと分かった。
きっと、くりすますっていうのは、とても楽しい日なんだろうな。
でも、”けーき”ってなんだろう。”かざりつけ”ってなんだろう。
オレの頭の中はそんな疑問で埋め尽くされたけど、それを吐き出す術は無かった。
当日になれば、分かるかも知れない。それまでは、オレにできることをしよう。そう決めた。
いつもよりも長い距離を走った。
最近は”ろっじ”近くの”えりあ”の”たんさく”が終わったから、
”しんきかいたく”の為に、”えりあ”の奥の方まで走ってきた、らしい。
オレは外を知らない。
ミヤベ達の話のおかげで、自分が何をしているのか、なんとなく知っただけだ。
疲れを感じない体のはずだけど、いつも以上に多くの指示を出されて、今日は大変だった。
そんな日の終わりのこと。
ミヤベがオレの呼び出しを解除する直前、聞き慣れない声がした。
ミヤベの声も緊張している。多分、すごく偉い人なんだ。
ボスには従うべき、それはオレでも分かる。
「そろそろ調査も大詰めだろう」
「えぇ、もう一週間もあれば。それが終わってからは、年末までは他部隊の補助に回ろうかと」
「いや、いい」
「はい?」
「来年の新天地に向け、ゆっくりと英気を養ってくれ」
新しいエリアは”しんてんち”っていう場所なのか。
このエリアの後に、別の場所に行くことは、ミヤベから聞いていた。
みんなが嬉しそうな声を上げてるから、”えーき”をやしなうのは、いいことなんだろうな。
みんなが嬉しいと、オレも嬉しかった。
「クリスマスはゆっくりと家族と過ごせそうだな」
「嫁さんと久々にどこか行こうかな」
「自分は子供が生まれたばかりなんで、家でのんびりっすかね」
ボスは帰ったようだ。聞き慣れた声しか聞こえない。
嬉しそうな、いつもより少し間の抜けたみんなの声。
この会話で、オレはみんなとクリスマスを過ごせないんだって分かった。
ゆっくり走る練習、してたのにな。
オレはクリスマスを諦めきれなかったんだと思う。
自分でも分からないけど、きっとそう。
翌日からは、思うように手足が動かなかった。
ゆっくりと走れば、その日をみんなで迎えられるって、オレは分かってた。
関係無いと言ったら嘘になるだろう。
目が覚めると、鮮やかな何かがオレを襲った。見るもの全てに驚いては怯えた。
そして、感動した。赤い、青い、遠い、眩しい。
それらは聞いたことのある感覚。一辺に体感して、オレは震える。
体に当たってはオレの体を撫でる何かは、ミヤベ達が言っていた”かぜ”だ。
それに気付くと、ゆっくりと息をして、もう一度辺りを見渡した。
色んな音が聞こえる。
今までオレが聞いてきた、”カシャカシャ”と”ジー”以外の、色んな音。
どこか狭いところに閉じ込められているのは分かっていた。
それがオレに与えられた仕事だから、何とも思わなかった。
だけど、あの機械の外には、こんな世界が広がっていたんだ。
ミヤベ達はこんな景色の中で、仲間と話しながら、”しごと”をしていたんだ。
今もどこかにいるのかもしれない。オレはミヤベ達を探すことにした。
初めて世界を知った日、それはオレが悲しみを知った日だった。
あれから、何日もニンゲンを探した。
だけど、ニンゲンどころか、他の生き物も見つけられなかった。
きっと、もうクリスマスは終わってしまった。
でも、今はみんなに会えればそれでいい、と思えた。
オレは当て所もなく歩き続けた。世界は広い、広過ぎる。
風は色んな臭いを運んだ。その臭いを辿っては、地面や水の臭いを覚えて過ごす。
これは寝床を探すのに役立った。ふかふかの土が、オレのお気に入りだ。
ある日、キキと名乗る小さな”とり”に会った。
その子はオレを”しゅーらく”に連れて行ってくれた。
色んなヤツに出会って、そしてすぐにそこを離れた。
オレは喋れない。みんなとは仲良くできないんだ。
それでも、キキはたまにオレを見つけては”しゅーらく”へと連れて行った。
小さい体で、見た目だって綺麗で、全然怖くないのに
キキに来いと言われれば、断れない。不思議なヤツだった。
キキと会わない日は、懐かしい臭いを探して歩き続けた。
オレは疲れ知らずのエンジン。すごいんだ。
すごいから、止まっちゃ駄目なんだ。
ある日のこと。
大きな石の上、川を眺めながら、"しゅーらく"で出会った奴の話を思い出す。
みんな、主人とお別れをして、あそこに棲み着いたらしい。
それを他人事のように気の毒に思っていたけど、ふと気付いたんだ。
あぁ、オレは捨てられたんだって。
バカだよな、考えてみれば当たり前だ。
速く走る為に生まれてきたのに、あんなことをして。
声をあげて泣きたい。けど、できない。
オレの顔を覆う白い骨がそれを許さない。
水面を覗き込んで、顔を見る。
顔面をがっちりと囲うようにして有るそれは、ちょっとやそっとでは外れなさそうだ。
これはミヤベがオレに唯一与えたもの。
だけど、これが無ければ、オレは話せたかもしれない。
そうしたら、今とは全然違う未来が待っていたのかも。
少なくとも、今この瞬間、泣く邪魔はされなかっただろう。
オレは自分の体よりも何倍も大きな石から降りると、体当たりをした。
頭をぶつけるように、激しく。
だけど、骨は簡単には壊れない。
特にやる事の無かったオレは、痛みが引くのを待って、石に頭をぶつけてを繰り返した。
枷を外そうとしてから、何百回と見た月の下。
遂にそれを外すことができた。
壊れた白い骨を見下ろしながら、月明かりに照らされた周囲を見た。
遠くにある、森や山も見た。
白い骨に邪魔されない視界は、オレが初めて機械の外に出た日のことを思い出させた。
枷が外れてから、初めて言う言葉をずっと考えていた。
話せるようになったら、何か変わるかもしれない。
もしかしたら、またみんなに会えるかもしれない。
そんな期待を胸に、オレはそれを口にする。
ミヤベ、と。
初めて聞く自分の声に驚き、ちゃんと言えたことに喜び、そして虚しくなった。
オレの声は誰にも届かない。
枷を外して声を出してしまった今、この瞬間、全てが終わってしまったんだと気付いた。
こんなことをしても何も変わらない。
誰も彼も戻らない。オレはもうミヤベ達の為に走ることは出来ない。
そしてすぐにオレは思い出す。ミヤベが”エンジン”に望んでいたことは、
燃料を必要とせず、故障なく速く走ること、ただそれだけだった、と。
過去にも一度忘れたソレ。でも、本当は忘れた訳じゃない。
それだけじゃないって、思いたかっただけなんだ。
オレとミヤベを繋ぐものは、もうこの枷しか無いのに。それすら壊してしまった。
悲しいのかな。悔しいのかな。
よく分からないまま、遮るものが無くなった口からは声が漏れていた。
気付いたらオレは泣いていたんだ。
一番大きく残った枷の欠片を被り直す。
ごめんなさい、ごめんなさいと、何度も呟きながら、とにかくそうしなきゃいけないと思った。
枷を破壊してしまったこと、ミヤベの期待に応えられなかったこと、ミヤベの意に反して
言葉を発してしまったこと、謝らなければいけないことはたくさんあると思った。
そもそもオレは、ミヤベを慕っている自覚があまり無かった。
いや、最初は好きだと思っていた。
だけど、キキ達の話を聞く度に、思ったんだ。
オレはこいつら程、主人であるミヤベを好いてはいないって。
そして、大切にされてきた奴らの話を聞くと、羨ましいとも思った。
だけど、やっと分かったんだ。オレはミヤベに、自分の存在に気付いて欲しかったんだって。
かつて起こしたイタズラ心の先に、オレの本心があったんだ。
自分で物事を考え、好き嫌いを持つ生き物なんだと、知って欲しかった。
何かに対する色んな気持ちを聞いて、否定や肯定をして欲しかった。
そして、みんなと同じように、オレもミヤベと信頼し合いたかった。
ボロボロになって泣いていると、上から声がした。キキだった。
久々に会った気がした。いや、実際そうだったと思う。
ニンゲンの感覚で言うと、数年は会っていない筈だ。
キキは、”ゴジマン”のオレの骨が何かにぶつかって、壊れてしまったと思ったようだ。
怪我の心配もしてくれた。
落ち着いたオレは、全部自分でやったことだと、打ち明ける。
すると、少し間を空けて、キキは大笑いした。
そんなに面白いかよ。そっぽ向いたオレの背中に乗ると、キキは集落に行けと言った。
やっぱりオレはこいつには逆らえないみたいだ。
「久々だな、あそこ」
「でしょー? みんなビックリするよー? 初対面から何年越しの自己紹介なんだっつー話」
「し、仕方ないだろ。オレは喋れなかったんだし」
「分かってるって。で、アンタなんてーの?」
「オレの名前は、エンジンだ!」