101話 なお、ブレないとする
ワイバーンの顔面の右側はモザイクに覆われていた。
きっと彼の右目はもう見えていないのだろう。しかし、彼は気丈に笑ってみせた。
なんか健気で可愛い。
「くはは……! まさか、小娘に一杯食わされるとは……!」
「? あれは小娘じゃなくて、夢幻」
「……む、そうではなく」
「? 夢幻」
大変だ。ワイバーンがピンチだ。
あのね、それとまともに会話しようとしちゃ駄目なの。
わかる? できるよね? ワイバーンお利口さんだもんね?
「む、夢幻」
「そう」
やめて。
バグに名前で呼ばれるとか生まれて初めてなんですけど。
しかし、体が痛くて声なんて出せない。
ましてや、離れたところにいる二人に聞こえるような大声を出すなんて、しばらくは無理だろう。
自慢じゃないけど、私はこれまで、あまり大きな怪我をしたことはない。
人生で一番の大怪我になる。もうダントツにトップだ。
とりあえず、血を吐いたりはしてないし、安静にして早く回復したい。
バトルものの漫画で「あばらが何本かいっちまった……!」って言いながら
戦い続ける描写をたまに見かけるけど、あれ絶対ウソだよね。
衝撃受けただけでこんなに痛いのに、骨が何本も折れた状態で戦うとか不可能だよね。
そんなことを確信しながら、私は菜華の背中を見つめ続けた。
彼女は何を呼び出すつもりなんだろう。
見当もつかない。分かってるのは、ギター以外の何かだということ。
なんとなく運動神経も良さそうだし、適当な武器でもそこそこ戦えそうだ。
空を飛ぶ相手だし、弓とかも悪くないかもしれない。
私は菜華のアームズ呼び出しを心待ちにした。
しかし、彼女はそんな私の心を、秒で粉砕した。
呼び出しの為のかけ声は無かった。
ただ、彼女の後ろ姿を見ただけで、何が呼び出されたのかはすぐに分かった。
左手で弦を押さえるところを掴んで、右手で背負い加減を調整している。
「え……え、えぇ……」
そう、彼女はギターを呼び出したのだ。
え、あの人何考えてるの? なんで? ギター弾きたい気分だった?
帰ってから弾こ? ね?
今までは痛みで声が出なかったが、今はドン引きし過ぎて声が出せない。
「ふ……ふははは……! 愚かな! これほど愚かな人間とは出会ったことがない!」
アンタ、私達が初めて会った人間なんでしょ。知ったかぶりしないの。
めっ。
「私が愚か?」
「貴様、自殺志願者か何かか?」
「まさか」
「くくくっ……、それは鈍器として使うつもりなのか?」
「どうして? 楽器は弾く為にある」
ワイバーンのリアクションは正しい。私が敵でも似たような事を言ったと思う。
仲間がなんとか手傷を負わせたというのに。
みすみす掴みかけた勝利を手放すような真似をするなんて、正気とは思えない。
しかし、私はまだ彼女を信じていた。おぉばぁどら……ぐっ、やっぱり癪だ。
以前、菜華が見せた必殺技、オーバードライブ。
あれさえあれば、彼の防御を打ち消すことができるんじゃないだろうか。
きっとそうだ。さっきはドン引きしてごめんね。
成功するかどうか分からないのにそれに賭けて呼び出しした事も踏まえて、小引きくらいにしとくね。
……いや、ちょっと待て。今回、私達のアームズの枠は一つ。
菜華は前回、エフェクターとかいう”にぎやかわいわいぽんぽこぽんの素”を
一つのアームズとして呼び出していた。
当然ながら、楽器本体を呼び出した菜華に枠は余っていない。
あれ?
詰んだのでは?
「夢幻。離れていた方がいい」
「へ?」
彼女は私を見ずに、こう言った。私を気遣うと見せかけて、全く気にかけていない。
だって私、さっき内臓やられたっぽいって言ったよね?
体起こすこともままならなくて寝そべってるんだよ?
離れるとか無理なんですけど?
言いたいことがたくさんあったが、全て飲み込んだ。
そしてついでに、感じている痛みもできる限り無視した。
あの他人の都合など全く考えない女が、わざわざこうして注意するのだ。
おそらく、大分ヤバいのがくる。
「面白い! 貴様がギターで何をしようというのか、見届けよう!
そして、絶望するがいい! 我が術の前では、どのような策も愚策と成ると!」
ワイバーンは随分と気持ち良さそうに吠えていた。頑張って。
もっと時間を稼いでくれ。
その間、私は少しでも離れようと、ずりずりと芋虫のように地面を這った。
そうだった、忘れていた。
こいつの攻撃は便利な反面、近くにいる味方も無事じゃ済まされないんだ。
分かってる、いま大きい音を近くで聴くのはマズい。
聴くというか、私は耳ではなく自分の内臓の心配をしていたのだ。
体に響く(物理)ことを心配しているのだ。
「来い!」
「言われなくても」
菜華はちらりとこちらを振り返る。
きちんと離れたことを確認したのだろうか。遂に右手を弦に添えたようだ。
そして、鳴ったのは重低音。
腹の底を直接殴るような低くうねった音が、爆発するように響き渡る。
音圧だけでトルネードが拉げる。
大地が揺れる。地上の小石が揺れに合わせてタップする。
そして私はようやく気付いた。
これ、多分、ギターじゃない……!
「ぐおおおおおおおおおおおお!!!」
「ああああああああ!!」
「このベースはアンプ内臓。音は出せる。あなたのセキュリティホールは
分からないし、スピーカーも一応は対バグ用としてイメージしてるけど、かなり脆弱」
「ぐああああああああ!!」
「いいいいい!!!」
「でも、弱点の音が分からないなら全部順番に弾けばいいし」
「やめろおおお!!! 頭が割れ……!」
「うううううううう!!」
「そもそも、夢幻の攻撃で欠損ヶ所があるうさバーンになら、
この重低音自体が弱点となり得る、そうでしょ?」
私? 私はワイバーンと一緒に叫んでたよ。
あーとかいーとかうーとか。
止めたかったけどね、立てないしね。
腹の中を負傷してる奴が寝転がった状態で、あんな音を全身で受け止めたらどうなると思う?
本当に気が狂うかと思ったよ。っていうか、多分ちょっと狂ったよ。
口の端からよだれが垂れてる気がするけど、マジで指1本動かせない。
ヤバい、なんか吐きそう。胃の内容物か、血か、もしかしたら両方かも。
菜華は手を止めると、地面に伏しているワイバーンを見下ろした。
「ぐ……不覚……! ベースとは……まさかそんなものまで弾けたとは……」
「ベースとギターの区別がつかない人なんて未だにいるんだ」
こんなに苦しい思いをしてるっていうのに、遠回しにディスられてしまった。
いや、いるでしょ。結構いるでしょ。
「それが奥の手、ということ、か……」
「? あなたが妙な技を使ったせい。別に好きで呼び出した訳じゃない」
「ふふ……この後に及んで……よく言う……武器としてはそちらの方が優れているであろう……」
…………。
…………。
…………。
いやごめん、もう何も考えられない。
本当に痛い。
何? あの二人は決着ついた?
「どちらが優れているかなんて話は無意味。私はギターが好き。それだけ。
ただ少しベースも弾ける。それだけ。あなたは私をみくびっていた」
いつも通りの、菜華の淡々とした声が聞こえる。
しばらく無言の時間が流れた。
私の気が遠のいてるんじゃなくて、多分二人とも喋ってなかった。
そして、菜華は再び沈黙を破る。
「それだけ」
ベィンッッッッ!!!
「どぅっ!?」
弦を強く弾くような、というか切れたような音が響く。
もう終わったと思っていたのに。完全に不意打ちを食らわされた。
眉間に皺を寄せて、目を閉じる。
瞼越しに、太陽に目を焼かれながら、暗いのか眩しいのかよく分からない視界の中をしばし泳ぐ。
足音と気配が近付く。私は目を閉じたまま応じた。
「夢幻。終わった」
「そう……」
「ごめん」
「なんで菜華が謝るの」
「ここに来るまでに二度、バグに会ったと聞いた。なので、夢幻に譲ったつもりだった」
意識が朦朧としていてあまり自信はないが、もしや、あの菜華が私を気遣っていた……?
聞き間違いじゃなければ、そういうことになる。
元々ベースでどうにかできたかもしれないが、私が戦闘不能になるまで
待っていたのは、私の為だったと。そう言ってるように聞こえる。
「……ごめん」
「だから、なんで謝るの」
「もっと早く、私が介入していれば……」
「それな」
もう”それな”しか言えない。っていうか、トドメさしたのこいつだしね。
どうせまた私帰れないじゃん。
今までは「かったるい」で済んでたけど、こんな動けなくなる程の怪我して、
まだ帰れないとかヤバくない?
「夢幻、これで帰れなかったら、棄権という手もある」
「しない」
「え?」
「しないっつってんの。したくない。少し休めばまだ動けるから」
動けるのかな。分からない。だけど、なんとなく私は分かっていた。
私の端末はメールを受信しないことを。
私の隣で振動音が鳴る。菜華の鞄の中の端末だろう。
「……!」
「また後でね」
「……私も、ついてく」
「でもそれって違反じゃない?」
「構わない。そもそもこんな状態の仲間を置いて帰るなんて」
「知恵はもうリアルに戻ってるよ」
「さようなら夢幻。また後で会いましょう」
「いっそ清々しいよお前」
ようやく目を開けた時、菜華は当然の如く消えていた。
もうね。本当にね。
私は荒野に大の字で転がりながら、痛みが引くのを待ち続けた。