狭い世界の片隅で。
異世界ユニーバル。南の地方の古ぼけた街道に、年若く見える青年が歩いている。青を基調とした服に、フードがついたロングコート。銀の装飾に彩られた杖。叡智を感じさせる瞳。彼はこのフォカルキエ王国に拠点を置く冒険者であった。名前を、アベルという。幼少期から孤独であったが、魔法の才能はピカイチで、あっという間にSランクという高位の冒険者になったが、昔から1人だったおかげか、人付き合いも少なく、もう20を超えているのに恋人ができたこともなかった。
アベルは数人のAランク冒険者と一時的なパーティを組み、最近フォカルキエに出現したグレーターミノタウロスの討伐を完了した帰りであった。
「それにしても、あの有名な【銀星】アベルと一緒にパーティを組むことができるなんて思っていなかったぜ。あんたのおかげで俺たちは助かったようなものだからな」
「やめてくれ、ジョルジュ。俺なんてSランクの冒険者の中では相性の問題で弱い方なんだ」
そう言って苦笑するアベルの背中を無精ひげを生やしたジョルジュが叩く。単独行動が多いアベルにしては珍しく、この気のいい大剣使いとその仲間達とともに行動していた。
「むしろ10人ぐらいいるSランク冒険者の人たちがアベルより強いとか考えたくないんですけど……」と、ジョルジュとは対照的に2本の剣を腰に装備した女性が話を続ける。
「ああもう、恥ずかしいからやめてくれアイーナ。もうすぐ王都につくんだから、身分証を用意しておかないと時間を取られる」
アベルは恥ずかしさに耐えかねたのか、さっさと身分証を取り出してテレポートしていった。それを見て、ジョルジュとアイーナの2人は口をぽっかりとあけて唖然とした表情でそれを見送っているだけであった。
「テレポートっていくつのレベルから取れたかしら?」
「たしか、純粋魔法の高位だから……9じゃなかったか」
「……つくづく規格外ね」
この世界にはレベルという概念がある。ゲームにあるような概念がそのまま実体化したようなものだ。最低は1。最高は10レベルであると規定されている。ちなみに、アベルが使える魔法はそのほとんど。純粋魔法、精霊魔法、操魂魔法、光魔法……。彼はどこにでもいる魔導師だ。その魔法の多彩さを除いて。
さて、そのアベルは一瞬で王都の門までテレポートをすると、門番に身分証を見せて「アベルだって!?」と驚かれるのをよそに、またもテレポート。ギルドに証拠品であったグレーターミノタウロスの耳と剥いだ皮などの買い取り品を提示し、報奨金をもらって、郊外にある森の中の自身が拠点としている小さな家まで戻ってきていた。コートを脱いで、仕立ての良い襟付きシャツの姿になると勢いよくベッドに横になった。
「ジョルジュとアイーナも、まったく。少しは夜の営みを慎んだらどうなんだ。独身の若い男には荷が重い」
「あいつらと組むことはやめにしよう、こっちの身が持たない」とすねたような表情でいうアベルには、孤児であったということもあり、成長してからは近所の魔法使いのエルフ、フィグネリア・オルドウィンのもとに修行に出されていたため、女性との肉体関係もない。師のエルフも若く美しい女性であり、彼女とそのような関係になるのかとも思ったこともあるアベルだったが、どうしても姉のような感情が先立ってしまい、結局彼女に何も告白することはなかった。当時の自身を、アベルはこう振り返る。初めて孤児院以外の人と会ったのと、家族愛と勘違いしていたのだろう、と。
今、彼はフィグネリアの家と生活のための農場を受け取り、底で冒険者をやりながら生活をしている。王都近くに土地と家を持っているということは、元々の持ち主であるフィグネリアの身分がそれ相応であったということだが、現在の持ち主であるアベルは気づいていない。
フィグネリアとともに生活を続けていたアベルのそのひそやかな夢想は、現実によって崩れる。師匠であったエルフは「ごめんなさいアベル。私はいかなければならないわ」という謎の言葉を残して、どこかへ失踪してしまった。この小さな家と、土地と、財産のみを残して。彼はエルフのもとで開花した才能を引っさげて魔法学院に入学したが、彼を待っていたのは、孤児であるという事への侮蔑と差別と裏切りであった。それ以来、アベルは人と深く付き合うということをやめ、ひっそりと単独で生きていくことを決めたのだ。
本来、冒険者として1人で生活していくことは難しい。もともと協力しないと倒せないような敵も出てくるし、魔法使いは一般的な剣士や拳闘士に比べ、HPなどが低くなる。さらに、敏捷だって低いからである。だが、アベルは極々単純な方法で相手を屠ってきた。「近づかれる前に殺す」という方法で。万が一近づかれても、彼の生まれつき高い魔力から繰り出される土の壁や氷の壁が攻撃から防いでくれた。それでも、ギリギリのところで生き延びたような依頼もあったし、死にかけたこともあったのだ。
「ご主人、お戻りですか」
アベルのその回想を一気に現実に引き戻すノックと声。アベルがその声に従って、自分の部屋のドアを開けると、そこには灰色のショートカットと狼耳と尻尾が。
「フェンリルか」
高位の魔法使いともなると、人語をたやすく操る使い魔を使役することもある。アベルの目の前にいる狼耳の少女はフェンリル。本来は巨狼や氷狼と呼ばれる強大な魔物であるが、アベルと激戦の末、主従契約を結んでいる。人化の魔術を普段は使用しているが、いざ戦闘になった際には、6mを超えようかという巨大な狼に変身する。
「お食事は?」
「後で適当に自身で作る。そういえば、前に仕込んだ鹿の燻製肉があったな。食べていいぞ」
「はい、いただきます。それでは、私はこれで」
そう言ってフェンリルはぺこりと礼をすると、ドアを閉めて地下の食料貯蔵庫へ駆けていった。
「俺はどうしようかな」
ともに依頼をこなした2人に当てられたアベルの考えとしては、しばらく食事は要らないと思い、ベッドにふたたび寝転がった。そのベッドも高級な木材を使用しているということがわかる。これも、フィグネリアが自身の部屋として整えてくれたときから変わっていない。しかし、アベルはやはりその事実には気づいていなかった。
彼は数時間の睡眠を取ると、アベルは自分の部屋から出て、階下のキッチンへ降りると、山羊のチーズと葡萄酒、小さな平たいパンをいくつか取り出すと、2階へと上がっていった。この山羊のチーズは彼が師匠であるフィグネリアから伝授されたもので、小さな平パンもそうであった。まさに彼の生活は師との交流で成り立つことができたのである。
山羊から出る乳のよりよいものを厳選し、ミルクの風味を生かして作ったものだ。これを薄くスライスして、森から取った木の実を磨り潰し、小麦粉と水を加えて練った固焼きパンに乗せて食べる。まろやかなミルクの味と木の実の滋味に芳醇な赤葡萄酒が加わる。アベルの好みはこのような食事で、この世界の貴族層よりは質素だが、庶民に比べると明らかな贅沢である。
もちろん、種族的特長として肉をほとんど食べなかったフィグネリアや、貴族たちの食事のような家禽や野禽などを食べることは少なかったが、兎や鹿や熊などの森に棲む動物達の肉は度々狩って自ら調理することもあった。しかし、今日の食事にはそれはないようである。フェンリルに与えたような肉なども自身で食すこともあるのだが。もちろん、人化して食べるものでなければ、フェンリルは生肉で足りる。人化した場合は獣人や人間ときわめて近い味覚になるから、逆に生肉が食べられないというわけだ。
簡単な食事を終えてアベルがふたたびベッドへ寝ころがると、彼をすぐに睡魔が襲ってくる。冒険者として超一流も彼も、体の本能には逆らえない。すぐに眠りに堕ちていった。
万が一人気が出たら私は皆様に脚を向けて寝られませぬ。