-8sone 不可解
放課後、十並マコトは筧清高を尾行した。
学院内における『W事件』の刺激は鎮静化しつつある。
しかし清高があの出来事をきっかけに、決して潜ってはいけないロープの先へ足を踏み入れてしまった気がした。
投げ遣りな態度でエネルギーの補給を疎かにして、きっとそのうちまた動けなくなる。
――それ以前に僕が限界だけどね。
原因は清高という安全基地を失くしたことだ。
甘えたくて近づいた女子は皆、それなりにあたたかくもてなしてくれた。
でも、ソフトな触れ合いではなく、隙間から目を凝らすように心を探ってほしくて物足りない。
清高の方は突発的に距離を置きたくなったようだが、直感に似た何かが、その流れに乗ってはいけないと引き留めてくる。このまま疎遠になる末路を自分も望んでいない。
おそらく、気難しい人たちには彼ら特有の、上手く言葉にできない感情があるのだろう。
清高は複雑な回路に秘密を抱えすぎている。
だから冷静になるほどに、様々な疑惑が波紋を拡げる。あれは嘘偽りなく彼の本心だったのか。わざと仲違いするように仕向けたのではないか。
記憶を辿ると、半身の遺棄体が発見された辺りから、自分たちの関係性が大きく歪み始めている。
何か、言いたくても言えない事情があったのだとしたら悲しい。
その悲しさは深夜、暗い部屋で声を押し殺し、滅茶苦茶に壊れかけていた清高の残像と結ばれている。
・
鞄も置かずにどこへ行くつもりなのだろう。
本人に訊けばすぐに解ける問題だが、今は空欄のまま放置したい。
清高の後ろ姿を眺めていると、厚みのない服だけが弱くなった身体を守っているようで胸がざわついた。
青褪めた肌の白さと同時に、流血していた怪我の具合も気にかかる。治療のためにメディカルセンターを頼ったとは思えない。
やはり反抗的に自己主張したりせず、労わりの心を持って手を貸すべきだった。
これまでに清高がしてくれたことの半分も返していない。
それに、やめろと止められた復讐は多くの場合、しない方がよさそうだ。
――仕方ない。僕から謝ろう。素直になったらいいことあるかも。
平たい背中を追いかけ、同じサブウェーに乗る。
密かに様子を確かめると、扉横に立つ清高は学内で見かけたときと同じポーカーフェイスだ。
街のエリアで共に下り、追跡を続行した。
駅周辺は、授業や講義から解放された学生たちで賑わっている。
人波で見失う前に、偶然会ったふりをして接触すべきか。冷たくされたらハートが凍って歩けなくなりそうだ。
勇気ある決断ができずにクラウディな空を仰いだ。
いつの間にか、ビルの壁面に埋め込まれた大型モニタから有害なニュースが囁かれている。報道によると、本日昼頃、届いた荷物に人体の一部が入っていたとの通報があり、その後の調べで血に浸っていた内容物は、行方不明となっていた女性の顔と、指が欠けた足首を叩き潰したものと判明。
――頭部じゃなくて顔……?
箱の中に購入した商品は同梱されておらず、発送から到着までの間に荷物をすり替えられたと見て捜査を進めている。添えられていたカードには『What's this...!?』の文字。犯人不明。目的も不明。遺体の残りがどうなったのかも不明。つまり何もわかっていない。
根拠は特にないけれど、派手に犯行を繰り返している猟奇犯が捕まらない現状にたとえようのない不審を感じた。
前方の清高が、ニュースを聴いていたのか、いなかったのか、ここからでは判別できない。
彼はショーウィンドウに映った自身の姿を気怠く一瞥し、そして数歩進んだ先で、突然ふらりと頽れた。
駆け寄るより早く、通行人の女性が側に屈み込んで声をかけている。心配してくれているのか、痩身男子鑑賞会のメンバーなのかはわからない。このままでは確実にレスQかペットだ。
助ける以外の選択肢はない。搬送も飼育も阻止しなければ。
・
清高の身柄を引き受け、近くにあったショッピングビル内の映画館に救いを求めた。
開始時刻の迫っていた作品を選び、最後列の静かな席をジャックする。
「寝てていいよ。大丈夫だよ」
ブランケットと軽食を清高に押しつけ、ホットドッグのケチャップを舐める。
無口な隣を窺うと、暗闇に侵食されている美妙な横顔があった。血の気のない唇が微かに動く。
「このあいだ。……俺が悪かった」
戦場で交わされる最後のダイアログみたいだ。
力が抜けて笑顔になる。
「こっちこそごめん。清高いなくて寂しかったよ」
本編の開始早々、音楽の悲壮感と色合いの暗さで、シナリオが陰鬱すぎることに気づいてしまった。
知らない世界が悪天候に見舞われていて、スクリーンごと吹き飛ばされそうだ。
横に目線を移すと、体力の回復に努めているとばかり思っていた清高が、真剣な眼差しを前へ向けていた。
平静を装っているが、初対面の物語に惹かれて情熱を抑えられないのだろう。
それより、70%の確率で拒絶される計算をしていたのに、彼の方から謝ってきた理由を考察していきたい。
――情緒不安定になって僕を突き放した自分を許せないとか?
和解に辿り着いた安堵感は素直に喜べるが、清高の心意が掴めない。
急に心細くなったのだとしたら、感情が生々しくて可愛いけれど。
ふと思いつき、ノートの切れ端に『邪魔しないから清高の部屋で寝かせて』と書いて渡してみる。
鑑賞を遮られて露骨に迷惑がっている表情と、戸惑うような瞬きの後、返事が届いた。
几帳面な筆跡で『いいけど』と綴られている。
今夜は泊めて貰えるようだ。お気に入りの黒い毛布にもまた会える。
騒音に敗北し、早朝の冷え込んだ緑地公園で凍死するのは酷だと憐れんでくれたのかもしれない。
そして閃きのように、清高も少し寂しかったのかもしれないと思った。
けれど誰にも寄りかかることなく、ひとりきりですべての物事に決着をつけようとしている。
孤独な清高のために憩いの海を探したかった。
・
退屈な映画が嫌がらせのように長く、グーテナハトの魔法を使うときがきた。
意識が閉じる間際、不意に足元があたたかくなって4分の1だけ覚醒する。
申し訳程度に目を開けると、渡したはずのブランケットが自分の膝に掛けられていた。
寝ようとしている気配を察して保温してくれたらしい。
清高は矛盾しすぎている。無口だけれど世話好きで、素っ気ないくせに与える側になろうとする。
他者から懐かれるのは不本意のようだが、保護の精神を発揮せずにはいられない心的事情があるのだろう。
――だめだって清高。中途半端にやさしくしたら酷い奴らに利用される。普段から気をつけないと……。
小さな接触を繰り返すうちに、自分にとって彼が唯一の拠り所になっていく。可哀想なくらい人間らしい清高のことを忘れられなくなる。
いつか置いて行かれると予感しているのに、距離を縮めたいと感じるのはなぜなのか。
夢の入口に立ったとき、未来を信じ、傷だらけになって帰寮する清高を待ち続けるのも悪くないと思った。
・
ブランケットの応援があったのに、深く眠れなくて残念だ。
輪郭の滲んだ視界。その端を掠める手の動きで、清高が泣いているのがわかった。
動揺を隠せず、視線を沈めて寝ているふりをする。
本当は彼の、生きる枷になりそうな内面から目を背けたかったのかもしれない。
難解で、暗く込み入っていて、曇り硝子の壁を作って中を覗かせない。
それでも清高は、これまで出会った中で一番、愛のある孤独主義者だった。
今、この空間は最高に無害だ。大きなスクリーンと、少しの人間が向き合っているだけの静かなシアター。
やめろと叫ぶ口を塞ぎ、両手をきつく縛りつけて清高をここに閉じ込めておけば、怖れていた死の罠を回避できる。
誰に苦しめられているのか、なぜ命を削られているのかを、途切れがちな脆い言葉で構わないから打ち明けてほしかった。
――僕のこと信じてよ。理不尽に傷つけたりしないから……。
エンドロールが終わって席を立つ頃には、何もかもを見透かされるのだろう。
清高のうっすらと濡れた瞳に、胸の裡のすべてを、喜怒の微かな揺れさえも。
-8sone end.




