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-21sone 不可測


 試験2daysがファイナルを迎えた。

 アンコールがないことを祈りながら、十並となみマコトは短い帰路の途中でシャツの袖を捲る。

 嫌な感じに身体が熱い。風邪が治りきっていないせいか、着衣のまま氷水に飛び込みたい気分だ。

 断続的に訪れる束の間の幸せのために、いつまで頑張ればよいのか。

 疲れきった自分にも、たまにはレアなカードが配られると信じたかった。


 寮に帰ると、先に戻っているはずの清高きよたかの姿がなかった。バスルームから不穏な水音が聴こえた気がして咄嗟に覗いたが、清潔なバスタブが鮮血に染まっていなくて安心した。

 眠ろうか迷ったけれど、ジャンクフードと飲みものを用意して、ソファで映画を観るのも楽しそうだ。

 ――やっぱアクションだよね。

 笑顔で冷蔵庫を開けた瞬間、背後から殴られた以上の衝撃に視界が歪んだ。

 下段に1ダースのディサイダー。

 上段には文字の書かれたビスケット。

 様子がおかしい。微炭酸のストックは3本くらいで充分だ。昨日まで入っていた野菜や果物はどこへ消えたのだろう。ショックで声が出ない。

 どうせいつかはこうなると悲観していた自分と、一縷の望みを託した未来に裏切られた自分が錯乱していて失神寸前だ。

 清高はそれらしい素振りを見せなかった。だから油断した。

 今となっては不自然な落ち着き方は覚悟故だろうか。

 病的な緊張に支配されながら、置かれたビスケットに手を伸ばす。

 別れの言葉にしては素っ気ないメッセージが、細いチョコレートペンで綴られている。



 冷蔵庫の前に膝を着き、涙の粒を袖口で擦って殺し続けた。

 引き裂かれそうな苦しさが頂点を超えて下降し始めた頃、ふらつく足で清高の書棚へ向かった。

 まだ間に合うかもしれない。生きていく過程で、傷を負う苦痛は少ない方がいい。

 そのことを、行方を眩ませた清高本人が誰より深く理解している気がした。


 端から順に本を開いて手がかりを探す。

 上手くいかなければ、今朝、学院の敷地内で、薄着をするなとカーディガンを渡されたのが清高との最後だ。

 適当に礼を言って受け取った後、丸めて鞄に突っ込んだけれど、不意に沸いた激情を律して袖を通してみた。

 ――ありがとね。心配してくれて……。

 習慣というものは怖ろしく、待っていれば清高が帰ってくると期待してしまう。

 捨てられた現実を受け止められない子どもみたいだ。

 彼にも事情があるのはわかる。最初からわかっていた。

 けれど、心を委ねた日々の温度が冷めなくて、清高が血を吐いて倒れるまで力の限りに責めたくなった。



 4冊並んでいた地図。そのひとつに、一カ所だけはっきりとした開き癖があった。書き込みや付箋はないが、同じ頁を繰り返し眺めていた痕跡と捉えてよさそうだ。

 場所はシティ・ユメイと隣市ナウラの境界区域。

 たとえ清高がこのマップのどこかにいるとしても、自力で探し出すのは不可能に近い。

 何かヒントはないかと目を凝らしたとき、急速に空が翳った。

 僅かな光を頼ってベランダへ身を寄せる。

 次の瞬間、全身に微かな震えが走った。

 無意識に触ってしまったのだろう。森を裂くように伸びた一本道に、うっすらと指でなぞった跡が浮かび上がっている。

 虚ろなその線は、左右を緑で覆われた小さな陸橋で途切れていた。

 出発地点はこの寮。

 歩くには遠い道程だ。サブウェーもバスもない絶望的な過疎。

 清高が指先で残した導がシティの境界線を越え、昏い森の奥を進んでいく。

 地図の絵から周囲の景色を想像してみた。

 道路脇には延々と背の高い樹が密生していて、車の往来もほとんどないはずだ。

 ――人殺すのに最高のロケーションだね。

 崖下に落とせば、おそらく死体も簡単には回収できない。それに加え、発作的に投身したくなりそうな岬風の地形がすぐ側にある。

 彼が、このシティの警察を絶対に信用するなと言っていたのを思い出した。

 壁に凭れ、これまでの断片を慎重に整理してみる。

 自分の推理はたぶん間違っていない。それを確信した刹那、地図を手にしたまま、泣きながら笑ってしまった。

「だめじゃん清高……」

 ナウラのポリスにも汚染が拡がっていたら、完全に無駄死にではないか。



 カードケースから学生証を抜いた。身分はシークレットだ。

 ペンライトは意外と使えるかもしれない。

 セルラは念のため持って行くべきだ。

 最後に、破り取った地図を折り畳んでポケットに入れた。

 気怠い間接照明を消して、スニーカーの紐をきつく結び直す。

 解熱剤を飲み忘れたことに気づいたが、引き返すつもりはない。焦燥感ばかりが先走っていて、冷静な判断に支障を来している。

 衰弱した清高が、どこかの路地裏で蹲っていることを願った。あの監獄のような深い森に辿り着いてほしくない。


 自分たちはこの世界で、やさしさを捨てきれなかった人ばかりが死を選んでいくことに疑問を感じてはいけないのか。

 犠牲の上に成り立つ平和や幸せは、本当に曇りのない白なのか。

 報われない命の消去をいつまで繰り返すのだろう。加害側を殲滅しなければ終わらない悪夢だ。

 奔放に、図々しく、捻じ曲がった刃物を振りかざしている奴らを徹底的に殺さなかった結果として、誰かがまた変色した遺体になる。

 清高が辛抱強く生きていたのは、自らの手で制裁を加えるためだ。それ以外に考えられない。『W事件』の犯人は彼に何をしたのか。叶うなら、反撃に至るまでの出来事を清高の口から聞きたかった。


 ドアノブに触れたとき、胸に迫る別れの気配に寂しさが込み上げてくる。

 清高の本も、気に入っていた服も置いてきた。

 ――もう帰れないかもね。

 静かに振り返り、在りし日の残像を暗闇の中に探す。キッチンに立つ悩ましげな黒い髪の生命体を。そして晴天に恵まれた休日、眠るのに飽きて昼過ぎに起きてきた自分を。



 外に出ると、冷たい棘を隠した夜風が首元を撫でていく。

 ビスケットのメッセージは、隠滅してほしそうだったので食べてしまった。

『俺のことは忘れてくれ』。『一人で生きることを怖れるな』。

 どちらも無理だ。

 緑地公園での出会いから今日までの地点が数歩の距離に思える。

 清高は、青い星の下に生まれた自己犠牲主義者だ。

 彼の言葉や表情、佇まいから、救いようのない悲しみを何度も見つけ出した。

 今夜、自分たちはどうなるのだろう。

 行く先にあまり希望が持てなくて辛い。



                                 -21sone end.


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