-12sone 不眠症
十並マコトは、ベッドの中でセルラを開いた。
鋭い光に目が眩む。
――……だめだ。
必死に眠ろうとしているのになぜか、センチメンタルが手を絡ませてきて落ち着かない。
こういうとき、ほどよい刺激がほしくて、棄てたはずの記憶にアクセスしたくなる。
休息は不平等に与えられるものらしい。日頃の生き様に関係なく、眠れずに苦しんでいる人がいるのはそのせいだと思う。
そこまで掘り下げると、自らの意思で自分を睡没させることができない人体の仕組みも理解不能だ。もう少し利便性が上がると生きやすいのだけれど。
リビングを窺うと、清高は小さな明かりに身を寄せ、文庫本を開いたまま黙り込んでいる。無駄に険しいことを考えているのだろう。とにかく今日は出掛けないみたいで安心した。
黒い髪が乾ききっていなくて、まだ微かに濡れている。昨夜死にかけていた割に意外と元気そうだ。
「今暇?」
彼は弾かれたように顔を上げた。不穏な世界に飛んでいたのか、眉を寄せ、素早い手で本を閉じる。
「暇ではないけど。何?」
怪訝な面持ちだが、シンプルに誘えばきっと頷いてくれるだろう。
「遊びに行かない? 眠れなくて……」
・
サブウェーを降りた辺りから、華やいだネオンの勢力で、夜の濃度が薄らいでいくのを感じる。
囲われたようにも、切り拓かれたようにも見えるMNT。親密に囁く青いライト。低く這うBGM。
ストリートを人々が明るく行き交っていて、変わらない鮮やかさに胸が熱くなる。
手始めに服のショップを覗いた。デザインが好戦的な店というとここがベストだ。
「清高のも選んであげる」
「系統合わないだろ」
「そんなことないよ。せっかく来たんだしアグレッシブになろうよ」
比較的シックな黒地のプリントTシャツと、モノトーンの迷彩柄ロングカーディガンを押しつけて試着を促した。
自分用の商品を抱えて後に続くと、清高が露骨に引いた顔をする。
「そんなに数いるのか?」
「いいじゃん。趣味で集めてるんだよ。着替えてそのまま遊びに行こ」
どうせ眠れないのなら縛られずに楽しみたい。
言葉にしなかった部分を察してくれたのか、軽く抵抗しながらも、清高は勧めた服に袖を通した。
仕上がりはイメージ通りだ。スタイリングに命を注ぎたくなる。
「お洒落っぽくて最高。僕は気に入ったからそれ着てほしいな」
「柄ないやつが着やすいんだけど」
「そういうの置いてないよ。好きじゃないなら僕が貰うから。選ぶサイズほとんど同じだし」
彼は断ることに疲れたらしく、渋々感を露わにして唇の端を上げる。
「ちょっと待ってて」
クラブの雰囲気でチョイスした緩いトレーナーに着替えて準備を終えた。
「穴開いてるけどいいのか」と清高が苦い笑みを浮かべる。
「ダメージ加工だね。……ファッションは内面の鏡じゃないよね」
ふたり分をカードで支払い、店を出た。
・
ひとつだけ空いていたテラス席から海が見える。
浜辺の白い砂はどこから来たのだろう。音を立てずに追いかけてくる波に呑み込まれそうだ。
潮の余韻を残す藍色の外気をそっと吸ってみる。鼻の奥を通り抜ける涼しい夜の匂い。
真夜中に、ふと窓を開け放ったときの心地よさを思い出す。暗い部屋に形を持たない風が舞い、肌の温みを、感情の熱を静かに奪っていく。
腕を広げて昼の陽射しを喜びながらも、夜の気配に惹かれるのはなぜだろう。
いつもどこか矛盾していて、自分の本質を見失う。
店の中央では、赤外線警報器みたいな怪しいライトが6色展開で錯綜している。混ざればきっと面白いけれど、あれを避けて器用に踊れない。
「清高もどう?」悪戯っぽく、賑わうフロアに視線を遣る。
「無理」
断るのを見越して言うなと牽制したかったのか、彼は呆れたように目を逸らした。
「ねえ、知ってる人いるかも。探してきていい? すぐ戻るから」
清高は頬杖をついて砂浜の方を一瞥した。
ごめんね、と手を合わせて首を傾げる。
彼は袖口を弄びながら浅く頷いた。
テーブルを離れて振り返ると、誰からも話しかけられたくないのか、清高は顔を伏せて防御の体勢に入っていた。
遊び慣れていないというより、無関心なものとは交わらないと最初から決めているらしい。
潔くて、悲しいほどクールだ。
不眠の孤独に自分らしさを削られないよう、早朝のオペで清高の一部を移植してほしかった。
・
顔見知りを見つけるたび、再会を祝してアルコールに口をつけてしまったことを後悔している。
テーブルに帰還した直後、飲みすぎだと清高に窘められた。
「そろそろやめとくね。……吐きそう」
指の内側まで熱い。真面目な表情が作れなくなる副作用に乗っ取られている。
「十並。大丈夫か」
「イエス。少しだけ踊ってくる」
踵を返した瞬間、反射的に足が止まる。
連れて帰りたくなるくらいハイセンスなダンスナンバーの裏に、悲鳴のようなノイズが聞こえるのは幻聴だろうか。
周りの客も気づき始めた。
海の方だ。
テラスの手摺から身を乗り出して眺めると、波打ち際に奇妙な人集りができていた。
月の光に照らされ、彼らの横顔が浮かび上がる。
皆、浅瀬の杭に括りつけられた小さなボートを覗き込んでいた。
同じく様子を窺っていた客が口元を強張らせ、『W事件』ではないかと怯えている。
不安になって清高を探すと、騒然とした空気の中、彼は店の壁を背にして蹲っていた。
「僕が状況確認してくるからここにいて。……気分悪いの?」
素っ気なく首を振り、清高がゆっくりと立ち上がる。「何もしなくていい。俺が行く」
「こんなときにひとりにしないでよ。一緒に行けばいいじゃん」
遠目にはなめらかに映った砂浜も、近づいてみると無数の足跡に穢されていた。
波に押されてボートが揺れるたび、脅威を避けるように人の群れがざわつく。
顔を覆って帰路に就くリタイア組とすれ違いながら現場へ急いだ。
清高は口を噤み、冷静に行動している。
やがて辿り着いた海に靴底を浸し、ふたりほぼ同時にボートの中を覗いた。
――……え。何、これ。
ウエストの辺りで真っ二つにされた華奢な肉体。その左右の手が、頭の上側に置かれた下半身の両足首をビート板のように掴んでいる。
異様な光景だ。
切断面が潰れ、乾いた血で黒ずんでいる。上手く処理できず、ボートの中身が殺された人間だと理解するまでに数秒かかった。
場慣れしているというのは語弊があるけれど、清高はふらついたり狼狽えたりすることなく真っ直ぐに立っていて、これが初めての遭遇ではないように感じた。
知り合いは殺されていないと答えたが、それが本当だとしたら、一体何を介して『W事件』と関わっているのか。
あの夜の泣き方は尋常ではなかった。しかも一度や二度ではない。他人事にしては深入りしすぎだ。酷い怪我を負ってくる経緯も明らかにされていない。
ボートの角度が変わり、添えられたカードの文面が辛うじて読み取れた。
――『Why don't you leave here...?』。……どうかしてる。
・
清高の白い手に袖を引かれて人垣を離れた。
店へは戻らず、海風に晒されたストリートを寮に向かって歩き出す。
普段と違う服を着ている清高が、全然知らない人に見えなくて困る。その不変性が、彼も自分も簡単には変わることができないという証明に思えた。
「連れ回してごめんね。僕が眠るのに失敗したせいで」
「別に。俺も寝てなかったし」
感情を閉じたような軽い口調だ。
ひとりで考えたいことがあるのか、早足で先へ進んでいく。
同じ部屋で暮らしていても、行き着く場所が同じとは限らない。
彼はおそらく、誰かのために戦おうとしている。
「清高。待ってよ」
「俺はおまえの歩調に合わせるつもりはない」
「って言いながら待っててくれてるじゃん」
力が抜けて笑ってしまった。
清高はポケットに手を突っ込んだままガードレールに浅く腰掛けていて、望めばいつまでもそこにいてくれるような気がした。
-12sone end.




