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孫子曰く

 魔王様の居城ドボルベルクからイヴァリースに戻ると、真っ先にやってきたのはリリスでもジロンでもなく、アリステアだった。彼女は希望に満ちた目でこちらを見詰めてくる。


「ま、魔王殿はどのような判断を下されたのでしょうか?」


 その目は真剣でもあり、冬至祭(クリスマス)を待ちわびる子供のようでもあったが、俺は気にすることなく、事実を告げる。



「魔王様は和平をお望みである」



 と、その言葉を聞くと彼女は子供のようにはしゃぐ、サティも同時に嬉しそうな顔を浮かべた。


 アリステアは、国王陛下の役に立てる。サティは平和な時代になる。そう喜んでいるのだろうが、俺の方は彼女たちほど喜ぶ気になれなかった。


 そんな気配を察したのだろうか、参謀であるオークのジロンが尋ねてくる。


「旦那、浮かない顔をしていますね」


「仮面越しなのによくわかるな」と思わなくもないが、このオークとの付き合いは、軍団内で一番長い。俺の心の機微(きび)を察してくれたのかもしれない。


 ジロンと二人きりになると、ことの詳細を話すことにした。

 執務室に戻り、周囲に人がいないことを確認すると、俺はジロンに己の見解を述べた。



「今回の和平、恐らくだが成立しないと思う」

 ――と。



 その言葉を聞き、ジロンは慌てふためく。


「え? え? だって人間は和平を望んでいるのでしょう? それに魔王様やセフィーロ様も和平派だ。他の軍団長が反対する、という意味でしょうか?」


 俺は首を横に振り否定する。


「そうじゃない。ローザリア国王も妥協する気はあるだろうし、平和を望んでいるだろう。魔王様やセフィーロ、無論俺も平和を望んでいる。更に言えば、魔王様ならば他の軍団長も納得させるだろう」


「魔王軍始まって以来のカリスマ魔王様ですもんね」


 と、ジロンは我がことのように自慢する。


「でも、それならなんでこの和平が成立しないんでしょうか?」


 ジロンの素朴な疑問に俺は答える。


「勘」


 と、一言だけ。


「か、勘ですか? そんなあやふやな」


「あやふやじゃない。勘ってのは経験と理論に裏打ちされた立派な選択肢だ。と俺のじいちゃんが言っていた」


「ロンベルク様が、ですか?」


「ああ、確かに魔王様は乗り気でいるし、ローザリア国王もその気はあるだろうが、その後ろに控える連中がどうだか」


「諸王同盟、ですか?」


「それもあるが、視野狭窄で単細胞はどこにでもいる。和平の妨害を企てる輩はどこにいるか分かったものではない」


「王の側近が邪魔をしてくる可能性があると?」


「大いに有り得る話しだな」


 俺がそう言い切ると、ジロンは肥満気味の顎に手を添え、「確かにあり得そうですね」と顎を撫で回しながら、続ける。


「ならばどうするのです? 和平の提案を断るのですか?」


 その言葉に即応する。


「まさか」と。


「でも敵は和平を妨害してくるのですよね? ならばそこに向かうのは虎の口に飛び込むようなもの、なんじゃないですか?」


「だろうな、のこのこと現れたら、全軍に包囲され、全滅、という可能性もある」


 和平の調印式は平原のど真ん中、陣幕を張り、その中で行われる。互いに1000の兵を控えさせ、調印を行うのだが、その最中に襲われる、という可能性も十分あり得る。


 だが、ジロンはその意見に懐疑的なようだ。


「ですが、旦那。1000対1000ならば我が第8軍の力なら圧勝できるんじゃないですか?」

「敵が1000ならな」


 俺は即答したが、ジロンは不思議そうな顔でこちらを見ている。

 どうやら意味が分からないらしい。


「やれやれ」こいつは本当に軍団長の参謀なのだろうか。


「お前は調印式の際に敵軍の奇襲を受ける、という心配はないのか?」


 その言葉を聞いたジロンは「あっ」と間抜けな声を上げる。


「で、でも、そんなことをしてきたら、目の前に居るローザリア王をぶっ殺してやればいいじゃないですか? 或いは捕まえて人質にする。そうすれば敵軍は何もできない」


「そうかな? もしも、俺が敵軍の軍師なら、国王ごと殺すチャンスだと思うな」


「ま、まさか、そんな」


「ローザリアの宰相は狡猾にして強欲だと聞く。国王が死ねば、そのままその親類を即位させて、裏からローザリアを思うままに操れる」


「で、ですが、自分から国王を殺して置いて、ローザリアの重臣たちは、いえ、民はついてくるのでしょうか?」


「ついてこないだろうな」


「じゃ、じゃあ、そんなことはやってこないのでは?」


「いや、やってくるだろうな。お前は『どうして?』と問うだろうが、答えは簡単だ。国王暗殺の容疑を全部俺になすりつけるつもりでいるからだ」


「………………」 


 その言葉を聞いたジロンは絶句するが、同時に納得もしたようだ。

 そうか、その手があったか、そういう表情をしている。


「じゃ、じゃあ、この調印式に向かうのは罠なのでは? やめた方がいいのではないでしょうか?」


「いや、それはできない」


 俺はゆっくりと首を横に振る。


「…………」


 理由を答えようとしたのだが、代わりに答えたのは俺ではなく、女性の声だった。

 その女性が誰であるかすぐに分かった。この部屋に自由に出入りできる人物は限られている。

 黒禍の魔女と謳われた元上司は、俺の気持ちを代弁する。


「例え僅かの可能性でも和平の道が結ばれる可能性があるからじゃよ」


 と、セフィーロは言い切った。

 ジロンは団長の突然の来訪に驚くが、セフィーロの口にした言葉にも驚いているようだった。


「え、旦那がそんな分の悪い賭けに出るんですか?」


 ジロンの何気ない一言だったが、沈黙せざるを得ない。核心を突かれたからだ。

 セフィーロは少し戯けながら言う。


「豚よ。そう言うな。確かにアイクは分の悪い賭けに出るような男ではないが、それでも平和の道が僅かでもあるのならば、そちらの方を選ぶ男じゃ」


 見た目は不死の王じゃが、その心臓は砂糖菓子でできているかのように甘い男じゃからの。

 と、いつもの戯けた表情で皮肉る。


「まあ、確かにその通りです」


 俺はそう白状すると自分の考えを披瀝した。


「今回の和平の申し出、正直、思ってもない申し出だと思っていました。それに和平が成立する可能性が3割にも満たないというのも承知で団長のところに相談に行ったのも認めますよ」


(わらわ)や魔王様を(たばか)っていたのか」


 セフィーロは冗談気味に言うが、怒ってはいないようだ。


「それは魔王様も承知の上で合意してくれた、と勝手に解釈していますが」


 その言葉を聞くと、セフィーロはいつものように「かっかっか」と笑い声を漏らし、


「流石は不死の王の孫じゃ。魔王様と同じ結論に達していたか」


 と続けた。


「ということは、魔王様もやはり、今回の和平が成立しない可能性がある、と思ってらっしゃると」


 セフィーロは即答する。


「だから我が第7軍団も動けるように、との魔王様のお達しじゃ」

「つまり、敵軍に急襲された際に援軍に駆けつけてくれる、ということですか」

「その通り」


 セフィーロは言い切ったが、ただ、と続ける。


「ただし、あまり軍を近くに置くことはできない。接近しすぎたら、それこそ敵に勘ぐられ、和平の話など吹っ飛ぶからの」


「それは分かっています」


 俺はそう言い切ったが、正直、第7軍団の援軍には駆けつけて欲しくはなかった。

 セフィーロに助けを借りたくないわけではない。

 第7軍団が駆けつける、ということは、和平が失敗した、という意味になる。

 和平が成立する可能性は3割にも満たない、と言ったが、逆にいえば3割は成立する可能性があるのだ。

 甘い考え方であるが、ならばその可能性にかけてみたかった。


 俺はその可能性を僅かでも上げるべく、事前に準備をすることにした。

 アリステアから国王の為人(ひととなり)やその周りの人間の情報を聞き出すことにしたのだ。

 情報を制するものが世界を制する。

 それは前世でも異世界でも変わらない。


 俺のじいちゃんも似たようなことを言っていたし、前世の有名な用兵家も似たようなことを言っていた。


 曰く、



「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」



 いわゆる、春秋戦国時代に活躍した武将、孫武の残した『孫氏の兵法書』の一節である。

 俺はじいちゃんも孫子も尊敬していたので、その言葉に素直に従うことにした。

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