セフィーロとダイロクテン ††
††(ダイロクテン魔王視点)
アイクを使者にやった後、魔王と呼ばれている少女は召使いに酒を持ってこさせる。
歓談相手であるセフィーロが酒好きであると熟知していたからだ。
少女はおもむろに尋ねる。
「貴腐ワインと日本酒、どちらが良い?」
「日本酒?」
セフィーロは形の良い眉を微妙に崩す。
「アイクが手土産に持ってきた酒だ。旨いぞ」
「その透明な液体がそうですか?」
「そうだ」
「遠慮しておきましょう。妾は葡萄酒党ですからな」
「そうか」
と、一言漏らすと心の中で笑う。
セフィーロは葡萄酒党を自負しているが、とんと味の分からない味覚音痴だからだ。召使いの持ってきた最高の貴腐葡萄酒の味もどう判断しているのか分かったものではない。
ただ――、その点に関しては少女も大差はない。
アイクが持ってきた日本酒も懐かしくはあるが、美味かと問われれば首をかしげる。
戦国の世で飲んでいた濁酒の方が旨かった記憶もある。
もっとも、酒などは酒宴の席で付き合い程度に飲むくらいだったので、セフィーロのことをとやかく言える筋合いではないのだが。
少女は、酒とつまみを持ってきた部下を下がらせると、升に注がれた日本酒に口を付けた。口の中に故郷の味が広がった。
前世を軽く懐かしむと、おもむろに尋ねた。
「セフィーロよ、どう思う?」
「やはり酒は葡萄酒に限りますな」
とセフィーロは見当違いのことを言うが、すぐに真剣な顔を取り戻すと、少女の真意を汲み取るかのように発言してきた。
「その酒、日本酒とか言う奴は好みではありませんが、アイクの奴はなかなか上手くイヴァリースの街を治めてるかと」
少女は首肯するように軽く頷く。
「イヴァリースの統治はなかなかに優れている。各地からドワーフが集まり、武器や工芸品を集め、それを輸出して魔王軍に富をもたらしてくれている。それにその酒に代表されるように独特の特産品も生み出してる」
「マヨネーズという奴はなかなか旨かったですな。我が軍団でも一部配給を始めましたが、魔族や魔物にも好評です」
「確かに、酒の肴にも合う」
と、少女は干し鱈や揚げた芋に付けて食す。
アイクに教わった食べ方だ。なかなかの美味であった。
セフィーロと少女はそれを肴にアイクの話題を続ける。
「しかし、日本酒もマヨネーズも、それに火縄銃もそうですが、アイクの奴はどこでその知識を仕入れてくるのでしょうな」
「――ロンベルクの孫ゆえ、ではないか」
少女は誤魔化す。
セフィーロはアイクが人間であることを知っているが、アイクが前世の知識も所有していることは知らない。
そのことを知っているのは少女だけではないだろうか。
秘密を共有している親近感やちょっとした優越感を覚える。
「まあ、しかし、アイクの奴のおかげで、魔王軍は上手く回り始めています。それは確かです」
「そうだな」
「イヴァリースの統治も想像以上。かの街から産出される穀物類は他の軍団の魔族の腹も満たしています。そしてドワーフの王ギュンターを味方に付け、武器も提供してくれている。そのうち、アイクの軍団だけではなく、他の軍団にも火縄銃は配備されるようになるでしょう」
「そうなるだろうな」
少女は肯定したが、心の中で補足を加える。
もっともあの強力な武器は、信頼の置ける軍団にしか配備させないつもりだ、と。
もしも第3軍団のバステオのような輩に配給されようものなら、謀反の火種になってしまうかもしれない。配備する軍団は慎重に選ぶべきだろう。
「ともかく、アイクはよくやっている。よくぞその才能を見いだした。褒めて遣わす」
セフィーロは「有り難いお言葉です」と形通りの返礼をしたが、こう付け加える。
「しかし、あやつのことです。妾が目を掛けなくてもそのうち自分から這い上がり、魔王様の目に留まったでしょう。褒めるならあやつ自身を褒めてあげてくだされ」
その言葉を聞いた少女は、心の中で「いや」と否定するが、それは言葉に出さなかった。
アイクという男は傑物ではあるが、その才能を見いだし、育んだのは、目の前の魔女の功績である。それにアイクの祖父ロンベルクの功績が大きい。
もしもアイクがロンベルクに拾われなければ、もしもそのロンベルクとセフィーロが友人関係でなければ、その運命は大きく変わったことだろう。
もしもアイクと出逢うことがなかったのならば、と思うと、ぞっとすることがある。
少なくとも魔王軍は今のような状況にはなく、和平の使者など来訪することはなかっただろう。
恐らくではあるが、とっくにローザリアから撤退をして、人間の攻勢に怯えていたかもしれない。
「やはり、運命というのはあるのだな……」
ぽつり、と少女は漏らす。
前世でも、この異世界でも、だが、有能な将との出逢いというのは運命的なものになる。
たまたま目を掛けた草履取りの農民が立派な武将と成り天下取りに欠かせぬ武将になったり、隠遁生活を送っていた不死族の孫が魔王軍に欠かせぬ人材になったりするのだ。
そう考えると、神という存在を信じてもいい気になってきた。
無論、少女は神に頼る気などないが。
これまでも神仏は尊んできたが、神仏に頼ってきたことなど一度もなかった。
そうやって自分の道を切り開いてきたのだ。
これからもそうするつもりであったし、今後もそうするつもりであった。
ただ、その為には多くの部下の力を借りなければならない。
セフィーロもそうだし、他の軍団長の力も必要だ。
それに魔族以外の種族、亜人や人間の力も必要になってくるだろう。
それらを取り纏めるには、人間の心と身体を持った魔族の青年の力が必要なのだ。
「アイクよ、期待しているぞ」
少女がそう口にすると、セフィーロも無言で頷く。
少女とセフィーロは、視線を交差させると、心の中でこう念じた。
「すべては戦のない世界のために――」
少女とセフィーロ、考え方や嗜好はまったく異なれど、最終的な目的は一致している。
セフィーロとアイクならばその夢を共有できるだろう。
そう思いながら互いにグラスをぶつけ合った。
この異世界での風習だ。
升とワイングラスで行われる乾杯は奇妙ではあったが、不思議と違和感はなかった。




