魔王様の決断
魔王城の転移の間、そこには相も変わらず屈強な魔族が目を光らせ、不法に侵入してくるものに備えていたが、流石に軍団長クラスになると、その審査も緩くなる。
或いは、魔王様が特別に配慮し、「アイクとセフィーロは念入りに検査をしなくてもよい」と命じてくれているのかもしれない。
魔王様は俺が人間であることを知っていたし、セフィーロのことも信頼してくれている節がある。
前世でも今世でも、冷酷で残忍という噂が絶えないお方であるが、意外と繊細で心配りの出来る方だということを俺は知っていた。
俺たちは「魔王様に火急の用件がある」と伝えると、魔王城にある謁見の間へ向かう許可をくれた。
相変わらず長くて紛らわしい道だが、セフィーロの後ろを付いていけば、あっさりと謁見の間へと辿り着く。
「そういえば軍団長になったけど、このランダムダンジョンの構造はいまだに教えて貰っていないな」
そうぽつりと漏らしたが、セフィーロはこちらを見ると「にやり」と笑顔を浮かべただけで、秘密を教えてくれるわけではない。
新参者のお前にはまだ早い、と思っているのか、それとも有利に立てる分野があって嬉しいのだろうか。
たぶん、両方なのだろうが、気にせず謁見の間へと入る。
魔王城の謁見の間、声が反響しないほどに広く、荘厳な空気に満ち溢れていたが、その中心にある玉座には少女は不在であった。
「魔王様は不在でしょうか?」
セフィーロに尋ねる。
「いや」
とセフィーロは首を振る。
「先ほど、《念話》の魔法で会話したが、魔王城に滞在のはず。湯浴みでもしているのだか?」
彼女はそう言うと再び、瞳を閉じ、《念話》の魔法を詠唱する。
「………………」
目を閉じて黙っていれば、飛び切りの美女なのだが、セフィーロが黙っているのは、こんな時くらいしかなかった。
俺はしばしその光景を見つめていると、彼女は突然その大きな目を見開き言った。
「わかったぞ。魔王様はどうやら私室におられるらしい」
「私室ですか」
魔王様と玉座は常にセットなイメージもあったが、王にも私室は必要だろうし、プライベートな時間が必要なのだろう。
あの可憐な少女がどのような部屋に住まい、どのような私生活を送っているか、興味が湧かないでもないが、それを知る機会は訪れないだろう。
俺はあくまで軍団長、魔王様の一部下に過ぎない。
彼女の生活を覗き見る機会など、永遠に訪れないはずだ。
――そう思っていたのだが、我が元上司、セフィーロはずかずかと歩き出し、魔王様の私室へと繋がっている扉へと歩いて行こうとする。
「団長、どちらに行かれるのですか?」
思わず尋ねてしまうが、セフィーロの回答は素っ気ないものだった。
「魔王様の部屋」
「…………」
思わず沈黙してしまうのだが、俺はすぐに口を開く。
「勝手に行っても宜しいのでしょうか?」
「勝手も何も魔王様が部屋にやってこい、と命令しているのじゃ。赴かないでどうする?」
「……左様で」
意外な言葉に少し驚いたが、理由を聞けば納得した。
「魔王様は公私混同はされぬお方じゃが、気に入った部下には心を許す。お前の祖父、ロンベルクとはよくチェスを指していたし、妾もたまに訪れては、ガールズトークに花を咲かしている」
「……ガールズトークね」
「……なにかいいたいことでもあるのか?」
「いえ」
と、はっきり断言すると、彼女の後ろに付き従い、魔王様の私室へと向かった。
「意外に質素な部屋だな」
それが魔王様の部屋を見たときの感想だった。
魔王様といえば、第六天魔王、その前世は信長様だ。
信長様といえば舶来品好きの派手好みの性格、として後世に伝わっているが、この世界においては少し違うようだ。
彼女の部屋の端には、どこで手に入れたのだろう。畳が一畳敷かれているだけで、その上には布団が敷かれている。
天蓋付きのベッドで就寝されていると想像したが、どうもそうではないらしい。
俺がまじまじと魔王様の寝床を見ていたためだろうか、この部屋の主は、こんな台詞を漏らした。
「意外か?」
この部屋の主とは無論、魔王様である。
勿論、そう思ったので凝視してしまったのだが、女性の部屋、それも上司の部屋をまじまじと見詰めるのは失礼にあたるだろう。
「失礼しました」と非礼を詫びる。
しかし、魔王様は一向に気にした様子もなく続ける。
「うぬの気持ちは分かる。ただ、寝室くらい、穏やかにしたいだけだ。それに余にはベッドよりもイ草の畳がよく合う」
彼女はそう言うと椅子に座るように勧めた。
質素な部屋だったが、椅子とテーブルくらいはある。
これも豪奢なものではなく、質素なものだった。
「珍しい珍品や名品は、それ専用の部屋に飾ってある。見たくなればその部屋に行けばいい。普段はこれで十分だ」
なるほど、合理的な性格だ。
改めて魔王と呼ばれた少女の性格を把握すると、俺は率直に尋ねた。
合理的で理知的な魔王様だ。いきなり用件を切り出した方がいいだろう。
俺は先日アリステアから受け取った書状をそのまま魔王様に渡した。
その手紙を受け取ると、魔王様はそれにさっと目を通す。
時間にして、十数分だろうか、条文を読むのには長すぎる、魔王軍の未来を決めるのには短すぎる。そんな頃合いで、魔王様は語りかけてきた。
「悪くない条件だ」
どうやら魔王様は俺と同様の考えらしい。
セフィーロも追随する。
「確かに悪くない条件ですな。すでにローザリアの半分は我が魔王軍の手にある。それをそっくりそのまま頂けるのであれば、今回の戦、我が魔王軍の戦略的勝利、と位置づけられるでしょう」
魔王様は「うむ」と僅かに頷いた後に、ただし、と付け加えた。
「人間たちがその約束を果たし、履行すれば、だがな」
「確かに」とセフィーロも言う。
二人の美女の視線が俺に集まる。
俺の見解を聞きたい、ということなのだろう。
俺は自分の思っていることを素直に両者に話した。
「その書状はアリステア、という人間の娘がもたらした書状です。その娘とは以前、一度だけ対面しましたが、嘘をつけるようなタイプの人間とは思えませんでした」
「しかし、その娘は使者じゃろ。その後背に控える連中はどう思っているか分かるまい」
「確かにその通りです。彼女の後ろに控えるローザリア国王やその配下がどう思っているかまでは判断できません」
「更に言えば、そのまた後ろに控える諸王同盟の動向も気になる。諸王同盟は名目上、ローザリアを救援するために集結したのだ。一国の王だけの判断で和議を結ぶなどできるだろうか……」
「そうですね。ローザリアの王が音を上げても、他の国の国王がまだまだ戦意過多、というのも十分に考えられます」
魔族は不倶戴天の敵、ここで駆逐せねばいつ駆逐するのだ、そう声高に叫ぶ王たちの姿が目に浮かぶ。
「あらゆる可能性が考えられるの。ローザリアは本気で和平を望んでいる。ローザリアは望んでいるが他の王は望んでいない。その逆もまた然り、他の王が実利のない戦いに嫌気が差し、ローザリアの王に和平を結ぶよう促した、という可能性もある」
「その可能性も十分あるかと」
「ただ、純粋に時間稼ぎのために使者を寄越してたという可能性もあるの。裏では大規模な反撃の準備を進めているのかもしれない」
考え出したら切りがないの、とセフィーロは「かっかっか」と笑う。
「まあ、それはその通りですよ。あらゆる可能性があります。――だから、魔王様に裁可を仰ぐべく、この城にやってきたのです」
俺がそう結ぶと、俺は魔王様に視線を向けた。セフィーロもそれに倣う。
前にも言ったが、この判断は軍団長レベルの判断を超える。
最終的には魔王様に判断して貰うしかない。
そう思ってここまでやってきたのだが、この魔王と呼ばれる少女はどう結論を下すのだろうか。
前世の世界で、日本史上有数の戦略家にして政治家だった少女は、しばし目を瞑るとこう決断を下した。
「余はこの和平、結ぶ価値があると思っている」
その言葉を聞いたセフィーロと俺は驚く。
俺は自分の願望が叶ったからだが、セフィーロは意外そうな顔をしていた。
セフィーロは躊躇することなく魔王様に尋ねる。
「宜しいのですか? 和平を結ぶのは悪くないのですが、他の軍団長は大いに反対するでしょう。血の気の多い軍団長は多い」
セフィーロは特に名前を挙げなかったが、俺も2、3人、強硬に反対しそうな軍団長の顔を思い浮かべた。
だが、魔王様はその想像を打ち破るかのように強い言葉で言い放った。
「心配するな。その辺の調整は余、自ら行う」
「反乱を起こされる可能性もありますが? 或いは人間の真の狙いはそこかもしれませんぞ?」
セフィーロは食い下がるが、それでも魔王様は自信があるようだった。
「それならばそれだけのことだ。余に魔王としての器がなかった、ということだろう。そのときはそのときだ」
ただ――、と続ける。
「この戦乱の世、魔族や魔物は勿論、人間も疲弊している。ここで一旦一息つく、というのも悪くない」
「雌伏の時、ということですね」
俺は首肯する。
「その通り。うぬも知っているだろう。我が魔王軍は昔とは比べものにならないほど、豊かで、精強になった。とある男のおかげでな」
魔王様とセフィーロの視線がこちらに向けられる。つまり俺のことを指しているのだろう。
「和平を結び、時が経過すればするほど、人間と魔族の力の差は開くだろう。相対的にこちら側の農工業生産高は上がり、更に銃保有率も日増しに増えるはずだ」
「つまり、和平を結んで時間が経てば経つほど、我が魔王軍にとっても有利、だと?」
セフィーロは尋ねる。
魔王様はこくりと頷くと、「理論上はな」と結んだ。
「――魔王様がそこまでお考えならば、妾は反対しません。もしも軍団長会議で反対意見が出ても、妾は全力で魔王様のお味方をしましょう」
セフィーロは断言すると、魔王様は「有り難い」と僅かに微笑む。
その笑顔を見て微笑ましくなった。彼女も同様に平和を望んでいると確信できたからだ。
俺は彼女の力になるべく、全力を捧げることにした。
全知全能を掲げ、魔王様の力になる決意を新たに固める。
そう決断した俺は、魔王様とセフィーロに言った。
「ローザリアとの交渉役、是非、俺に任せてください」
と――。
魔王様の視線は俺に注がれるが、彼女は期待してくれているようだ。
「ローザリアとの交渉、すべてうぬに任せる」
魔王様はそう言うと、可憐な少女の微笑みを浮かべた。




