懐かしのバレンツェレ
俺が向かったのは魔王様の居城ドボルベルクではなく、セフィーロの居城バレンツェレであった。
数ヶ月ぶりの再訪であるが、少し懐かしい。
元々、俺はセフィーロの部下としてこの城によくやってきていた。
昔は意味もなく召喚され、実験台にされたり、下らない茶飲み話にも付き合わされたりしたが、最近はあまりそのような機会にも恵まれない。
俺が軍団長に出世したため、控えてくれているのだろう。
何も考えていないように見えて、案外、配慮してくれているのが、セフィーロという魔女なのかもしれない。
そんな風に考えていると、転移の間の護衛であるリザードマンが俺に敬礼してくる。
「あ、アイク様だ。ご出世、おめでとうございます」
リザードマンは蜥蜴を人型にした亜人だ。他の種族から見ればその表情は読み取りにくいが、その声は弾んでいる。純粋に俺の出世を喜んでくれているようだ。
「ありがとう」と返礼をすると、セフィーロがどこにいるか尋ねた。
「団長はどこにいる?」
リザードマンは即答する。
「たぶんですが、いつものように研究棟に籠もっているんじゃないですかねえ」
「またか……」
思わず溜息が漏れる。
あの人は軍団長という立場をどう思っているのだろうか。
軍団長になって分かったが、軍団長は軍事だけでなく、内政、外交、人事、その役目は多岐に渡る。
本来、セフィーロのように研究に明け暮れている時間などないはずなのだが、どうやって第7軍団を切りもりしているのだろうか。
大きな謎のひとつである。
第7軍団の勢いが衰えた、という話は俺の耳には伝わってこないのでなんとかやっているのだと思うが。
「まあ、団長が不真面目な分、部下が補佐しているのだろうけど」
じいちゃんも、あまりにも有能な人物が組織の上に立つと、組織が回らなくなる、ということを話していたことがある。
正確にはその組織の統率者が衰えたとき、或いは死んだとき、その組織はあっという間に崩壊するらしい。
そういった意味では「セフィーロの奴はなかなか優秀なのじゃよ」とも言っていた。
部下に任せるべきところは完全に部下に任せ信頼し、必要以上に口を出さないが、必要なときには口を出す。
或いは俺は彼女の下に配属されたから出世できたのかもしれない。
セフィーロの部下だったときは、そのことに気が付かなかったが、離れてみるとその有り難みが分かる。
「俺も彼女の真似をしてみるかな」
領主としての務めをジロンに任し、軍事面でもリリスにフリーハンドを与える。
さすればどうなるだろうか。
「………………」
想像してみたが、あまり素敵な未来図は浮かんでこなかった。
「まあ、人には人のやり方があるさ」
誰に言うでもなくそう漏らすと、俺はセフィーロのもとへ向かった。
黒過の魔女、セフィーロの籠もる研究棟は、城の外にある。
以前は城の内部に作られていたらしいが、今は別棟として、城の外にある。
理由は、良く爆発事故を起こして城を損傷するからだ。
その爆発で城壁を破壊されたら、魔王軍としては堪ったものではなく、その損失は計り知れない。
流石にそれは不味い、と自覚があるのだろうか、数年前に研究塔は城の外に作り、そこで日々実験に明け暮れていた。
俺が赴くと、狂錬金術師ことセフィーロは、いつものようにゴーレム作りに精を出していた。
どうやら、鉄製のゴーレムの腕に『大砲』を仕込んでいるようだ。相変わらず突拍子もないことを考える人だ。
そう思っていると、彼女はこちらを見るでもなく話しかけてくる。
まるで昨日別れたばかりのような気安さだった。
「おう、アイクか、なにしにやってきた?」
「重要な相談事がありまして」
俺の真剣な声色を察したわけではないだろうが、「そうか」と一言漏らすと、こちらの方へ振り返り、歩み寄ってくる。
黒髪が揺れ、豊満な胸が揺れる。
相変わらず艶めかしい容姿をしているが、子供の頃からの付き合いなので異性だと思ったことはあまりない。
年の離れたお姉さん、という感覚だろうか。
――もっとも、彼女は何百年も生きる魔女、その歳の差は『お姉さん』などという可愛らしいものではないが。
「――アイクよ、今、お前は妾の歳のことを考えていただろう」
俺の側までやってくると、相変わらず鋭い指摘をしてくる。
「滅相もございません」
と冗談で返すと、心の中で彼女の年齢を数えるのをやめた。
勘で言っているのか魔法で心を読まれているのかは判断できないが、怒らせたくない人物を3人選べと言われれば、まず間違いなく彼女が上位に入る。
幼き頃より世話になっているため、その恐ろしさを熟知している。
彼女だけは敵に回すべきではないだろう。
「さて、アイクよ。軍団長就任以来、顔を合わせていなかったが、なにをしにやってきた。妾の顔が恋しくなってやってきたのか?」
「ホームシックにかかるほどやわではないですし、まだそれほど時間は経っていませんよ」
「そうじゃな、あれからまだ半年も経っていないか。まあ、その間こちらも忙しかったし、正直、お前の顔を忘れるところじゃったぞ」
たぶん、仮面を取って、素顔を見せろ、ということだと思うので、仮面を取ると、素顔を彼女にさらす。
「ふむ、少し精悍になったか。人間という生き物は成長が早いの」
「老いる、と言い換えることもできますけどね」
「そうじゃな、お前もいつか、歳を取るのか」
そう感慨深げに言うと、セフィーロは「秘書に茶を持ってこさせよう」と続けた。
俺はそれを言下に断る。
「いえ、火急の用があるゆえ」
「ほう、ジャクロット産の高級茶葉なのじゃが、それを断るからには余程火急の用なのじゃな」
彼女はそう言いきると「いいだろう、話せ」と続けた。
端的に事実を話す。
「昨日、諸王同盟から、和平の使者がやってきました」
「和平の使者……、か」
その言葉には流石のセフィーロも驚いているようだ。
この戦争が始まって以来、そのような提案を人間側から持ちかけてくることはなかったからだ。
「人間共はそれほど追い詰められている、ということかの。それともまだ交渉の余地がある内に交渉の席を設けようとしているのだろうか」
流石はセフィーロだ。即座に俺と同じ考えに辿り着いたようだ。
となれば話は早かった。彼女を通してこの和平の話を魔王様にして貰うべく頼んだ。
「なんじゃ、お前は和平派か?」
「団長はお忘れかと思いますが、俺は一応人間で、あまり戦が好きじゃありませんから」
「人間なのも知っているし、幼き頃からお前が戦いが嫌いなのも熟知しておるよ。じゃが、今は時代が時代じゃ、そう簡単に戦が収まるとは思えない。それにお前が和平を望んでも他の団長が納得するかどうか」
「だから団長のところにやってきたのですよ。最初から味方に引き入れておけば、軍団会議のときに俺に味方してくれるでしょう」
「なるほど、事前に多数派を形成する腹づもりか。この策士め。いや、政治家め」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「しかし、妾が味方をするとどうして思った? 妾も戦が大好きで、和平に反対するかもしれんぞ」
「戦が終われば、好きなだけ研究に没頭できますよ」
俺がそう言い切ると、
「そうじゃな、なら妾も和平派になる」
と、あっさり言い切った。
相変わらずのお人だ。おれがそう苦笑すると、セフィーロは言う。
「まあ、それは冗談じゃが。この辺で手打ちをするのも悪くあるまい。戦況は我が方がやや有利だが、そこまで譲歩してくれた条約を結べるのならば悪くない。その間に更に力を蓄え、人間との間に力の差をもうけられるかもしれないしな」
「そういう考えもあります」
或いはその間、敵が力を盛り返すかもしれないが、力が拮抗すれば、逆に戦争が起きなくなるかもしれない。
色々な未来を想定できるが、ともかく、この判断は軍団長のレベルを超えている。
魔王様直々に決裁を仰ぐ案件であった。
その意味合いもあってセフィーロのもとに訪れたのだが、彼女も魔王城への同行を願い出てくれた。
「よかろう、妾も久しく魔王様への挨拶をしていないからの」
彼女はあっさりそう言うと、「そうれ!」と魔法を唱え、転移の間へと転移し、そのまま魔王城へと旅だった。
相変わらず行動の早い人だ。
久しぶりにあったセフィーロが全く変わっていないことを喜ぶと、仮面を付け直し、魔王城への間に足を踏み入れた。




