明日への夜明け
エルフとの盟約を終えた俺は、部下たちと共に領地であるイヴァリースに戻る。
竜人シガン率いる魔族の部隊、それにエルフの戦士たちも含まれるので、10日前後は掛かるであろうか。
俺一人ならば、魔法を駆使し、もっと手早く帰れるのだが、特に旅路を急ぐ必要はない。
彼らとは苦労を共にしたのだ。帰りも一緒に行軍し、その労をねぎらいたかった。
そんな風に思っていると、リリスが横に馬を並べ、語りかけてくる。
「ですが、アイク様、今、イヴァリースはジロンの奴が一人で切り盛りしていますが、大丈夫でしょうか?」
「そう言われると気になるな」とは冗談半分だったが、こう答える。
「大きな問題はないだろう。ローザリアの軍隊が攻めてきたのならば急報があるだろうし、統治面でも問題はないはず」
「でも、あいつはアイク様がいないことをいいことに、公金を横領しているかもしれませんよ。先日も新しい子供が生まれたと喜んでましたし」
「そうか。何匹目の子供だ? 12匹目だったっけ?」
「16匹めですよ。オークの女は一度に3~4匹生みますからね」
「それはお盛んなことだ」
と前置きした上で俺はジロンを擁護してやる。
「あいつは有能な男ではないが、信頼の置ける男だよ。だから安心して留守を任せている。まあ、行政処理能力は期待できないが、公金を横領するような男ではない」
そう言い切ると、リリスは「だといいんですけど」と冗談半分に笑う。
「だけどまあ、きっとイヴァリースに帰れば、書類の山が積み上がっているだろうな」
そう考えると吐息が出る。
ジロンの奴が処理できなかった案件が山のように俺の執務室の机の上に積み上がっているはずだ。
住民同士の揉め事の処理、農民や商人、職人からの陳情、果ては離婚調停まで、領主のやる仕事は山ほどある。
それを考えると、エルフの里でのゆったりとした生活が恋しくなる。
昼間は茸を採り、畑を耕す。夜になれば管楽器を弾きながら月夜を眺める。
晴耕雨読、いわゆるスローライフという奴だ。
イヴァリースではなかなか味わえない生活だ。
ただ、そういった生活に飽き飽きしている娘もいる。
先日、我が第8軍団に加わったアネモネという名前のエルフの娘だ。
彼女は、道中、度々尋ねてくる。
「イヴァリースという街はどのような街なのでしょうか?」
「見世物小屋はありますか? 図書館はありますか? 石畳が敷かれているって本当ですか? 広場には噴水がありますか?」
「大通りにはお店屋さんがたくさんありますか? 私の服は田舎者っぽく見えませんか? 人間の間ではどのような服が流行っているのでしょうか?」
「エルフは野菜しか食べられないのですが、新鮮な野菜は手に入りますか? トマトが好きなのですが、トマトは流通しているのでしょうか?」
俺はその都度、君の想像しているとおりの街だよ、と適当に相づちを打つが、流石に面倒になってきたので、リリスに相談相手を押しつける。
リリスは最初、厭そうな顔したが、しばらく話してると会話が弾みだしたようだ。
やはり、女同士、話が合うのだろう。今、人間の女の間で流行っている服の色、スカートの色、果ては下着の話までし出したが、気にせず俺は馬を進める。
彼女たちから離れると、愛馬の後ろに乗せていたサティが話しかけてくる。
「アネモネさんはイヴァリースの街に興味津々みたいですね」
「そのようだな。まあ、気持ちは分からなくもない」
都会に憧れる地方人の気持ちは、前世もこの世界もあまり変わらないのだろう。
森の外を知らないエルフの娘がはしゃぐ気持ちも分かる。
「俺は逆にエルフの森の民の生活に憧れるな。この世界が平和になったら、ああいうのどかな場所に館でも建てて静かに暮らしたい」
「いいですね、森の木漏れ日が差す庭で、小鳥さんたちの鳴き声に耳を傾けながら本でも読みたいです」
「ただ、街への買い物が不便になるかな。まあ、転移の間でも用意して、いつでも街に行けるようにすればいいのだが――、って、それじゃあ、スローライフでもなんでもないか。ただの都会暮らしと変わらないか」
俺が笑いを漏らすと、サティも「そうですね」と笑った。
「ですが、そのような日は訪れるのでしょうか?」
サティは少し真剣な面持ちで尋ねてくる。
「訪れるさ。いや、訪れさせてみせる」
そう断言をすると、馬の速度を速めた。
平和な世を作るためには、祈っているだけでは駄目だ。
行動を起こさなければならない。
まずは目先の課題を消化しなければ、平和なときは訪れないであろう。
その課題のひとつには勿論、イヴァリースの街の領地経営も含まれている。
かの街をつつがなく運営して、領地を豊かにし、魔王軍に豊富な食料や武器を提供し、交易をし富を蓄え、来たるべき戦争に備える。
それが今の俺の目標だった。
「来たるべき戦争――、ですか?」
サティが問うてくる。
「ああ、そろそろ、始まる頃だと思うからな」
「……またイヴァリースの街が戦場になるのでしょうか?」
「いや」と俺は首を振る。
「イヴァリースに攻めてきた白薔薇騎士団は撃退した。アレスタを包囲した赤竜騎士団も倒した。それに先日もローザリアの主力である双鷲騎士団も打ち破った。他の戦線でも魔王軍が攻勢に転じているらしい」
「と言いますと?」
サティはきょとんとした顔で尋ねてくる。
「つまり、そろそろ、我が魔王軍はローザリアの王都リーザス攻略に取りかかる時期、ということさ」
そう大胆に予告すると、俺は王都リーザスがある方向へと振り向いた。
丁度太陽が地平線に沈む時刻だった。
地平線が真っ赤に燃え上がっている。
リーザスを攻略するとき、王都はこの地平線のように真っ赤に燃え上がるのだろうか。
出来ればリーザスの住民に被害が及ばない形で占領したいところだが――
それは虫が良すぎる話だろうか。
リーザスでの決戦は激戦が予想される。
できれば、双方の被害が最も少ない形で決着し、リーザスの王都で魔王様やセフィーロと祝杯を挙げたいところだが。
「まあ、それは後々のことだ。今はイヴァリースに帰って内政に専念しないとな」
そう呟くと、麗しの領地イヴァリースへ馬を速めた。




