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湖上の戦い

 エルフの斥候から聞いた情報によると、案の定、敵兵は疲労の極地にあるらしい。


「先日のゲリラ戦術が余程応えたのでしょうね」とはアネモネの言葉だったが、まさしくその通りだろう。


 敵軍の戦意を完全にくじくことは出来なかったが、それでもゲリラ戦術は有意義だった、ということになる。


「しかし、この進軍速度では3日後にはエルフの王都に迫られますね……」


 アネモネは表情を陰らせる。

 彼女を安心させるために、余裕を持った口調で返す。


「そうはさせない。それまでにシガンが来てくれるさ」


 ――とは言ってみたものの、どうなるであろうか。


 このことを予期して、シガンには出陣の準備をさせてあったが、現在、シガンはどの辺りにいるであろうか。


 魔法で交信したいが、この世界樹の森は、酷く魔法が届きにくい。

 携帯電話で言えばアンテナが1本立つか立たないか、といったところか。

 現在、どの辺りにいるか皆目検討がつかない。


 ただ、俺の計算が正しければ、丁度、エルフの部隊と双鷲騎士団の正面衝突が行われたとき、シガンの旅団が敵軍の横腹を突いてくれるはずである。


 それを信じて、行軍するしかなかった。

 双鷲騎士団と接近したのは、翌日の夕刻だった。


「夜襲とはいきませんでしたね」


 とはリリスの愚痴である。

 エルフやサキュバスは夜目が利く一族だ。昼間戦うよりも夜戦った方が有利である。


「そうそう都合良くはいかないだろう。ここで出会ってしまったのならばもはや戦うしかあるまい」


 とはドワーフの王ギュンターの弁だった。

 それには同意する。


「できるだけ森の奥に引きずり込んで戦う、それが最良なんだけどな」


「どうしてですか?」


「敵の補給線は長ければ長いほどこちらに有利に働く」


 古来より、補給線が長くなればなるほど不利になるのは軍事学の基本中の基本だった。

 どんなに精強で屈強な軍隊でも、それを従える指揮官がどんな英雄でも、補給なしには戦えない。

 かの有名なアレキサンダー大王も、ナポレオンも、ヒトラーも、距離という暴虐の前に敗れ去った。

 ただし、今回はその作戦はあまり用いたくない。


 エルフの王都まで敵をおびき寄せて敵軍を叩く、一見、理想的な戦略に思えるが、そうなれば必然的にエルフの里を戦場とすることになる。


 昨日、俺たちを持てなしてくれたエルフたちの顔が浮かぶ。

 彼ら彼女らを戦火に曝すのは忍びない。

 出来るだけ王都から遠いところを戦場に定め、そこを決戦場所にしたかった。

 俺はアネモネの方へ振り向くと彼女に尋ねた。


「この辺でどこか良い地形はないか?」


「良い地形ですか? 例えば?」


「そうだな、大軍が展開しにくく、地の利がこちらにある地形がいい。例えば広大な湖がある地形とか」


 アネモネはしばし考え込むと、ぽんと手を叩く。


「丁度良い、かはわかりませんが、敵軍が進行してくるルートに湖が一つあります。湖と呼ぶにはいささか小ぶりかもしれませんが」


「小ぶりか。まあ、しょうがない。それで我慢するか。では、氷精霊(フラウ)の扱いに長けたエルフの戦士を何人か用意して貰えるかな?」


「それは可能ですが、なにをされるおつもりなのですか?」


 その問いには、にやり、とした表情でしか答えられない。


 悪戯好きの魔女セフィーロと共に過ごした期間が長かったためだろうか、彼女の悪戯心というか、稚気(ちき)が俺にも宿ってしまっているようだ。


 是非、奇術師のような手際で敵軍を倒し、アネモネというエルフの娘を驚かしてみたいものだ。

 そう思いながら、俺はエルフの精霊使いを招集する。

 氷精霊の使い手はクールな顔立ちの女エルフが多かった。





 エルフの精霊使いを集めると、氷精霊を召喚させ、湖を凍らせる。

 氷の彫刻のような妖精たちの口から、白い吐息が吐き出されると、みるみる湖は固まっていった。

 見事なものである。


 一応、俺も《氷嵐(アイス・ストーム)》の魔法で助力したが、流石に一人でこの湖に氷を張ることはできない。彼女たちの精霊の力は有り難い。


 湖の上に張られた氷、リリスはおそるおそる体重を乗せるが、彼女が乗っても壊れない。

 無論、俺が乗っても壊れない。

 巨象でも乗れば別であろうが、この異世界に象はいない。

 敵軍がドラゴンを使役しているとも思えないし、問題はないだろう。


「さて、あとは上手く敵軍を誘い出せる、か、だが……」


 その心配はいらないようだ。


 エルフの斥候の報告によると、敵軍はこちらの位置を捕捉し、こちらに向かっている、とのことだった。


「カモが(ねぎ)を背負ってやってくるとはこのことだな」


 俺がそう漏らすと、アネモネは不思議そうな顔をする。


「カモがタマネギを背負ってくるのですか? 人間の(ことわざ)かなにかでしょうか?」


 この世界には日本で見かけるような長葱はないようだ。

 それでもまあ、タマネギでも理屈は同じだ。


「カモがタマネギを背負ってきてくれたら、そのまま鴨肉の煮込み料理を作りやすいだろう。楽をできる。そういう意味の諺だ」


「なるほど、それは便利ですね。思いもよらない諺です」


「というと?」


「我々エルフ族は菜食主義者ですから」


「……なるほど」


「ですが、我々、エルフ族の間にも同じような諺がありますよ。茸が自分の家の庭に生えてくれる、という諺が」


「エルフ族らしい諺だ」そう言うと、俺はさっそうと翻り、不死のローブをはためかせた。


 さっそく敵の先発隊がやってきたからである。

 挨拶代わりに《光矢(エナジー・ボルト)》の魔法を放つと先発隊の兵を一人倒した。

 それを見届けると後方に後退する。


 今回は前線で戦わず、完全にエルフ族の戦士に戦いを委ねるつもりだった。

 理由は二つある。


 ひとつは、軍隊同士の衝突にはちゃんとした指揮官が必要なためだ。

 自惚れではないが、俺が指揮しなければエルフの部隊は壊滅するだろう。

 エルフの戦士の装備、練度では、人間の軍隊には到底敵わない。

 的確に指示を出し、彼らの脆弱さを補わなければならない。


 それにもうひとつ、俺は『とある』魔法を唱えるタイミングを見計らっていた。

 それには後方から戦いを督戦し、タイミングを見定めなければならない。

 前線で戦っていたのでは、そのタイミングを見計らうことは出来ない。


 ここは是非、アネモネやリリス、ギュンターに奮闘して貰わなければ。

 そう思いながら、彼らに指示を出した。



「必ず生きて帰ってこいよ」

 と――。


 三者はそれぞれに頷くと、エルフの戦士を引き連れ、敵軍に向かった。

 数分後戦闘は開始された。

 戦場独特の戦闘音が響き渡る。

 甲冑や鎖帷子のこすれる音、敵兵の怒声、聞き慣れた騒音だ。


 一方、エルフの戦士たちは、皆が軽装で武器も細身の剣が主体だ。怒声を上げることもない。やはり戦いなれていないことは明白であった。


 エルフの戦士長アネモネ、サキュバスのリリス、ドワーフのギュンター、それぞれ一騎当千の強者だが、彼らが前線に立ってやっと互角、いや、かろうじて戦線を維持できる程度に、こちら側が押されていた。


 思わず握りしめている『円環蛇の杖』に力が入る。



「やはり俺も前線に向かうべきか?」



 思わずそう口に出してしまうが、今はその時ではないだろう。

 彼らを信じるべきだ。

 今、ここで俺が前線に飛び込むのは簡単だが、俺が欲しいのはただの勝利ではない。圧倒的な勝利だ。

 その為にはここで彼らの奮戦を見届けなければならない。

 


 次々と倒れていく敵兵、それと同数の数の味方も倒れて行く。

 戦況は互角――

 ではない。

 同数の兵が倒れていく、ということは数が少ないこちら側が劣勢、ということだ。

 相手の数は10倍、同じ数の兵士が同時に倒れれば、順当に行けば先にこちらが全滅する。

 幼児でも分かる計算だ。

 このまま小一時間も経たずにエルフの戦士隊は、全滅、あるいは潰走する。

 ――はずであるが、そのような真似は絶対にさせない。



『魔王様の名にかけてエルフ族を守る』と誓ったのだ。

 


 その約束を果たせない不甲斐ない男になりたくなかった。

 俺は、大声を張り上げる。



「今だ! シガン!」



 そう叫ぶと同時に、援軍である竜人シガンが敵兵の背後を突く。

 ようやくシガンの旅団が戦場にやってきたのだ。


 俺は《念話》の届く範囲にシガンの旅団がやってきたことを確認すると、彼に双鷲軍団の後背を突くよう指示した。


 シガンは「承知」と一言だけ返すと、これ以上ない、といったタイミングで敵軍を攻撃した。

 後背から襲われることなど想定していなかった双鷲軍団は大混乱に陥る。  

 俺はその瞬間を見逃さなかった。


「今だ!」


 アネモネ率いるエルフの戦士たちに命令する。劣勢に追い込まれていた彼らだが、まだ最後の抵抗をする勇気と力は残してくれていたようだ。


 勇猛果敢に敵陣に飛び込む。

 リリスとアネモネは剣を振り回し、ギュンターは斧を振り下ろす。

 それによって双鷲騎士団は更に混乱をきたす。

 当然、敵軍の指揮官は、一度部隊を撤退させ、態勢を立て直そうとするはずだ。


 エルフの部隊と魔族の旅団、双方から挟み撃ちにされ、大混乱をきたしたが、まだまだ敵軍の優位は覆らない。


 2000兵という大軍をこの程度の奇襲で壊滅できるほど、戦は甘くない。

 それに敵の指揮官も無能ではないだろう。

 敵将は冷静に、『撤退』の指令を出している。


 一度軍団を下げ、態勢を立て直すか、それともこのまま王都リーザスまで逃げ帰ってくれるかは分からないが、ここで決定的な損害を与えておきたかった。


 態勢を立て直すにしろ、逃げ帰るにしろ、どちらかは分からないが、ここで大打撃を与えておけば、二度とこの森にやってこようとは思わなくなるだろう。


 その為には敵軍には『秩序』ある撤退を望みたいものである。

 このまま先ほど凍らせた湖の方へ逃げてくれてもよし、森の方向へ逃げてくれてもよし。

 それは敵将の選択次第だが、どうやら敵は森の方へ逃げるようだ。


「当然か……」


 俺が敵将でも同じ選択をする。

 凍った湖の上など進軍しにくくて敵わない。

 選択肢はそれしか用意されていないのだ。事実、敵軍は森に向かい始めた。

 しかし、残念ながらその選択肢は間違っている。

 森だと思われたその場所には、巨樹族(トレント)が待ち構えていた。

 俺が用意した秘策その1である。

 巨樹族とは、その名の通り樹木の形をした魔族だ。

 大木に木の手足が生えており、目と鼻がある魔物である。


 無論、口もあるので会話をすることも可能だが、彼らは人間と会話をすることなく、その大きな手を振り上げ、振り下ろす。


 その動作は緩慢(かんまん)だが、巨木の全体重を乗せた一撃は岩をも砕く。

 彼らはその巨躯(きよく)を利用し、人間の兵共を蹂躙する。

 殴る、蹴る、岩を投げる。

 トレントにしか出来ない強力な攻撃は人間を怯ませるのに十分すぎた。

 森へ待避することが危険と悟った敵軍の将は慌てて踵を返し、凍らせた湖の方へ待避する。

 


 ――すべては俺の秘策通りだった。



 敵軍が湖の上に乗ったのと同時に、その秘策を実行する。

 先ほどから前線に出たい気持ちを抑えていたのは、この瞬間のためだった。 

 俺はおもむろに呪文を詠唱する。


 その魔法の名は勿論、《地震(アース・クエイク)》だ。


 魔法を唱えると同時に、大きな揺れが森全体を包む。

 当然、その揺れは湖に伝わる。

 湖に張られた氷は、真っ二つに割れる。

 突如として割られた氷、その上にいた人間の兵たちは当然、湖に落下していく。

 極寒の湖だ。さぞ冷たいに違いないし、着込んだ鎧は彼らから浮力を奪う。

 つまり、多くの人間兵たちが、湖の底へと沈んでいった。


 その光景を見ていたアネモネは、呟く。


「す、すごい……」


 リリスは、

「当然でしょう、アイク様なのだから」

 という顔をしている。


 アネモネはこちらの方を振り向くと、尊敬の眼差しで尋ねてきた。


「……アイクさんは最初からこれを見越して、湖を凍らせたのですね」


「その通りだよ。なんの意味もなく、あんなことをするわけがない」


「ええ、勿論、なにか意味があるのかと思っていましたが、まさかこんな奇策を使われるとは」


 アネモネは感服しました、と言わんばかりに一礼をする。


 礼ならば、前世のコルシカ島という場所で生まれたナポレオン・ボナパルトという男にしてやって欲しい。


 この戦術は彼が、アウステルリッツの戦いで用い、多数のオーストリア帝国とロシア帝国の連合軍を破ったときに使ったものだ。


 ナポレオンは凍った湖に、大砲をぶち込み、オーストリア・ロシア連合の兵を大量に葬り去った。


 ――無論、この手のお話は誇張が多く、実際には伝説という話もあるが、少なくともこの剣と魔法の世界では有効な作戦だったようだ。


 俺は18世紀に生まれた偉大な英雄に感謝すると、アネモネたちに岸に辿り着いた敵兵たちを介抱してやるよう頼んだ。


 異を唱えるのは当然、アネモネ――ではなく、リリスだった。


「アイク様、せっかく倒した人間共を介抱してどうするのです。トドメを刺さないと」


 魔族としては当然の意見だ。いや、人間の将としても当たり前の考え方だった。

 ただ、やはり、必要以上に人が死ぬところは見たくない。


 それにここまで戦い、生き延びた彼らには生き残る権利があるように思えるのだ。

 今にも凍え死にそうに震えている兵たちを見ると、次いでエルフの戦士長アネモネを見た。

 彼女は一瞬、迷ったようだが、最終的には俺に同意してくれた。


 エルフたちは武装解除を条件に極寒の湖から生還した人間の兵たちに暖を与えた。

 薪を集め火をくべる。

 火精霊(サラマンダー)を召喚する。

 暖の周りには今にも凍え死にそうな人間たちが、集まっている。  

 人間たちは例外なく、感謝の念を浮かべているようだ。

 皆、エルフ族に頭を下げ、もう二度と森へは攻め込まないと誓っている。


 その光景を見てもリリスは「ほんとですかね?」と懐疑的な意見しか言わない。

 俺は答える。


「貴族階級のものならばともかく、一般兵は徴兵されこの地にやってきたんだ。別に戦いたくてやってきたわけじゃない」


「でも、命令されれば彼らだって拒否は出来ないでしょう?」


「その時は手心を加えてくれるかもしれない」


「わたしがいうのもなんですが、少し楽観的過ぎはしませんか?」


「ああ、俺もそう思う」


 でも、と続ける。


「その時はその時だ。またエルフの森を狙ってくるようなことがあれば、その時は全力で叩き潰すよ」


「そうですね、アイク様ならば、どんな大軍がやってこようとも何度でも蹴散らしてくれるはずです」


 だと、いいのだが。俺はそう言い残すと、戦後処理の指令を下し、エルフの王都への帰還命令を下した。


 これでエルフの女王フェルレットとの約束は果たしたことになる。


 エルフ族との同盟は完全に成立したはずだが、最後にフェルレットに挨拶をしてから、イヴァリースの街へ戻りたかった。

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