白い獣
馬に揺られること数日、俺たち一行はエルフの国があるという世界樹の森まで辿り着いた。
視界に収まらないほど広大な森が広がっていた。
眼前に広がる木々は樹海と表してもいいかもしれない。
ギュンターは説明してくれる。
「世界樹の森は別名、『戻らずの森』だ」
その言葉を聞いた俺は「なるほど、ね」と呟く。
確かに鬱蒼と茂る木々はその異名に相応しい気がする。
「富士の樹海に似ているな」
それが俺の率直な感想だ。
「フジの樹海ですか?」
メイドのサティは尋ねてくる。
「遙か南にあるニホンという国にある樹海の名前だよ」
「はあ、ニホンですか。ご主人さまはその国がお好きなんですね。よく口にされます」
「まあ、懐かしくはあるかな」
「そのフジの樹海とはどんなところなのですか?」
「自殺の名所だ」
と正直に話したら、サティは怯えてしまうので、
「羅針盤を持たずに入れば、二度と戻ってこられないところだよ」
と、遠回しに話しておく。
ちなみに富士の樹海は羅針盤が狂う、という話があるが、あれは俗説だ。
ちゃんと事前に準備をし、羅針盤を携帯して置けば迷うことはない。
今回も一応、羅針盤を持参していた。
ギュンターに作って貰った特別製だ。
商船に積むような大型のものではなく、手のひらに収まる小型のものだ。
しかも御丁寧に細かな意匠なども施してあり、市場で買えば金貨数十枚は下らないかもしれない。
それを懐から取り出すと、方位を確認してみる。
羅針盤の針は、案の定、クルクルと回っていた。
それを覗き込んできたリリスは「うわぁ」という声を上げる。
「これじゃ、羅針盤は役に立ちませんね」
「想定済みだよ」
と一言で返す。
「世界樹の森はエルフの聖地だ。それを守るため、色々な細工が施してある、というのはあらかじめ予期していた」
「これじゃ、道に迷ったら困りますね。わたしは花々から精を吸えば飢えることはありませんが。やっぱり、サティは置いてきた方がいいんじゃないですか?」
と、意地悪くサティの方を振り向くが、サティはそれでも、首をぷるぷると横に振り拒否する。
「道に迷っても大丈夫です。非常食を用意しておきましたから」
と、サティは鞄の中から瓶詰めの食品を取り出す。
中には黄色みがかった白っぽいものが詰められていた。
「なにそれ?」
と、リリスはサティに問う。
サティは得意げに、「マヨネーズです」と返す。
「マヨネーズ? 聞いたことないけど」
「それはそうです。これはご主人さまの考えた未知の食品ですから」
「そうなのですか?」
とリリスは問うてくる。
「ああ」と俺は答える。
「これはどういう食べ物なのですか?」
「鶏卵の黄身に酢と油を加えてかき混ぜたものだ。あと塩胡椒を少々な」
それを聞くと、「どれどれ」と、瓶の蓋を開け、人差し指を瓶の中に入れてすくい取り、それを口に運ぶ。
「なんか濃厚な味がしますね。野菜と合いそうです」
「そういう目的で作ってるからな」
「しかし、これがなんで非常食になるのですか?」
「栄養価が高いからだ。卵は生命の源だからな。あらゆる栄養素が含まれている」
「なるほど、でも卵ならすぐに腐ってしまいませんか?」
「それは大丈夫だ。酢を加えることによって常温でも何年も持つ」
それを聞いたリリスは驚きの声を上げる。「まさか」と。
サティは答える。
「本当なんですよ。お酢を加えてまぜるだけで、とても日持ちするんです。まるで魔法でも掛けたみたいです」
「魔法じゃない。ただの錬金術だよ」
卵は腐りやすいが、それを酢や油でコーティングすることによって、腐りにくい状態を維持できる。
酢と油、それに塩に強力な殺菌効果があるからだ。
この食品を最初に作り出した人は天才だと思う。
栄養価、味、保存性、文句の付けるところが一切ない。
まさしく神の食品だ。
「あと、マヨネーズはカロリーが異常に高いからな。スプーン一杯でご飯一杯分くらいのエネルギーを得られる」
「それはすごいですね」
「ああ、軍隊にぴったりなんだよ。保存性がある。持ち運びしやすい。それにパンに付けて食うと旨いからな。兵士の士気向上に繋がる」
「すごいですね。それを輸出すれば大儲けできそうですね」
「それはそのうち考えている。取りあえず養鶏場の建設と卵をかき混ぜる攪拌機の製造がネックなんだが、それはギュンター殿に頼むとして――」
と、言い掛けて、言葉が止まる。
ギュンターがすごい形相でこちらを睨んでいたからだ。
――いや、正確にいえば俺の後方を見つめていた。
その様子を見て即座に、『円環蛇の杖』を 握りしめる手に力を入れる。
俺もギュンターの視線にならい、そちらの方向へ振り向くがなにも見えない。
ドワーフは夜目がきくようだ。人間には見えない何かが見えるのだろう。
俺は率直に尋ねる。
「なにが見えるのですか? ギュンター殿」
ギュンターは即座に答える。
「どうやら、手荒い歓迎のようだ」
「……なるほど」
その言葉を聞いたと同時に苦笑を漏らす。
それと同時に草むらに控えていたエルフが立ち上がり、弓の弦をしぼる。
「確かに手荒い歓迎だ」
見れば草むらだけでなく、木々の上にもエルフは数人にいた。
皆、同じように弓を構えている。
男も女もいた。
どうやらエルフは男女の区別なく戦う種族らしい。
皆、一様に眉目秀麗で耳が尖っている。
俺は彼らがエルフであることと交戦する意思があることを確認すると、大声を張り上げる。
「エルフは温厚にして、礼儀正しい種族と聞いていたが、それは間違いだったのかな。我々は魔王軍の使者だ。戦う意思はない。どうか弓弦から手を離して欲しい」
「黙れ! 化け物共め! 騙されないぞ」
「化け物ね……」
思わず苦笑してしまう。
変化の仮面と不死のローブを身に纏っている俺の姿は、確かに化け物そのものだった。
リリスは見た目通り魔族だし、ギュンターはエルフと犬猿の仲のドワーフ、それにサティは人間だ。更にこの寒空の中、メイド服を身に纏っている。
これほど怪しげで面妖な集団も珍しいだろう。
警戒するな、という方が無理である。
だが、それでも彼らを説得せねばならない。
ここで彼らと戦闘を行うのは愚行だ。彼らを倒すことは容易だが、これから同盟を結ぼうという相手と喧嘩をしても何の益にもならない。
「繰り返すが我々は魔王軍の使者だ。貴方方からは化け物に見えるかもしれないが、これでも諸王同盟よりは話が通じる交渉相手だと思って欲しい」
「……証拠はあるのか? 我々に危害を加えない、という」
「ある、といえば納得して貰えるのかな? ならばいくらでも言うが」
その言葉を聞いたエルフたちは、相談を始める。
聞き慣れぬ言語だ。
どうやら共通語ではなく、エルフ語らしい。
エルフ語ならば聞き取れぬと判断したのだろうが、相手が悪い。
魔術師には魔法という便利な力がある。《言語翻訳》によって彼らの会話など筒抜けだった。
「おい、どうする? 奴らの言葉を信じるか?」
「魔王軍の使者だと言っているが本当だろうか?」
「魔族が二人、それにドワーフ、人間もいるわ、おかしくない?」
「これは先日耳に入れた噂なのだが、魔王軍にはすごい魔術師がいて、次々と人間やドワーフたちをその傘下に加えていると聞いた。名は確かアイク。不死の王の姿をしているらしい。もしかしたら彼がそうなのではないか?」
「だとしたら、我々も彼らの傘下に入るべきなのでは?」
「どうしてそう思う?」
「アイクという人物はとても寛容な統治者として有名だ。少なくとも諸王同盟に下るよりは扱いがよくなる」
「巫山戯るな! 我々は誇り高いエルフ族だぞ! 誰の傘下にもなるものか! 我々だけでこの森を守るのだ」
「だけど、いくらこの森を守ろうにも、大軍の前には無意味よ、ここは冷静に考えないと」
彼らの会話を聞いて分かったのは、どうやらエルフ族は噂通り誇り高いこと。
それに諸王同盟も魔王軍も信用していないということ。
それとエルフの女王がギュンターに手紙を送ったことも内密になっているようだ。
まずはエルフの女王から受け取った手紙を見せて彼らの信用を得ることが先決だろう。
俺は懐に入れて置いた手紙を取り出すことにする。
一応、相手を警戒させないため、一言断りを入れる――、つもりだったのだが、その暇はなかった。
草むらに隠れていたエルフから悲鳴が上がったからだ。
見れば彼の背中は無残に切り裂かれていた。
そこには真っ白な獣がいた。
一目で自然界の獣ではないと分かる。
狼や熊ではない。明らかに異形の獣だった。
その姿を見てリリスはぽつりと漏らす。
「召喚獣……?」
正解だ。
といってやりたいところだが、そんな暇はない。
血に飢えた獣は、次の標的を探し求め、エルフたちを凝視している。
こちらには一目も向けないのは、こいつが召喚獣である証拠だ。
この獣を召喚した魔術師にそう命令されているのだろう。
ならばこちらが害される恐れはないだろう、とほっと一息つくことはできない。
目の前でエルフが狩られる姿を見るのは忍びない。
俺は、リリスにサティの護衛をするように命令する。
リリスは詰まらなそうに「はーい」と頷くが、それでも戦いたくてウズウズしているようだ。
ただ、俺の命令には必ず従ってくれるのは有り難い。
リリスがサティの側に寄り添い、剣を抜いたのを確認すると、今度はギュンターを見つめた。
彼は命令するまでもなく、戦斧を構えていた。
エルフ族を嫌っていても、その危機を見過ごす気はないようだ。
やはりこの人は信頼の置ける人物だ。
改めてそう確信すると、ギュンターと共に白い獣に向かっていった。




