世界樹への旅路
エルフの女王フェルレットは、ローザリア王国の南西部にある広大な森、『世界樹の森』の支配者である。
12代目の女王であるが、その歴史は古い。
エルフは人間とは違い、長寿だ。
現女王も即位して何百年になるという。
現女王だけで下手な王朝1個分の歴史を誇るのだ。
そんな由緒ある国の女王に会いに行くわけであるが、結局、随行者は少数となった。
俺とギュンター、それにリリスとサティである。
ギュンターを選んだのは、エルフの女王と旧知のため。
そもそも女王からの手紙は彼を介して送られてきたのだ。
彼を連れて行かない道理はない。
リリスを選んだのはなにか荒事があったときの対処のため。
それに置いていくとへそを曲げる。
サティを連れて行くのは、リリスの奇行の監視役といったところだろうか。
あとはサティを連れて行けば食事と食後の紅茶に事欠かない。
ギュンターはその見た目通り料理などまったくしなそうだし、リリスに至ってはお湯の沸かし方の知識さえあるかも怪しい。そもそも彼女は基本、食事は取らない。花々から精を吸い取るだけだ。
エルフ族が住まう森へは数日かかる。
その間、侘びしく干し肉やパンをかじるのも味気ない。
サティがいれば、同じ食材を使っても、
『朝はスクランブルエッグにミルク粥』
『夜はベーコンエッグにフレンチトースト』
などと工夫してくれる。
この二人にそれを求めるのは酷だろう。
まあ、それなら自分で作れよ、という話になるが、残念ながら俺も料理は得意な方ではない。
この二人より多少ましな程度か。
その程度の腕前だ。
なので偉そうなことを言う資格はないのだが。
そう思っていると、サティが話しかけてきた。
丁度、夕食を取り終えた直後、彼女の注いだ紅茶を飲み終えたと同時だった。
サティは遠慮がちに尋ねてくる。
「エルフさんたちの森は遠いのでしょうか?」
彼女の口からは白い息が漏れている。
冬も近い上に、この辺りは標高が高い。
メイド服の上はそのままに、自作の毛糸の手袋とマフラーをしているだけなのが、彼女らしい。なんでもメイドはメイド服を身に纏っていなければ、メイドではないらしい。
意地でも厚着をしようとはしない。
俺はサティに焚き火に近い席を勧めると答えた。
「あと、2~3日といったところだろうか」
「そうですか……」
と再び白い息を漏らす。
それに呼応するようにリリスは言う。
「人間の身体って不便ね。寒いのが苦手ならイヴァリースに籠もっていればいいのに」
リリスは「くすくす」と笑うが、彼女は薄着だ。
まるで娼婦のような格好をしている。
淫魔族のサキュバスは寒さにも強いらしい。
「まあ、そういうな。サティのおかげで旨い食事にもありつけるのだから」
「わたしはご飯は食べないからどうでもいいんですけどね」
「俺が困る。それにギュンター殿も」
ギュンターの方へ振り向くと、彼は蒸留酒の入ったボトルを片手に、こくり、と頷く。
「どうだ。これで圧倒的多数でサティの同伴は正解だったことになる」
俺がそう言うと、リリスは、「ふん」とへそを曲げる。
「なんか人間みたいな物言いですね」
「そう聞こえるか?」
まあ、人間なんだけど。
「キョーワ主義者とかいう人間共と言い分がそっくりです」
「共和主義か。まあ、多数決でものごとを決めるのは悪くない」
この世界にも共和制の国はある。
多数決で政治を決める国だ。
以前赴いた通商連合も大商人たちが集まって合議で政治を行っている。
ただ、共和制の欠点は意思の決定の遅いこと、少数派の声が反映されにくいことにある。
一方、この世界で多くの国で採用されている君主制の欠点は、君主が無能だとその国に未来がないこと。
その代わり意思の決定が早く、迅速に動ける。
どちらも一長一短なのだが、エルフの国はどうなっているのだろうか。
ギュンターに尋ねてみる。
「ギュンター殿、エルフの国はどのような国なのでしょうか?」
ギュンターは答える。
「蒼き森に包まれた国だ。普段、奴らは森の外を一歩も出ずに、暮らしている」
「でも、ときどき、エルフさんたちを町中でも見かけますが?」
とはサティの質問だった。
ギュンターは無言で頷く。
「そういうエルフも稀にいる。退屈な森の暮らしに飽き足らず、人里に憧れるエルフがな」
なるほど、地方民が東京に憧れるようなものか。
華やかな都会、珍しい建物や、広場で行われている大道芸、森で生活していれば生涯見ることはないだろう。
実際に生活してみれば、そんなものは数年で飽きてしまうのだが、エルフにとっての数年は、きっと数十年に当たるのだろう。
なにせエルフといえば長寿なことで有名な種族なのだから。
「しかし、エルフたちはどうしてその森に固執しているのでしょうか? 人間たちが攻めてくるならば別の森に逃げればいいのに」
その素朴な疑問を発したのはリリスだった。
それについては俺が答える。
流石にそれくらいは事前に調査していた。
「エルフたちが住まう禁忌の森の中心には『世界樹』があるからだよ」
「世界樹……ですか?」
サティは尋ねてくる。
「ああ、世界樹というのは、古の昔、この世界の誕生と共に生まれたといわれている樹木の名前だ。その歴史は古く、なんでも古き神々よりも先にこの世界に芽生えた、という伝承がある、らしい」
「らしい、というと?」
「事実は分からない。そもそも自分の生まれる前のことなんで確認できない」
それに俺の前世は日本人だ。
神の存在さえ疑っている。魔法や魔族が平気で存在する世界なのだから、神様がいても不思議ではないが、実際に会ったこともないし、その恩恵も受けたことがない。
神に祈っていれば幸せになれる。
神に祈っていれば戦に勝てる。
そうなるのであれば、毎日、神様にお祈りを捧げてもいいのだが、現実はそう甘くない。
――もっとも口に出したりはしないが。
この異世界の住民は神々を恐れ、敬う。
ギュンターは、鉱物神グスタブを、エルフは森の女神シャリスを崇拝している、と聞く。
リリスでさえ、邪神の存在を信じているし、恐れている。
信心深い人々に向かって、「神など存在しない」などと口にするのは愚かなことだ。
彼らに嫌われるだけでなく、その神を崇拝する信徒全てを敵に回すことになる。
それは組織の上に立つ人間として、為政者としては絶対にやってはならないことだ。
それに見えない、からといって、存在しないとは言い切れない。
もしかしたら、そのうち出会う機会もあるかもしれない。
ただ、それでも神々に頼る気などまったくしないが。
俺のじいちゃんもよく言っていた。
「神々の存在を敬うのはいい。ただし、神々に頼るな」
今になってその言葉の重みが分かる。
結局、最後は自分の知恵と力が頼りとなるのだ。それだけは肝に銘じておかなければならない。
そんな風に思いながら、エルフの森へと向かった。




