エルフの女王からの手紙
部隊長、いや、旅団長に出世したリリスたちと別れを告げると、俺は自分の執務室へ戻った。
椅子に座るなり、なにをいうでもなく、俺の望む飲み物が出てくるのは、流石はサティだった。彼女の気配りは、戦場を駆け巡った後の俺の心を癒やしてくれる。
彼女が用意してくれたコーヒーの香りが室内に満たされる。
このコーヒーは先日、ゼノビアに赴いた際、通商連合の盟主エルトリアにわけてもらったものだ。
豆の善し悪しはよく分からないが、元々、俺はコーヒー党なので、この香りに包まれると心安らかになる。
それにコーヒーに含まれる多量のカフェインも有り難い。
軍団長に出世してから更に忙しくなった。
イヴァリースは勿論、支配下の街から次々と重要な書類が送られてくる。
それらに目を通し、決裁を行うのも俺の重要な仕事の一つだった。
それらに一通り目を通すと、サティは恭しく頭を垂れてくる。
「ご主人さま、ご出世、おめでとうございます」
顔を上げると彼女はニコニコと微笑んでいた。
まるで我がことのように嬉しい、という顔だ。
実際にそうなのだろう。この台詞を聞くのはすでに今日で3回目だ。
「そんなに俺の出世が嬉しいのか?」
「はい」
と、メイドのサティは頷く。
「忙しくなって、サティに構ってやる時間が少なくなるかもしれないぞ?」
「それは構いません」
と、サティは断言するが、すぐに表情を変える。
「あ、いえ、少し寂しいですが、それでも嬉しい気持ちが勝っています」
サティは補足する。
「ご主人さまが軍団長になって、頑張ってくだされば、平和な時代が早くやってきますから。そうすればずっと執務室にいらしてくださるでしょうし」
「そうだな。戦争から解放されれば、俺はどこかの地方の領主にでもなって、悠々と暮らせるかもしれない」
魔王軍と諸王連合軍は、いまだ戦の真っ最中だ。
戦局はほぼ互角、といったところだろうか。
まだまだ戦に終わりは見えないが、そのうち、ただサティの入れてくれたコーヒーや紅茶を飲んでいるだけの日々がやってくるかもしれない。
それはそれで暇だが、もう血なまぐさい戦場に行けなくて済むのかと思えば、気が楽になる。
「ただ、平和な世界イコール退屈な日々が待っているんだよな」
今は軍団長として忙しい日々を送っているが、何もせずにぼけっとしている自分の姿が想像つかない。
仕事に忙殺されるのも嫌だが、やることがなくなるのも困る。人間、何事にも適度が大事だ。
そう考えると今から趣味でも作っておけばいいのかもしれない。
そう思った。
ただし、ここは中世めいた異世界だ。
やることは限られる。
本でも読むか、もしくは書くか。
あるいは演劇でも見るか、曲芸師でも招くか。
前世では、ドラキュラのモデルとして有名なブラド・ツェペシは晩年、編み物に没頭していたというし、マリー・アントワネットの旦那さん、ルイ16世は錠前作りが趣味だった、という。
そういった方面の趣味もありだな、と思っていると、その錠前作りが得意そうな人物が俺の館にやってきた。
サティは控え目に告げる。
「ギュンター様がお出でのようですが」
「ギュンター殿が? 珍しい」
ドワーフの王は寡黙で控え目だ。
ジロンやリリスのように用もなく訪れたりはしない。
「なにか問題が発生したのだろうか、それとも暇を持て余しているのだろうか」
「それは分かりませんが、少し真剣な表情をされていました。部屋にお通ししてもいいでしょうか?」
答えは「勿論構わない」だ。
俺はドワーフの王ギュンターを尊敬していた。
彼に対して扉を閉ざす理由は何一つない。
俺がそう言うとサティは《解錠》の護符を執務室の扉にかざす。
がちゃり、とセフィーロが作った魔力駆動式の扉が開く。
ドワーフの王は部屋に入ると一礼をし、俺の前までやってきて、椅子に座っても良いか尋ねる。
勿論構わないのだが、一々、許可を取るのがこのドワーフの性格を表していた。
ドワーフの王ギュンターは、亡国の王である。
形式としては魔王様と同格、ということになる。
なのに彼は、偉ぶる素振りもそれ相応の立場も求めない。
あくまで俺の部下として振る舞おうとする。
何度か、それとなく注意したことがあるが、この王は、
「今のワシはあくまでアイク殿の家臣だ。一人の部下として扱ってくれ」
という言葉しか返してこない。
こちらとしては部下ではなく『盟友』だと思っているのだが、それでもギュンターは、「組織というものは上下関係をハッキリさせなければ回らない」の一点張りだった。
本当にドワーフとは頑固な生き物である。
何度説得しても変わらないので、こちらとしても彼の言う通りにするしかなかった。
「着席してください。ギュンター殿」
俺がそう言うと彼は対面にあるソファーへと腰掛ける。
そして、抱えていた小樽をドン、とテーブルの上に置く。
「軍団長への昇進、誠にめでたい、これはその祝儀だ」
曰く、限りなくアルコール100%に近い『火竜の息』というドワーフ族秘蔵の酒だそうだ。
祝いの席ではこれを振る舞うのが伝統になっている、とのこと。
返礼すると、俺はサティにグラスを一つ用意させる。
後、水とレモンの汁もだ。
正直、酒は好んで飲む方ではない。
そんな純度の蒸留酒を飲めば、即座に前後不覚になる自信があった。
サティがグラスを持ってやってくるのを待つと、俺は魔法で氷を作り、それを水とレモン汁を加える。水を炭酸水に替えればレモンサワーの完成なのだが、流石にそこまで都合の良い魔法はない。
俺はそれに口を付ける。水の分量から察するに、アルコールの濃度は20%程度に抑えたはずだが、それでもかなりキツイものがあった。
一方、ドワーフの王は、小樽から直接酒を口に注ぎ込んでいる。
ドワーフという生き物の酒の強さは特筆に値するが、その中でもこの王は特別なようだ。
顔が朱色に染まるどころかまったく変化を見せない。
サティは呆れながらその光景を見ていたが、俺はドワーフの王が酒を飲み終わるのを確認すると、彼に話しかけた。
「ギュンター殿、なにか用件があって、やってこられたのですよね?」
前述の通り、このドワーフの王は意味もなくこの館に訪れるタイプの人物ではない。
なにか、用件のようなものがあってやってきたと推測できるのだが。
「…………」
――どうやら、その推測は当たっていたようだ。
ドワーフの王はゆっくりと首を縦に振ると、懐から一枚の便箋を取り出した。
上質な紙で、封蝋が施されている。
一目でそれなりの身分の人間から送られたものだと判断できる。
「その便箋は?」
「ワシの宿敵から送られてきたものだ」
「宿敵、ですか?」
「宿敵は言い過ぎか。ただ、昔から互いを好かん。戦争になったことはないが、顔も見るのも厭だ、と公言する相手から送られてきた手紙だ」
「まあ、人間好き嫌いはありますしね」
「うむ、伝承では、ドワーフは鉱物神グスタブの髭が抜け落ちて生まれたと言われている。一方、奴らは森の女神シャリスの涙から生まれ落ちたとされている。二人の神も仲が悪かったそうだ。互いに嫌い合うのも無理はない」
「なるほど、つまりその手紙はエルフの王から送られてきたもの、ということですね」
「うむ」
と、ギュンターは頷く。
ドワーフとエルフの仲が悪い、とは、どこの世界の物語にもあるが、どうやらこの世界でもそれは一緒のようだ。
ドワーフという生き物は見ての通り、豪放にして頑固者だ。
一方、エルフという生き物は、高慢で気まぐれ、と聞く。酒も一滴も飲まないそうだし、気が合わないことこの上ないのだろう。
そんな相手からどのような手紙が送られてきたのだろうか、純粋に興味が湧いた。
「内容を尋ねてもいいでしょうか?」
ギュンターは頷く。そもそもその内容を伝えるためにやってきたのだ、と彼は付け加えると、手紙の内容を簡潔に話してくれた。
「端的にいえば、エルフの王、いや、エルフの女王は今、窮地に立たされているらしい」
「窮地? ですか?」
「ああ、そうだ。どうやら人間共に。いや、諸王同盟に最後通告を突きつけられたらしい」
「最後通告、ですか」
「ああ、つまり、こちらの味方につくか、それとも諸王同盟によって滅ぼされるか、の二択を迫られているようだ」
「なるほど」
「奴ららしいやり口と言えばやり口だが、これはアイク殿の責任でもある」
「俺の責任ですか?」
思わぬ言葉に驚く。
「アイク殿は諸王同盟を追い詰めすぎた。奴らは今、焦っているのだろうな。このままでは負けるのでは、と」
「なるほど、その可能性は高いですね」
諸王同盟の兵力はまだまだ健在だ。今まで優勢だった戦局も少しずつだが、魔王軍側が盛り返している。
奴らが焦るのも無理はない。
「それに、奴らはドワーフ族が魔族の味方を始めた、という話も脅威に感じているようだ。ドワーフの王国は滅んでしまったが、ドワーフたちは各地に点在している、それが一斉に反抗を始めたら、あるいは魔王軍のもとへ向かったら、と脅威を感じているのだろう」
「特に後者の方が脅威でしょうね。こと技術職に関しては人間よりも優れている部分もある。ドワーフ族という奴は」
「実際、魔王軍が過去、人間に敗れたのは、技術力が不足していた、という部分も大きいからな」
ギュンターは事実を指摘する。
確かにドワーフの協力は魔王軍にとって大きな力となっていた。
人間たちは更に他の亜人まで魔王軍に味方を始めたら、と恐怖に駆られているのかもしれない。
「エルフの奴らは、技術はないが、その代わり、強力な精霊魔法を使う。それに皆、弓の名手だ。彼らが魔王軍に味方を始めれば、と恐慌状態に陥っているのだろう。実際、エルフ族は森の外の世界には興味のない種族、放っておけば良いものを」
「人間、追い詰められれば正常な判断が出来なくなる、ということでしょう」
武力によって相手を恫喝するのは、一見、有効なように見えるが、愚かな面もある。
実際、彼らは武力によってドワーフの王国を滅ぼしたが、ドワーフの協力は得られなかった。
また同じ轍を踏む気でいるようだ。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、というが奴らはつい最近のことさえ覚えていないらしい。
諸王同盟を束ねる人物は余程無能なのだろうか。
中には先日戦った、エ・ルドレ将軍のような有能な男もいるのだが。
だが、敵の大将が無能なのはこの際、助かる。
エルフの国を襲うなど、下策中の下策だ。
俺は決心すると、ギュンターに感謝の念を述べた。
「ギュンター殿ありがとうございます。貴重な情報を頂きました」
「……ふん、ワシはただ、手紙の内容を伝えただけだ」
そう言うと、ギュンターは席を立ち上がる。
結局、ギュンターは「エルフ族を助けてやって欲しい」とは一言も言わなかったが、その内心は透けて見えた。
その背中は「なんとか彼らの力になってくれないか」と語っているかのようだった。
ドワーフ族らしい、剛直にして頑固な態度だったが、たぶん、これもツンデレの一種なのだろう。
俺はギュンターの期待に応えるべく、作戦を練ることにした。




