魔王様とドワーフの王
イヴァリースにある転移の間にたどり着くと、俺はさっそくジロンを呼び出した。
詳しい状況を聞きたかったからである。
執務室に戻るとベルを鳴らす。
特別なベルだ。
特定の人物にしか聞こえないように魔力を付与してある。
そのベルの音を聞くとジロンが慌ててやってくる。
オークの参謀ジロンは、俺の執務室のドアを開けるなり、
「旦那、旦那、大変でさ」
と、叫んだ。
いつもの台詞である。
しかし、今回は第7軍団の軍団長であるセフィーロが窮地に陥っているのだ。
その気持ちも分からなくはないが、今日のジロンはいつもより多くの冷や汗をかいているようにも見えた。
それほどまでの窮地なのだろうか。
思わず肝が冷えてしまう。
セフィーロは確か、現在、イヴァリースの北西にあるアレスタという街を侵略中だ。以前、第2軍団のゲルムーアが攻略に挑み、見事に失敗した都市である。
アーセナムの戦で敵に手痛い打撃を与えた今ならば、なんとか落とせるのでは、と言っていたが、まさか失敗するとは思っていなかった。
「団長は今、潰走中なのか? 無事か?」
思わずに尋ねてしまうが、その返答をしたのはジロンではなく、意外な人物だった。
彼女は、いつもの口癖をいつもの口調で言った。
「――であるか」
と、彼女の声色は特徴的であるが、そうでなくてもそんな口癖をする人物はこの世に一人しか存在しないだろう。
俺は声の方に振り返ると、片膝をつき、礼を尽くした。
サティも恭しく頭をたれる。
キョトン、とその場で立ち尽くしているのは、ジロンだけだった。
そういえばジロンは魔王様と面識がない。
唖然とするのも当然だろう。
ただ、まさかいきなりこんな無礼な真似をするとは思っていなかった。
ジロンは突然やってきた魔王様に向かって言った。
「こらこら、お嬢ちゃん、どうやって忍び込んだか知らないが、ここはお嬢ちゃんみたいな魔族が来ていい場所じゃない。魔王軍第7軍団副団長アイク様の館だ。遊ぶなら外であやとりでもお手玉でもしてるんだな」
その言葉を聞いて一番肝を冷やしたのはたぶん俺だろう。
「アホ」
と言ってやる暇さえない。
ジロンは小柄な魔王様を抱えて外へ追い出そうとしたからだ。
俺は確実に焼き豚にされるだろうジロンを哀れに思ったが、意外にもそうはならなかった。
魔王様は、俺に向かって無表情に言った。
「面白い部下を飼っているな」
「……これでも稀に役に立つことはあるのです。何卒、お許しください」
ジロンに代わって謝ると、俺はジロンに説明してやった。
「――このお方はダイロクテン様だ」
その言葉を聞いたジロンは魔王様を解放したが、それでも信じられないようだった。
「まさかあ、旦那、オレを騙そうたってそうはいきませんよ。魔王様といえば、魔族の王様ですよ。もっと威厳があるはずです」
「ほう、余には威厳がないか?」
「ないですな」
ジロンはきっぱりと言い切る。
「魔王様といえば、頭は9つ有って、それぞれに王冠を被っていて、手足は6つ有って、それぞれに恐ろしいかぎ爪が有って、尻尾は3つ有って、それぞれ毒針、麻痺針、睡眠針があるって聞きました。こんな小娘だなんて信じられませんね」
こいつは自分の舌で自分の死刑執行書にサインでもしているのだろうか。
もう庇いきれない、と思ったが、魔王様は意外にも、
「そうか、余は下々の者からそう思われているのか。それは知らなんだ」
苦笑を漏らすだけだった。
ただ、これ以上ジロンを野放しにしておけない。
俺はジロンを強制的に転移させる。
場所はどこでも良かった。
俺の魔力の及ぶ範囲で最も遠い場所に転移させると、俺は魔王様に改めて謝罪をした。
「すみません。部下の管理不行き届きです」
「気にするな。余の顔を知っている魔族は限られる。ああいう態度に出る輩もいるだろう。そもそも、うぬとて余と初めて会ったとき、困惑していたではないか」
「……赤面の至りです」
としか言えない。
確かに彼女と初めて出会ったとき、ジロンと似たような感想を抱いた。
まさか魔王軍の魔王様が、こんな可憐な少女だとは夢にも思っていなかったのだ。
ま、俺はジロンみたいに馬鹿な台詞は吐かなかったけど。
そんな風に思っていると、魔王様はおもむろに口を開く。
「まずは余の名代としてゼノビアとの交渉をまとめ上げたこと、褒めて遣わす」
勿体なきお言葉です、と、頭を下げたが、すでにその情報は耳に入っていたようだ。
流石は魔王様、地獄耳だ。
「うぬが妻を娶るという話も聞いた。結婚の暁には何か結納品でも送ろう」
……知られたくないというか、どうでも良い情報まで筒抜けのようだ。
ならば後はゼノビアとの通商条約の詳細をまとめた契約を渡すだけでよいだろう。
そう思ったが、それよりもまずしなければならないことがあった。
「ゼノビアとの条約の仔細は後ほど報告に上がります。今はそれよりもしなければならないことが――」
「分かっているセフィーロの一件だろう」
魔王様はオレの言葉を制すようにいう。
どうやら彼女がこの館にやってきた目的も一緒らしい。
彼女は説明してくれる。
「現在、セフィーロは第7軍団の総力を挙げてアレスタに攻め込んでいる。うぬの旅団以外を引き連れてな」
「しかし、あの団長が負けるなんて思ってもなかった」
魔王様は訂正する。
「まだ負けたわけではない。負けつつある、といったところか」
「というと?」
「見事アレスタの攻略には成功したが、それが罠だったのだ」
「つまり、人間たちは、わざと魔王軍を城内に誘い込んで、逆に魔王軍を包囲している、ということですか」
「その通り」
魔王様は短く言う。
「人間共の知恵もなかなかだ。あの切れ者のセフィーロを出し抜くのだからな」
「しかし、アレスタの街を奪った、ということは、城塞都市に籠もっている、ということでしょう。暫くは持ちますね」
「うむ」
と彼女は頷く。
「ただし、敵も間抜けではない。都市には食料も残していないだろう。セフィーロも遠征用の分しか用意していないだろう。つまり、そろそろ食糧が尽きる頃だ」
「……それは不味いですね。古来より、飢えた軍隊が勝った例はありませんから」
「人間共から徴発、いや、略奪することもできないだろう。これが策略ならば、都市の住民達からも食料を奪い取っているはずだからな」
「……狡猾ですね。同じ人間同士なのに」
「だが、効果は覿面だろう。城外には腹を満たした人間の兵。城内には腹を空かせた住民達。下手をすればその双方から同時に攻撃される。余が人間の立場でも同じことをするかな」
「そうなると、ほとんど時間はありませんね」
「その通り、持ってあと1ヶ月というところだろう」
「ちなみに敵の数は?」
「5000」
「アーセナム救援の時の半分か」
「ただし、セフィーロの兵は半減している上に疲弊している。それに今現在、救援に赴ける軍団はない」
と、魔王様は言い切った。
「現在、各地で同時多発的に侵攻を受けている。動かせる兵はうぬの旅団だけだ」
「つまり、俺の旅団600で5000の兵を相手にしろ、ということですか」
「そうなる」
と言った後に魔王様は沈黙する。
「――が、余とて鬼ではない。うぬに選択肢をやろう」
「選択肢、ですか?」
「そうだ。道は2つある。このままセフィーロの救援に向かい奴と共に玉砕する道。もう一つはセフィーロを見捨て、その後、お前が第7軍団の団長となる道だ」
「…………」
思わず言葉を失ってしまう。
「……とても魔族らしい考え方ですね」
「余は魔王だからな」
と笑ったが、表情は能面のようだった。
「ただ、勘違いして貰っては困るのは、余はセフィーロを見捨てるのでも切り捨てるのでもない。諦めるだけだ。この上、救援に向かったところでうぬまで死なせてしまう。それは魔王軍にとって計り知れない損失となる」
「それはとても困る……」と魔王様は初めて少女らしい顔をした。
この人もこんな顔ができるのだな、と思ったが、彼女に道を提示して貰うまでもなく、俺の行動は決まっていた。
「セフィーロは巫山戯た上司ですが、それでも俺の姉のような存在です。彼女を見捨てるわけにはいかない」
「……ならば最初の道を取る、ということだな?」
魔王様は確認するかのように尋ねてきたが、俺は黙って頷いた。
「この街にも守備兵は残さねばなるまい。ならばうぬが用意できる兵の数は500にも満たないのだぞ? その兵で10倍の敵に挑むというのか?」
「嘆いても兵が増えるわけではありません。……だから嘆きごとはいいませんが」
確かに魔王様の言うとおりだった。
不死旅団が動かせる兵の数は500。そのうち100兵に鉄砲を装備させた精鋭とはいえ、10倍の敵に当たるのは危険すぎた。
いや、愚かすぎた。
ましてや今回は籠城戦ではなく、敵に野戦を挑まなければならないのだ。
正直、10倍の敵に正面から挑むのは馬鹿のすることだ。
どんなぼんくらな将でもそんな無謀な真似はしない。
だが、それでもセフィーロを見捨てる気にはなれなかった。
そう言うと俺は改めて言った。
「500の兵でもなんとかしてみますよ」
と――。
ただ、それを否定する者がいた。
思わぬ人物が会話に乱入してくる。
見ればサティがドワーフの王ギュンターを連れ立ってやってきた。
サティは俺に謝る。
「すみません。ギュンター殿に尋ねられてしまって……」
とサティは平身低頭に謝る。
ギュンターは言う。
「この娘は悪くない。ワシが無理矢理聞き出したのだ。許してやってくれ」
俺は「やれやれ」と漏らす。
その時の光景が思い浮かぶからだ。
サティという少女は嘘をつくのも下手だし、隠し事をするのも苦手だ。
口止めはしてなかったので、こういうことになってもおかしくはなかった。
「どうやらやっと恩を返せそうだな、アイク殿よ」
「恩ならば十分返して貰ってますよ、『銃』という形で」
「銃を作っているのはワシではない。ドワーフの職人達だ」
ギュンターはそう言うと、右手に持っていた戦斧を振り上げ、空を切る。
ぶあんッ!
空気の裂け目が見えそうなほどの早さだった。
それもあんな大きな戦斧を片手で持てるとは、とてつもない膂力だった。
ドワーフは、手先が器用な職人としても知られるが、力持ちの鉱山夫としても有名だった。
普段持っているつるはしを斧に変えれば、一流の戦士となるドワーフも多いだろう。
「この街には職人だけでなく、ドワーフの戦士も集まってる。その数はおおよそ100、彼らが戦に加われば、アイク殿の助けになろう」
「いいのですか? ドワーフたちには関係のない戦ですよ」
「いや」
とギュンターは首を振る。
「魔王軍がこの世界を統一すれば、ドワーフの国を作ってくれるのだろう?」
ギュンターは真摯な瞳でこちらを見つめてくる。
俺は魔王様の方をちらりと見つめる。
彼女は無言で頷いた。
「その件は俺の名前に懸けてお約束します。ですが、ご承知かと思いますが、現在、魔王軍は苦戦中です。あるいはそのお約束が果たせないかも知れませんよ」
「そのときはそのときだ。それはワシの見る目がなかった、ということだろう。諦めよう」
だが、とドワーフの王は続ける。
「各地をさまよい、自分たちの居場所を見つけられなかったドワーフたちに居場所を与えてくれたのはアイク殿だ。少なくともその礼は返さねばならない。ドワーフは一度受けた恩義は忘れない種族だ」
そう言い切ると、重ねて援軍の件を申し出てくれた。
これは断っても勝手についてくるだろうな、と思った俺は、ギュンターに握手を求める。
「お力添え、感謝します」
「こちらこそ貴殿のために働けて光栄だ」
と、力強く握手を返してきた。




