エルトリアとの交渉
ゼノビア港に戻ると、一番に迎えてくれたのはユリアだった。
「アイク様、ご無事をお祈りしていましたわ」
と、人目もはばからず抱きついてくる。
水夫たちには茶化されるし、彼女の胸が密着してきてなんともいえない気持ちになる。
サティもなんだか、いつも以上ににこやかにこちらを見つめているし、居心地が悪いことこの上ない。
俺は彼女を引き離すと、
「嫁入り前の淑女が、人前でしていい行為ではありません」
と、注意する。
彼女は、「はい!」とはつらつとした笑顔で従ってくれたが、
「では、人が居ないところでやろうと思います」
と、不敵な発言を漏らした。
「…………」
ある意味海賊よりも剛胆な発言に恐怖したが、俺たちはユリアが乗ってきた馬車に乗り込んだ。
ゼノビアの盟主であるエルトリアの館に向かうのである。
彼女が港までやってこなかった理由、それは「仕事が忙しい」からだった。
相変わらず分刻みのスケジュールを強いられているらしい。
ただ、俺と会い、交渉の席に着いてくれる時間は取ってくれているようだ。
それも午後、すべての時間を空けてくれているとのこと。
それだけカルッサ討伐に恩義を感じてくれているのだろう。
俺はその恩義を取引材料に、なるべく有利に魔王軍との条約を結んで貰うつもりだった。
ゼノビアにあるエルトリアの館の執務室、そこに行くと、開口一番にエルトリアに抱きしめられる。
「おお、我が婿殿よ」
と――。
余程、カロッサ退治の報告が嬉しいらしいが、いきなり抱きしめられるとは夢にも思っていなかった。
エルトリアという女性は、ユリアの母親である。
それなりに年齢を重ねているはずであるが、かなり魅力的な女性だ。
それに香水を付けているためか、とても良い匂いがする。
大人の女性の魅力という奴なのだろう。
ユリアとは違った意味で魅力的な女性だ。
しかし、ほぼ同日同時刻に魅力的な女性二人から抱擁を受けるとは夢にも思っていなかった。
しかも母と娘から。
思わず胸の感触の違いが気になってしまったが、俺は紳士なので、エルトリアから離れて貰うと、本題に入ることにした。
「お約束通り、赤髭のカルッサを捕まえてきました」
彼女は冷静な商人の表情を取り戻すと、
「ああ、そのようだね」
と言った。
「まさか、生きたまま持ってくるとは思っていなかったけれど」
「すみません。余計な殺生はするな、と祖父から教育を受けたもので」
「謝ることはない。彼らの処置はこちらで行う」
「……やはり縛り首ですか」
「いや」とエルトリアは首を振る。
「花婿と花嫁の門出を海賊の血で汚すのも気が引ける。手下共は懲役10年、カロッサは終身刑といったところかな」
と、冗談めかして言った。
「――ハンスさんも同じようなことを言っていましたよ」
と、俺は苦笑いを浮かべたが、彼女もそれに呼応するように笑みを浮かべる。
「私としては冗談のつもりではないのだけれどね。まあ、その辺は後々話そう。
今、我々が話すべきは、『魔王軍』と『通商連合』の間で取り決められる条約に関してだ」
「…………」
俺は沈黙する。
今までセフィーロのようにはぐらかせてこられたが、やっと本題に入ることができそうだったからだ。
通商連合の盟主エルトリアははっきりとした口調で断言する。
「我々は、魔王軍に食料を提供しても良い、と思っている」
「本当ですか?」
「ああ、商人は嘘はつくが約束は守る。条約を結べばそれは必ず果たす」
「それは通商連合の長としての発言、と受け取っても宜しいんですよね」
「ああ」
と彼女は短く答えた後、補足する。
「通商連合内では勿論、反対意見もある。だが、前々から今のうちから魔王軍とよしみを結んでおいた方がいいのでは? という意見もあった」
「そんな意見があったのですか?」
「意外かい?」
「ええ、まあ」
「それは商人を舐めているな。商人という生き物は目ざといしたくましい。当然、勝つ可能性が高い方に賭けるに決まっている」
「しかし、相手は魔王軍ですよ。魔族を恐れてはいないのですか?」
「恐れてはいない、といえば嘘になるかな。だが、恐れたからといって、魔王軍が負けるわけでもないし、通商連合の諸都市が豊かになるわけでもない。それに、君が統治する街、イヴァリースから様々な情報が入ってくる」
「俺の街からですか?」
「ああ、そうだ。この街の統治者は今までの魔族とは違う。いや、今の魔王はこれまでの魔王とはまったく違う何かだ、とね。要は商売相手になるぞ、という話は商人の間では有名になっている」
確かにイヴァリースの街には多くの商人が出入りしている。
商人にちゃんと対価を支払い、領地内での安全も保証している。
それが巡り巡って各地から商人達が集まるようになっているのは自覚していたが、通商連合の幹部達の耳にもその噂は広まっているようだ。
「要は通商連合の幹部達は、魔王軍が勝つ、と踏んでいると?」
「正確にはそう思っている連中もいる、ということだ。要は意見が真っ二つに割れている、ということさ。魔王軍は恐ろしい、諸王連合に肩入れをし、魔王軍を撃退しよう、という連中と、今のうちによしみを通じて戦後、有利な地位を確保しよう、という二つの派閥がある」
「……ちなみにエルトリアさんはどちらだったんですか?」
「私か? 私は魔王軍が勝つと踏んでいた。今回の魔王軍の総大将はひと味もふた味も違うと最初から気が付いていたからね」
そう言うと陽気に微笑み続ける。
「そして婿殿と出会ってからそれが確信に変わった」
そう言うと彼女は腕を差し出してくる。
つまり、魔王軍と通商条約を結んでくれる、ということだろう。
こうして、俺は、人と魔族初の通商条約を結ぶことに成功した。
それからの数時間、条約の内容について二人で話し合った。
最初に議題に上がったのは、何を『交易』するかではなく、どう交易を行うか、だった。
先ほども話したとおり、通商連合側の中にも魔王軍を恐れる幹部がいるし、そもそも、政治的な理由で堂々と取引するわけにはいかない。
「そんなことをしてしまえば、諸王連合から恨みを買い、攻め込まれる口実になるかも知れない」
とはエルトリアの弁だった。
当然だと思う。
前世でも似たような話がある。
十字軍という奴だ。
彼らは異教徒を征伐するため、何度も兵を隣国に送り込んだが、異教徒討伐の資金を出さなかった、からという理由で同じキリスト教徒の都市を攻略し、略奪を働いたこともある。
この世界の人間も同じことをしない、とは言い切れない。
いや、それどころか、魔王軍と取引していることがばれれば、諸王同盟は必ず通商連合に襲い掛かるだろう。
南方の豊かな穀倉地帯と、香辛料の貿易利権は、喉から手が出るほど魅力的に見えるはずだ。
ここで諸王同盟に口実を与えるのは、通商連合にとって最悪の選択だろう。
「だから、我々は、秘密裏にしか取り引きを行えないし、諸王同盟とも引き続き取り引きを行う。その辺は理解して欲しい」
「ええ、勿論、それは分かっています」
要はエルトリアは、今まで通り、諸王同盟に食料の援助は続ける、と宣言しているわけだ。
勿論、魔王軍の旅団長としては、「止めてくれ」とお願いしたいところだが、彼女の立場も理解していたし、前述したとおりの事態になれば、こちらも困る。
南方の食料がまったく手に入らなくなる恐れがある。
それにエルトリア、ユリア、ハンス、それにこの都市で色々な人物に出会ったが、彼らが戦乱に巻き込まれるのは本望ではなかった。
「すまない。両天秤に掛けるような真似をして」
「いえ、秘密裏でも取引して頂けるだけ有り難いですよ」
事実そうだった。
これで魔王軍の懸念だった当座の食糧不足は解消できるだろう。
取りあえず、二人が出した結論としては、商人の個人取り引きを装いつつ、密かに食料を横流しして貰う、という案だった。
船を使って大がかりに取り引きしたいところだが、魔王軍の支配下にある街の港に通商連合の船が入港しているのが露見すれば大変なことになる。
ここは慎重に取り決めをしておくべきだった。
小一時間ほど二人で案を出し合うと、後は『交易品』について言及が及んだ。
通商連合はその季候で穀物や香辛料を提供して貰うが、魔王軍は何を提供すればいいのだろうか。
彼女に尋ねてみる。
彼女は即座に、
「武器」
と言い放った。
「聞いているよ。君の都市には今、ドワーフの王ギュンター殿が滞在しているらしいね」
「――エルトリアさんは本当に耳が早いですね」
「イヴァリースの街は、今、もっとも熱いと評判さ。農業都市から工業都市に変貌しつつあると。そしてなにやら奇天烈な兵器を開発したそうだね。それが欲しい」
「…………」
火縄銃のことを指しているのだろうが、答えに迷う。
火縄銃は先日のアーセナム救援で一気にその威力が大陸中に知れ渡った。
今更秘密にする必要などなかったが、今のところ火縄銃の生産は追いついていない。
自分の旅団に配備するのが手一杯で、余所の旅団にも配り終えていないのだ。
そのような物を商材とするにはまだ早いだろう。
しかし、相手は武器を欲しているのだ。
無碍に断るわけにも行かない。
妥協ではないが、俺は尋ねてみる。
「そういえば、この地域の海戦では魔術師が必須のようですね」
「その通り。遠距離戦の時は互いに石を魔法でぶち込むのが定番となっている」
先日のカロッサ戦でも思ったし、イヴァリースで農業を始めるときも思ったが、この世界では下手に魔法が発達しているため、技術が前世の世界の中世以下のところもある。
未だに火薬も製造されていないし、鉄砲はおろか大砲さえない。
だから魔術師なる職業がもてはやされているのだろうが。
ともかく、俺はエルトリアに提案することにした。
「もしも、商船に乗せる魔術師の数を半分にできる、と言ったらどうします」
「それは有り難いね。一流の魔術師を雇うのに、水夫数十人分の給料が掛かっているのだから。運送コストを大幅に削減できる」
「それでは、石つぶて要員の魔術師を半分にできる武器を提供しましょう」
そう言うとエルトリアは眉をしかめた。
「本当にそんな兵器があるのか?」
「はい。大砲と言います」
先日の石つぶて戦を見て思ったのだ。
大砲さえあれば魔術師を削減できるだろうと。
「大砲? 聞いたことがない武器だな。どのような武器なのだ?」
「鉄の大きな筒に、大きな鉄の弾を入れます。それを火薬で吹き飛ばして、敵を粉砕します」
「ジュウ、とかいうものの大型版か」
「そう考えて貰って結構です」
火縄銃を量産するのは大変だ。実際、前世の世界でも、銃よりも先に大砲の方が実用化された。
構造が簡単にできており、より簡単に製造できるからだ。
現代も昔も小型化する方が難しいのだ。
大砲ならば人間の職人でも量産できるだろう。
それを輸出品に回せばいい。
そう思った俺はそう提案したが、その提案は予想以上にエルトリアを喜ばせた。
「流石は我が婿殿だ。相手の欲しい物を即座に理解し、それを提供する。君は商人としても一流になれるだろう」
そう言うと再び俺を抱きしめてくる。
再びその豊満な胸が密着するが、ともかく、これで魔王軍と通商連合の秘密条約は一応纏まった、ということになる。
めでたいことであるが、エルトリアは俺を抱きしめながら、こんな提案をしてきた。
「さて、これで条約も纏まったことだし、後はやることが決まっているな」
「やることですか?」
「ああ」
とエリトリアは言い切ると、「それは我が娘との婚約発表パーティーだ」と人の悪い笑顔を浮かべた。
「……ほんとにやるんですか?」
エルトリアは我が上司、セフィーロのような笑顔を浮かべると、
「やらないと条約は結ばない――、というのは大嘘で、まあ、条約を公にするわけにはいかないが、それを祝すパーティーくらい開きたい、というのが私の考えだ」
と、言い切った。
なるほど、となると、この人は最初から条約を結んでくれる気でいたのか。
そうでなければ事前にパーティーの用意などできないだろう。
いや、もしかしたら本当に娘の婚約パーティーを用意していた可能性もあるけど。
その辺は俺にも計りかねる。
長年、戦場を往来し、敵の考えは分かるようになったが、女性の考えは未だに分からないところがある。
恐らく、一生分かることはないだろうが、ともかく、『条約締結』のパーティーには参加することにした。
それが魔王軍の使者としてやってきた人間の最低限の礼節だろう。
そう思いながら俺はエルトリアに正装をするように促された。




