海賊捕縛作戦
エルトリアの執務室を後にすると、俺は彼女の指示通り、執事のハンスに話しかけた。
「というわけで、条件のうち、一つは飲ませて貰うことにしました」
「それはどちらですかな? わたくしめとしては、是非、ユリアお嬢様の婿殿になって欲しいのですが」
ハンスは冗談めかしながら言った。
「……そちらの方は保留で」
「しかし、エルトリア様は条件を二つ提示されたはずですが」
「半分だけ果たして、半分だけ実行して貰うというのは駄目かな」
「つまり?」
「魔王軍との取り引きの量を半分にして貰う」
「――それほど我がお嬢様と結婚するのが厭ですか?」
今度は真剣な表情だ。
うちのお嬢様のどこが気に喰わないのですか、とその瞳は語っている。
「――いえ、まだ身を固めるのは早いかな、と思っていて」
適当にお茶を濁す。
エルトリアには複雑な事情は話したが、この男やユリアにまで話す必要はないだろう。
最近、次々と俺の正体がばれていくが、正体を明かす相手は慎重に選ばなければならない。
――それはそうと結婚か。
悩みどころであるが、相談できる相手はいない。
サティに相談すれば、笑顔で「ご主人さまのお望みのままに」と言いそうだし、
リリスに相談すれば、笑顔で「そいつを殺しちゃってもいいですか」と言いそうだし、
セフィーロに相談すれば、意地の悪い笑顔で「生まれてくる子供は妾に名前を付けさせろ」と言いそうだし、
魔王様に相談すれば、無表情で「――であるか」と言いそうだった。
唯一相談できそうなのは既婚者のジロンくらいか。
あいつがここに居れば、と久しぶりに思ってしまったが、居ないものは仕方ない。
そう考えあぐねていると、ハンスが助け船を出してくれた。
「まあ、お嬢様との結婚は『婚約』という形になさるのが一番でしょう。そうすればお嬢様も納得される」
なるほど、その手があったか。
結婚はする、すると言ったが、その時期までは指定していない、そういう詭弁、いや、方便を使うこともできる。
「外交とは虚々実々の駆け引きだ」
と、じいちゃんも言っていた。
それくらいの嘘ならば許されるだろう。
俺は心の中で、そう自分を言い聞かせると、そう提案してくれたハンスに感謝した。
「それでは、エルトリア殿との約束は二つほど果たすとして、まず手始めに件の海賊を討伐しないと」
「そうですな」
ハンスは蓄えた立派な髭を間からそう漏らすと、「それでは説明を始めましょうか」と、促した。
同意すると俺は彼と共に、応接間に向かった。
応接間に向かうと、執事のハンスは「失礼」とテーブルの上に海図を広げる。
まずはゼノビアを指さす。
「ご承知かと思いますが、ゼノビアは南洋に面した貿易都市でございます」
「主に南洋との島嶼都市との交易の中継地点として栄えていると聞きました」
「左様でございます。胡椒、シナモン、サフラン、ターメリック、ナツメグ、この大陸で出回っている香辛料の3割はこのゼノビアを経由しているといわれています」
「それはすごい」
「それと南方の温暖な気候は農作物を育てるのに有利でございます」
「北部に輸出するほど有り余っている、と」
「――左様でございます」
とハンスは恭しく頭を下げる。
「是非、我が魔王軍にも輸出して貰いたいものです」
「それはアイク様のご活躍次第かと」
ハンスはそう言うと、再び海図を指さす。
「現在、我がゼノビアの交易ルートが海賊に脅かされている、というお話しはすでに聞かれたと思いますが」
「それは聞いています。その海賊を倒せば、エルトリア殿は魔王軍との密約に応じてくださる、と」
「はい」
「敵の海賊の規模は?」
「一隻でございます」
意外な言葉に驚く。
「海賊という者は集団を組むことがありません。目立ちますから。なるべく小型の船舶で、それも速度の出る船を利用し、商船の懐に飛び込み、急襲してきます」
「要は神出鬼没で捕捉が難しい? と」
「その通りでございます」
「奴らの根城は分からないのですか?」
「奴らはその都度、根城を変えます。それゆえに海軍も連中に手こずっていまして」
なるほど、どうやらこちらの世界の海賊も似たようなものらしい。
大船団を組む海賊など、物語の中だけの話なのだろう。
目立たぬように商船に偽装し、商船に近づいたところで海賊旗を揚げ飛び込む。
それがどこの世界でも常套手段のようだ。
ならば――
話は簡単だった。
「それでは、大量に金銀を積んだ商船を用意して貰いましょう」
「……しかし、その手の作戦は何度も行いました。やつらは耳ざといのです。偽の金銀だとすぐに見破られ、近寄ってくることはありません。それに商船と偽り、傭兵共を乗せておくとそれも見破られます」
「それは偽物の金銀だからでしょう。奴らは耳ざとくもありますが、目ざとい、それくらいの情報、港湾労働者に紛れ込ませた手下から漏れ出る」
「――なるほど、確かに」
ハンスは同意する。
「それでは今回は本当に金銀を積み込みましょう。かなりの賭けとなりますが、その代わり腕利きの傭兵も大量に用意して」
俺はその言葉にも、いや、と首を振る。
「傭兵も用意されないのですか?」
ハンスは訝しむ。
「このタイミングで傭兵を大量に募ればそれだけで怪しまれます。それに傭兵共は金の亡者だ。情報を売るくらい想定しておかないと」
「となると、通常の戦力で挑まなければなりませんな……」
ハンスは急に神妙な面持ちになる。
しかし、俺は彼を更に困惑させなければならない。
しばし間を置くと、更なる提案をした。
「通常の戦力で挑むのは当然です。金銀を実際に積むのも当然。更に言えばもっと海賊たちの目をひく餌が必要でしょう」
「この上、なにか必要なものがあるのですか?」
「あります」
俺はそう言い切ると、ハンスが絶対に反対するであろう餌の名前を口にした。
「この街には金や銀よりも高価な『もの』があります」
「もの、でございますか?」
「ええ、物ではなく、者ですが」
その言葉を聞いたハンスは顔色を変える。
「ま、まさか」
と、その立派な口髭を振るわせる。
「そのまさかです。恐らくですが、先日のユリア嬢襲撃事件も、事前に情報が漏れたのでしょう。ゆえにあのような場所で襲われた。ユリア嬢の身代金は天文学的な価値が期待できますからね」
「し、しかし――」
と、ハンスは当然のように反論するが、俺はそれを制すると、
「ご安心ください。ユリア嬢には指一本触れさせませんから」
と、言い切った。
実際、俺は、彼女に絶対に危害が及ばない策を用意するつもりだった。
それを聞けば、この忠誠心過多の執事も納得するだろう。
そう思いながら、俺は彼に作戦の概要を話した。




