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ゼノビアの盟主との面会

 ゼノビアの街に着くと、俺たちはオクターブ家に招かれた。

 娘の危機を救った賓客(ひんきゃく)として遇されることになったのだ。

 オクターブ家の執事は、感涙にむせびながら、


「お嬢様をお救い下さりありがとうございます。このハンス、このご恩は一生忘れません」


 と、俺の両手を握りしめてきた。

 その言葉には偽りはないようだ。

 連日のようにこれでもかと歓待を受ける。

 南方特有の農作物をたっぷり与えて肥えさせた豚の丸焼き。

 南方でしか取れない熟れた果物。

 南方の海で取れた新鮮な魚介類。


 それらを一流の料理人が調理し、選りすぐりの美女たちが運んできてくれる。


 テーブルの上には常にそれらが並べられ、一皿食べ終えるたびに新しい料理が運ばれてくる。


 正直、俺もそんなに食べる方ではないし、サティも小食だ。

 更に言えば俺の前世は日本人、サティに至っては元奴隷。

 残すのも気が引けるし、かといって食べきることもできず、難儀していた。


 サティは、苦しそうにお腹を押さえながら、


「もう一生分食べた気がします」


 と、ぽっこり膨らんだお腹をさすっていた。

 

 まるで妊婦のようだった。

 このままではサティも俺も肥えた豚のようになってしまう。

 そう思った俺は、執事であるハンスに尋ねた。


「いつ頃、エルトリア殿と面会できるのでしょうか?」


 ハンスは申し訳なさそうに言う。


「なにぶん、エルトリア様は忙しい方でして……」


 その台詞はすでに何十回も聞いている。


 耳にたこができそうだったが、事実、エルトリアという人は忙しい人物なのだろう。


 なにせ通商連合の盟主だ。


 この館に滞在して分かったが、連日のように客人が現れ、分刻みのスケジュールを強いられているようだ。


 いくら娘の恩人とはいえ、割ける時間の余裕がないのだろう。


 それに俺はこの執事を通じて、「イスマスの代表として公式な謁見がしたい」とあらかじめ伝えてある。


 しかるべき時間の余裕が必要なのだろう。


 それゆえにこうして待たされているわけだが、こちらにも事情がある。


 先日、アーセナムで諸王同盟を撃退したとはいえ、まだまだその勢力は健在だ。


 イヴァリースは最前線の一つでもあるし、早々留守にはしていられない。

 リリスの奴は手加減をしながら治安維持をしているか。


 ジロンの奴はちゃんと街の人間の言い分を聞いて公平な沙汰(さた)をしているか。


 気になって仕方ない。

 特に後者の方がとても気になる。


 先ほど出てきた豚の丸焼きを見て急にジロンの顔を思い浮かべてしまったからだ。


 ともかく、これ以上は待てない、そう思った俺は、再び、執事のハンスに懇願しようとしたが、その動作は途中で止まる。


 件のエルトリアの娘、ユリアが声をかけてきたからである。


「ライク様、お待たせして申し訳ありません」


 ユリアはそう言うとスカートの端を両手で持ち、


「お久しぶりでございますね」


 と、微笑んだ。


 その姿を見て困惑する。

 出逢ったときの強烈な印象が頭にこびり付いているからだ。


 美人に求婚されるというのは悪い気はしないが、今はそんなことにかまけている暇はない。いつか妻を娶るにしても今はその時ではない。


 だから彼女の求婚は正直、迷惑だった。


 ゆえに、ここしばらくは彼女を避けるように生活をしていたのだが、ついに捕まってしまった。


「…………」


 思わず吐息を漏らしてしまったが、彼女は気にした様子もなく、話しかけてくる。


「大変お待たせしましたが、母上が時間を作って下さりました。少しだけ仕事の手が空いたそうです」


「母上……? ですか?」


「ええ、なんとか時間の調整がつきましたわ」


 その言葉に思わず困惑してしまう。


「ユリア嬢、俺は、通商連合の代表である。エルトリア殿と面会をしたいのです」


「ええ、それは伺っていますわ」


 彼女はそう言いきると、


「だから『母上』に会って頂くのです」


 と言い切った。


 そして俺の手を引くと、館の執務室へと誘われる。

 彼女の手のひらは小さかったが、思いの外力強い。

 というか強引だ。

 俺は為すがままにされると、執務室に押し込まれる。

 そこには立派な机に座っている妙齢の女性がいた。


 ――いや、それなりの年齢の女性だろうか。


 燃え上がるような赤髪を束ねた女性で、気品はあるが、眼光が鋭い。

 まるで海賊船の船長のような佇まいだ。

 すぐに彼女が凡人でないと察する。

 そしてそのことを証明するかのように、女性は言った。


「貴殿が、我が娘を救ってくれたライクという青年か。私の名はエルトリア・オクターブ。このゼノビアを治める評議会の長にして、通商連合の代表も務めている」


 彼女はそう言うと立ち上がり、俺に握手を求めてきた。


「娘を救ってくれた正式な礼は後でする。今はとても忙しい時期でね。仕事をしながら話しても構わないか?」


「構いません」


 俺はそう言うと、彼女は「失礼するよ」と一言言い、再び席に戻り、書類に目を通し始める。


 その分量も驚くが、読み解く早さも半端ではなかった。

 驚嘆してしまうが、横いる娘、ユリアは自慢げに耳打ちする。


「いつもはあれの倍の量の仕事を倍の早さで片付けているんですよ」


「……なるほど、『少しだけ仕事の手が空いた』ね」


 どうやらエルトリア・オクターブという女性は想像よりも遙かに有能な商人のようだ。


 通商連合の商人といえばやり手商人の代名詞だ。

 前世の世界ならばジェノバの商人や近江商人に近い。

 そんな連中を束ねているのだから、この女性はただ者ではない。

 そもそもエルトリアという人が女性だとは思わなかった。

 大商人なのだから、腹のでっぷりと出た中年を想像していた。


「――ちなみに我が夫は、君の想像しているとおりの商人だよ」


 唐突にエルトリアは言った。


「…………」


「君は表情が顔に出やすい。気をつけた方がいい。交渉ごとでは不利に働くこともある」


 そう言うと再び、書類に視線を向ける。


「……そうか、俺は表情が顔に出やすいのか」


 確かに普段は仮面を被っているので、そういうところがあるのかもしれない。

 今後は気をつけないと。

 そう思いながら、俺は彼女に交渉を切り出すことにした。

 ――と、その前に、ちらりとユリアを横目にする。


「ユリア嬢、大変申し上げにくいのだが、席を立ってくれないか?」


 これから話すことは、『魔王軍』と『通商連合』の条約だ。

 それが成功するかはともかく、この少女に聞かれるわけにはいかなかった。

 俺が退出をうながすと、彼女は意外にも素直に従う。

 我が儘を言われるかと思ったが、すんなりと部屋を出て行った。


 ただ、最期に「ふふふ、ライク様、花嫁衣装のデザインはライク様が決めて下さいましね」と不敵な笑みを残していったが。


「…………」


 恐ろしい予言だったが、俺はそれを聞き流すと、エルトリアの方を向いた。

 そして改めて問うた。


「実は貴殿にお願いしたいことがあります」


 彼女は書類を見つめたまま、「なんだ?」と尋ねてくる。

 あっさりとした口調と態度で拍子抜けするが、俺は単刀直入に話した。


「実は俺はイスマスの貴族ではありません」

「それは知っている」

「え……」


 思わず声を漏らしてしまう。


「イスマスという国には、ライクという名前の貴族はいない。昔、イスマスの王に謀反を起こした貴族がいてね。その者の名がライクだった。以来、その名を使う貴族はいなくなった。少なくともイスマスでは」


「では最初から俺が偽の貴族だと分かっていたのですか?」


「ああ」


 と彼女は短く答えると、こうも続ける。


「更に付け加えれば、君が魔王軍の使いだとも思っている」

「…………」


「隠さなくてもいい。私は魔王軍だからといって、恐れもしないし、蔑視したりもしない。ただ、君が私の娘を助けてくれた。君が魔王軍を代表して交渉しに来た。その事実だけしか見ていない」


「どうして俺が魔王軍の使いだと分かったのです」


 エルトリアはあっさりと言う。


「勘かな」

「勘ですか」


 それまたあやふやな。


「勘を馬鹿にするものではないよ。勘とは経験と理論に裏打ちされた結論だと私は思っている。この勘のおかげで我がオクターブ家は一代で財を成し、通商連合の盟主となりえたのだから」


「――肝に銘じておきます。勘と言っても当てずっぽうというわけではないのですね」


「この時期、このタイミング、この瞬間に君のような強大な魔術師が身分を偽ってやってきたのだ。ちょっと考えれば想像がつく」


「……なるほど、ちなみに俺は人間に見えますか?」


「……どういう意味だ? 君が人間であることは執事のハンスに確認させてあるが」


 どうやら俺が、魔族の振りをした人間であることはばれていないようだ。

 魔族に協力している人間だと思ってくれているらしい。


 セフィーロに、サティ、それに魔王様にもばれているが、これ以上、この秘密が世に出るのは避けたかった。


 もしも俺の正体がばれれば、俺は魔王軍に居られなくなるし、魔王様やセフィーロの立場は最悪なものになってしまうかもしれない。


 ――そう思ったが、あえてこの人にも真実を打ち明けることにした。


 理由はいくつかあるが、一つ目は、この勘の鋭い女性を最後まで騙し通す自信がなかったこと。


 二つ目は、そもそも、俺は魔族と人間が共に暮らせる世界を作るためにここにやってきたのだ。


 その生きた実例である俺とサティを見せて、それを交渉材料としたかった。


 俺は、ゆっくりと深呼吸すると、表情を作り直し言った。


「貴女の言うとおり俺は人間です。ただし、魔族でもあります」


「…………」


 その言葉を聞いたエルトリアは沈黙する。

 聡明な彼女も困惑しているようだ。

 それはそうだ。俺の言っていることは狂人の戯言(たわごと)に近い。


「それは君が魔族に完全に寝返った、という意味か? それとも魔族に転生する秘術を施すつもり、とか?」


「違います。俺の父と母は人間ですが、俺は魔族の子として育てられました」


 その話を聞いて、彼女は書類から意識を完全に切り離したようだ。

 こちらの方を振り向くと、「詳しく聞こうか」という視線を送ってきた。 


「俺のじいちゃんの名は、奈落の守護者と呼ばれた魔族です」


「……その名は聞いたことがある。確か不死の王。魔王軍でも最高の魔術師だと聞いている」


 流石に博識だが、俺は訂正する。


「だった、です。すでに故人ですから」 


「……惜しい人、いや、魔族を亡くしたな」


「本人は寿命だといってましたので、悲しんではいません。数百年生きたからもう十分だと言ってましたし」


そう冗談めかして言ったが、それは事実だった。


 じいちゃんは自分の寿命を察していたし、生前から、「もう十分生きた」が口癖だった。己の死ぬ日、死ぬ時間まで知っていたようだ。幼い俺に、「ワシは正月に死ぬから覚悟しておけよ」とも言っていた。


 今になって考えれば変な言葉だが、当時の俺はそれが普通だと思っていた。魔族とは、不死の王とは、そういうものだと思っていたからだ。


 だから、じいちゃんが死んだ日もあまり悲しくはなかった。

 その日がやってきたのだと受け容れただけだった。


 ――ま、ほんとはちょっと泣いたけど。


 でも、そんなことはどうでもいい。

 今必要なのは、目の前の女性を説き伏せることだった。


「……俺はその奈落の王に育てられ、大人になり、今日まで魔王軍のために戦ってきました」


「ロンベルク殿に育てられた恩義のためか?」


「そんな大それたものじゃないです。ただ、大人になったら魔王軍に入る。そしてじいちゃんみたいな魔術師になる。そんな動機で子供の頃から魔術の修行を積んできました」


「それが結実して今の君がある、というわけか」


「ただ、最初はそんな動機でしたが、今は違います」


「――というと?」


「今、俺が戦っている理由は、人間と魔族の共存を目指す為です」


「人間と魔族との共存……?」


 彼女は初めてその形の良い眉をしかめた。


「どういう意味だ? 魔族は人間を滅ぼすつもりではないのか?」


「そんなつもりはありません。――少なくとも俺と魔王様は」


「確かに、当代の魔王は今までの魔王とは違う、と評判だ。しかし、それでも魔族は魔族だ。いつか豹変するかも知れない。いや、元の姿に戻るかも知れない。――と、私は思っているが」


「そのようなことはありません」


「証拠はあるのか?」


「ありません」


 と、きっぱりと言う。


 そんなものは提示できなかったし、仮にここで魔王様直筆の誓約書を渡しても無意味だと思ったからだ。


 この剛胆な商人は紙切れ一枚で納得するほど、お人好しではない。

 彼女は問う。


「ならば君はどうやって私を納得させるつもりだ?」


 俺は短く答える。


「――行動によって」


「というと?」


「失礼ながら、通商連合は、今、大変困っている。と聞いています」


「――どこでその情報を?」


「一応、これでも魔王軍の指揮官ですから、事前に調べさせて頂きました」


「君は、南洋を根城にしている海賊団『赤髭(あかひげ)のカロッサ』のことを指しているのだろう。確かに我がゼノビアは彼にほとほと手を焼いている」


 彼女は続ける。


「すでに襲われた商船は10隻、その被害額は、一都市の年間予算にも匹敵する。このまま放置していけば、その額は更に増えるだろうし、私の盟主の座も危うくなるかもしれないな」


「はい、早急に対策が必要かと」


「つまり、君がその海賊を退治してくれる、と受け取って貰ってかまわないな?」


「はい」


 と俺は答える。

 その答えを聞くと、彼女はしばらく考え込む。


 このよう聡明な女性も悩むことがあるのか、と驚いたが、考えてみれば当たり前だった。


 魔王軍との取引をするのだ。

 慎重にならざるを得ない。


 俺は急かすことなく、彼女の考えが纏まるのを待つと、彼女が口を開くのを待った。


 彼女は明瞭な口調で言う。


「いいだろう。その取引に応じよう。君が二つの条件を飲んでくれるのならば、魔王軍と取引をしてもいい」


「二つの条件、ですか?」


 意外な言葉に驚く。

 海賊退治は当然だと思っていたが、まさかもう一つ条件を提示されるなど、夢にも思っていなかった。


 彼女は何を望んでいるのだろうか。

 できることならば協力するのだが、安請け合いはできない。

 俺は慎重に彼女にその条件を尋ねた。

 彼女は、初めて意地の悪い顔を浮かべながら言った。


「一つは無論、赤髭のカロッサの退治だが、もう一つは君に我が息子となって貰いたい」


「…………」


 その言葉を聞くと背中に冷たいものが走る。

 その笑顔がとある人物とそっくりだったからだ。

 その人物とは、我が第7軍団の団長セフィーロのことだった。

 今の彼女の笑顔は、セフィーロが悪巧みしているときのものと一緒だった。

 俺は恐る恐る尋ねる。


「……もしかしてそれって」

「君に我が娘ユリアを娶らせたいと思う」


 やはりそうだ。

 真面目で有能そうに見えるが、本質的にはこの人もセフィーロにそっくりだった。


 気に入った人間にはとことん悪戯を仕掛けるタイプなのだろう。

 勿論、俺は丁重に断る。


「俺は人間ではありますが、魔王軍の者ですよ。その魔王軍の将に娘さんを嫁がせるというのですか?」


 彼女の答えは、


「それに何か問題でもあるのか?」


 だった。


「政略結婚など、商人の娘に生まれたからには当然のことだよ。それに私は君が気に入った。君は頭が回る。それに誠実だ。特に後者が気に入った。商人はずる賢いと思われがちだが、私は商人にこそ誠実さを求める。それに君はたぶん、将来、魔王軍の幹部となるだろう。ここで娘を嫁がせて、縁を結んでおくのも悪くない」


「……それも勘ですか?」


「勘だ。ただし、私の勘は外れたことがない」


 彼女はそう言いきると、立ち上がり、俺の方にやってくると、背中を叩いた。


「ともかく、赤髭のカロッサと娘の件は頼んだよ」


 彼女はそう言いきると、再び席に戻り、書類に目を通し始める。


「海賊退治に関する用意はすべて執事のハンスに言い付けたまえ」


 それが彼女の最後の言葉だった。

 以後、意識を完全に書類に集中させた。

 たぶん、これ以上は何を話しかけても無駄だろう。  

 そう思った俺は、エルトリアに背を向けると、彼女の執務室を後にした。

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