突然の求婚
草むらに隠れていたサティを呼び寄せると、俺はユリアの勧め通り、馬車に乗ることにした。
ガタゴトと揺れるが、それでも馬よりは乗り心地が良い。
サティは物珍しげに馬車の中を見渡す。
「これが馬車なのですね。なんだかお姫さまになったような気分です」
先ほど助けた娘、ユリアは興味深げに尋ねてくる。
「サティさんは馬車に乗るのは初めてなのですか?」
サティは困惑する。
彼女には、俺たちがイスマスの魔術師であると通せ、と話していたが、サティという少女は根っからの正直者だ。彼女ほど嘘が下手な少女はなかなかいない。
「ええと、そのですね――」
サティはなんとか誤魔化そうとするが、俺はサティの言葉を遮る。
「我が家は、イスマスの貴族階級ですが、あまり裕福な家柄でなくて。それにこの娘は、今までずっと屋敷で女中をさせていました。世間には疎いのです」
そう説明するとユリアは納得したようだ。
「実はわたしもなんですよ。いえ、もちろん、馬車には何度も乗ったことはありますが、ゼノビアの街を出るのは初めてなのです」
「そうなのですか」
「はい。実は、隣の都市の有力者の方とお見合いをしてきたのです」
ユリアは少し恥じらいながら事情を話した。
「なるほど、貴女もお年頃ですからね。お父上も良縁を求めているのでしょう。それで、縁談の方は纏まりそうなのですか?」
「いえ、纏まりませんでした」
ユリアは即答する。
「……それは残念です。しかし、ユリア嬢を振るとは審美眼のない男もいるものです。俺ならば絶対に断ることはないのですが」
一応、社交辞令としてそう言ったが、確かに勿体ない話だ、と思った。
ユリア・オクターブという少女は、お世辞抜きにも美しい少女だったからだ。
それに彼女は、通商連合の盟主の娘である。
彼女と結ばれれば、その後の人生で金に困ることはなくなるだろうに。
そう思っていると、ユリアは悪戯好きの少女のような口調で尋ねてきた。
「今の言葉、本当ですか?」
「ええ、まあ、もしも俺が彼の立場だったら、の話ですが」
彼女はその言葉を聞くと更に微笑む。
「ライク様、わたしには社交辞令も嘘も通じませんよ。というか、自分で言うのもなんですが、正直者なのです。だから、今回の縁談も纏まらなかったのです」
「というと?」
「縁談相手があまりにも情けなかったので、舞踏会の席で、相手の足を思いっきり踏んで差し上げたのです」
「……それは手厳しい」
この少女、お淑やかに見えてなかなかじゃじゃ馬らしい。
そんな感想を抱いたが、そのじゃじゃ馬は更に俺を驚かせる。
「ライク様、今、『確かに』自分が彼の立場だったら縁談を受ける、と言いましたよね?」
彼女はそう言いきると、陽気に微笑む。
まさか、とは思うが、一応、頷いておく。
「……あくまで俺が、彼の立場でしたら、ですが」
「ならばライク様、ゼノビアについたら、ライク様と婚約したい旨を両親に伝えても良いでしょうか?」
「…………」
沈黙によって答えるしかない。
サティも呆気に取られているようだ。
そりゃそうだ、先ほど会ったばかりのどこの馬の骨とも知れないような相手に縁談を申し込むのだから。
この娘の常識を疑う方が正常だろう。
サティは控え目に抗議する。
「ユ、ユリア様、先ほど出会ったばかりの人にいきなり求婚を申し出るなんて、おかしいと思います」
それに対するユリアの答えは明瞭にして簡潔だった。
「乙女が恋に落ちるのに、適正時間があるのですか? 1分? 1時間? 1日? それとも1ヶ月でしょうか? ともかく、わたしはライク様に懸想してしまったのです。ライク様が了承して下さるのならば、今すぐにでも花嫁衣装に着替えますわ」
「…………」
思わず沈黙してしまうが、彼女の目は本気だった。
このまま頷けば、1週間後には教会で式を上げそうな勢いだった。
無論、頷くわけにはいかない。
俺は花嫁を探しに来たのではない。
ゼノビアの盟主と面会し、条約を結ぶために来たのだ。
ただ、それゆえに、簡単に首を横に振るわけにもいかない。
ここで彼女の機嫌を損ねるのは得策ではない。
俺は日本人らしく振る舞うことにした。
要はお茶を濁すことにしたのだ。
「その申し出は有り難いのですが、もう少し互いに知り合ってからにしましょう。幸い、俺たちにはまだ時間はたっぷりあります。ゼノビアについたら、街を案内してくださるのでしょう?」
その言葉を聞くと彼女は納得したようだ。
「そうですわね。確かに時間はまだまだあります。ゼノビアには最低1ヶ月は滞在して貰うとして、ライク様には一度実家に帰って結婚の報告をして頂いて、それに1ヶ月はかかるとして、花嫁衣装の用意も必要です。一生に一度のことですから、最高のものを作らせないと。それの製作に最低3ヶ月はかかりますから――」
ただ、彼女の妄想はどこまでも続く。
ゼノビアまでの道中、新婚旅行の話や、新居の話、果ては子供の数まで延々と話された。
俺とサティは彼女の一方的な構想をBGM代わりに、ゼノビアの街へ向かった。




