部下への言づて
「アイク様は南方に赴かれるのですか?」
それがリリスに事情を話したときの第一声だった。
次いで「わたしもお供します」と、旅の準備を始めようとするが、止める。
「いや、今回はリリスは留守番だ」
当然、非難の声が上がる。
「アイク様のお供をするのがこのリリスではなくてどうする、というのです。その実力、知謀、忠誠心は疑いないですし、夜のお勤めまでなんでもこなせますよ」
「……最後のはともかく、お前の実力は評価しているよ。だから残すんだ」
白薔薇騎士団団長アリステア襲撃、ドワーフの王ギュンターの救出、それらのような荒事ならば、この娘を同伴しても良いが、今回はそうならないだろう。
「昨今、イヴァリースの豊かさの噂が広まり、浮浪民や難民が集まっている。人口が増えるのは結構だが、そうなると揉め事も増える。お前にはイヴァリースの街の治安維持を任せたい」
「といいますと?」
「悪さをしている人間を見つけたら、ぶん殴ってとっ捕まえろ、ってことだ」
「なるほど、左耳から脳漿が出るほど殴っても構いませんか?」
「……駄目だ」
「ならば右耳から」
「どちらも駄目だ。軽傷で済むくらい殴って、牢に入れればいい。あとはジロンがなんとかするから」
そう言うと、ジロンの方へ向く。
「今も言ったとおり、街の統治はお前に任せる。お前はいつも通りやってくれればいい」
「はい……」
ジロンは気のない返事をする。
「どうした?」
と、質問をする。
「……いや、旦那がいなくてもやっていけるか心配で」
なるほど、そういうことか。
そういえばこいつにすべて任せるのは初めてかもしれない。
俺はジロンを安心させるため、優しい口調で言う。
「お前のために教本を残しておいたよ。困ったらそれを読め」
「はあ、いや、魔術師に頼んで《念話》の魔法で旦那にお伺いを立てる、というのは駄目なんですか?」
「駄目だ」
俺は一言で斬り捨てる。
セフィーロも言った通り、不死旅団の連中は俺に依存し過ぎている傾向がある。
ここはこいつらの自立をうながす良い機会だと捉えて一任するのも悪くないだろう。
そう思った俺は、重ねて繰り返す。
「確かに、何かあるたびに俺が《念話》の魔法で指示することも可能だ。あるいはその方が効率的かもな」
「ならばそうしてくださいよ。やっぱり旦那がいないと不安だ」
リリスも追随する。
「そもそも、《転移》の魔法でちゃっちゃとゼノビアまで移動することはできないのですか? そうすれば数日で用件が済むのでは?」
「転移の魔法は、許可された転移の間同士の移動か、短距離の移動にしか使えないんだよ。俺はゼノビアの転移の間への移動許可がないからな。それは無理だ」
「はあ、そうなると、やっぱり、最低でも半月はかかるというわけですね」
リリスは溜息を漏らす。
「そういうことだ」俺はそう言い切ると、改めて二人に留守を頼むぞ。
と、旅支度を始めることにした。
しかし、それでもまだリリスは不平を述べる。
「アイク様、わたしがお供できない理由は分かりましたし、納得もしました。でも、なぜ、その小娘が同伴するのです?」
リリスは、メイド服を身に纏った少女サティを指さす。
サティは困惑しているようなので、俺は事情を説明する。
「今回、通商連合の盟主、ゼノビアの評議会の議長と通商条約を結ぶため、俺はゼノビアまで向かうことは説明したな」
「はい」
とリリスは頷く。
「魔王軍と人間が通商条約を結ぶなんて歴史上初めてのことなんだ。だから、生きた実例が必要かな、と思ってな」
「どういうことですか?」
「人間と魔族が上手くやっている。そういった実例があれば、話がまとめ易いんじゃないか、と思ったんだ」
「……うぅ」
と言う呻き声を漏らすリリス。
どうやら納得したようだ。
親の敵のような目でサティを睨み付けたが、それ以上、恨み節は言わなかった。
サティは俺の背中に隠れると、その視線を避ける。
このままではサティが可哀想なので、
「ともかく、後は任せたぞ。さあ、今からお前たちがこの街の責任者だ」
と強引に話をまとめ、それぞれの職務へ精励するように命じた。
「……はい」
「承知しました」
リリスとオークはそれぞれ了承すると、執務室を後にした。
それを見届けると、俺は旅の準備をすることにした。
といってもその手のことはすべてメイドのサティがやってくれる。だから特にやることはない。
ゼノビアの通商連合の長とどう交渉をまとめるか、俺が考えるべきなのはその一点だった。
「人間と魔族初の通商条約か……」
なかなかに無理難題を突きつけられたものである。
それほど魔王様は俺を買ってくださっているのだろうが、期待に応える方も大変だ。
さて、初めての『外交デビュー』となるが、上手くいくかどうか。
俺はいそいそと旅支度を始めるサティの後ろ姿を見ながら、あらゆる交渉術について考察した。




