戦の前の憩いのひととき
イヴァリースの街へ戻ると、一番最初にしたのは、ペルーナ産の葡萄酒の手配――、ではなく、倉庫に備蓄されている食料の確認だった。
さっそく、ジロンに目録を持ってこさせる。
イヴァリースは農業都市。食料の自給率は100%を超える。
要は余った分を輸出してお金を稼いでいるわけであるが、まさかこんな急に多くの兵が集まるとは想定していなかった。
食料の備蓄は間に合うだろうか。
気になり調べたのだが、その点はなんとかなりそうだった。
「これもご主人さまのノーフォーク農法とかいう奴の成果ですね」
サティは嬉しそうに言う。
「サティは嬉しそうだな。多くの魔族が集まってくるんだぞ? 怖くないのか?」
「怖くありません」
サティは言い切る。
「街の人たちはまだ怖がっている人もいますが、サティはへっちゃらです」
「なるほど、もう馴れたのか」
「はい、それに皆、セフィーロさまの部下の方たちなんですよね? ならばなにも恐れる必要はありません。きっと、みんないい人達です」
「……まあ、悪い奴はいないな」
単細胞はいるけど、と、人狼のベイオを思い浮かべる。
「それにサティは本当に嬉しいんです」
と、微笑み続ける。
「サティは戦ではなんのお役にも立てませんが、戦支度ならお手伝いできます」
と、自信満々にメイド服の袖をまくし上げる。
曰く、
「たくさんの魔族の人が集まれば、たくさんの食事が必要でしょう? サティも役に立てます」
らしい。
「確かに兵隊が集まれば街の女たちには炊き出しを手伝って貰わないとな」
「はい、その点はサティにお任せ下さい。街のパン屋の女将さんとも知り合いですし、引退した女中さんの知り合いもいます」
「それは助かる」
2000匹近い魔族や魔物が集まるのだ。
町中の竈をフル回転しなければ食糧供給が追いつかないかも知れない。
「それに、サティは長粒種とかいうお米の美味しい食べ方を発見しました」
「この前、熱心に料理の本を読んでいたものな」
「はい、まだ半分くらい意味が分かりませんが」
――と、前置きした上で彼女は続ける。
「タマネギを飴色になるまで炒めて、豆とパプリカとトマトを鍋にいれます。それをオリーブオイルで炒めて、ウサギさんの肉を入れます。あとはお米と塩とサフランを入れて煮込むととても美味しい食べ物になります」
「それはたぶんパエリアだな。この世界での呼び名は知らないけど」
似たような食材があれば自然と同じような料理が発達するのだろう。
しかし、そうなってくると急に米が食いたくなってくるな。
今宵は久しぶりに、『米』をオーダーしようか。
「サティ、今夜の夕飯は米にしてくれ」
「はい、さっそく、そのパエリアとかいうものを召し上がられますか?」
「いや、それも悪くないんだけどな」
米と聞くとやはり白米を思い出してしまうのは、前世持ちの悲しい性だ。
ただ、白米は白米で飽きてきたのも事実。
白米に合うのはやはり日本食だった。
醤油をベースにした総菜が食べたい。
しかし、それが不可能なのは承知しているので、俺は無難なオーダーをすることにした。
「チャーハンが食いたい」
「チャーハンですか? それはどんな食べ物なんですか?」
「日本という国でポピュラーな食べ物だよ」
「はあ、またニホンですか。それはどうやって作るのでしょうか?」
「米をフライパンで炒めるだけだ。タマネギとベーコンも、それと鶏の卵も入れてくれ。味は塩だけでいい」
本当は中華の素でも入れたいのだが、それは不可能なので断念する。
それにベーコンだけでも十分旨味エキスが含まれているので旨い。
異世界にきて分かったのだ、ベーコンは食べ物ではなく、ダシの一種だ。
旨味が凝縮されている。
ベーコンを油で炒めれば、それが米に伝わり、得も言われぬ味となる。
要は異世界でも十分、旨いものが食べられる、ということだ。
俺は前世の記憶を思い出しながら、サティにチャーハンの作り方を指示する。
食卓に上ったのは、塩味の素朴なチャーハンだったが、なかなか旨かった。
それをスプーンで食しながら、イヴァリースにやってくるだろう旅団長達の面々の顔を思い浮かべた。
全員が揃うのは久しぶりだ。
この館に彼らが集うことになるだろうが、少なくとも出される料理に文句を言う奴はいないだろう。
サティの作った焼き飯を食べていると、そんな感想が浮かんだ。
イヴァリースの街は活況に溢れていた。
ローザリア各地から、第7軍団の精鋭達が集まっているのだ。
その噂を聞きつけた人間の商人達は、各地から酒を集め、肉を集め、武具を集め、商売を始めている。
第7軍団の魔族は、略奪はせず、ちゃんと対価を支払う、という噂は末端の商人まで届いているようだ。
サキュバスのリリスは不思議そうに尋ねてきた。
「なんで人間の商人達は魔王軍相手に商売するのでしょうか?」
「それはちゃんと対価を支払うからだよ」
俺は答える。
「はあ、でも、我々は魔王軍ですよ。我々は敵じゃないですか」
「そこが人間の商魂たくましいところなのだろうな」
「図太い、の間違いじゃないですか?」
リリスは、クスクスと笑う。
間違っていない。
と、俺も笑う。
「――だが、俺はこういう光景が好きなんだよ」
「こういう光景、ですか?」
会話に加わってきたのは、メイドのサティだった。
俺は彼女の方へ振り向くと、
「ああ――」
と、短く答える。
「陰々滅々とした光景は見てる方も疲れるだろう。俺はこういう活気のある街並みが好きなんだ」
「人間や魔族の方々、ドワーフさんやエルフさん、他の亜人の方々も一緒に暮らす世界ですね。とても素敵だと思います」
その言葉を聞いたリリスは訝しむ。
「本当にそんな世界を作ることが可能なんですか?」
「リリスは無理だと思うのか?」
「だって、魔族同士は勿論、人間たち同士でさえ争っているじゃないですか。ほんの些細な理由で」
「そうだな。魔族同士でもしょっちゅう下らない理由で争っている。お前の顔が気に喰わない、だとか、俺の角の方が勇壮だろ、とか、本当にくだらない理由で」
リリスは同調する。
「人間も同じです。村人同士の小競り合い、貴族の利権争い、大なり小なり、いつも仲間割れしていますよ」
サティも珍しく自分の意見を述べる。
「わたしのお母さんが生まれた村も村人同士が争っていました。水の利権を巡って……」
「水の利権?」
リリスは不思議そうに返す。
「はい、溜め池に貯めておく水のことで争っていました。雨が少ない年は特にみんな険悪で……」
「くだらない。そんなのは一番強い村が独占すればいいじゃない」
「それが喧嘩の元になるんだと思います。皆で公平に分ければいいと思います」
いつも通り両者の意見が対立する。
どちらもそれぞれの種族を象徴する意見だった。
いや、やや、サティが大人しすぎる意見だろうか。
人間もやはり実力が物をいう。
切羽詰まれば力尽くという手段を選ぶだろう。
「まあ、話し合いで解決できれば一番なんだけどな。でもそうはいかないから戦争になるんだろうけど……」
俺は他の魔族のように人間を蔑視していなかったし、サティのような非暴力主義者ではない。
その中間といったところか。
『現実主義者』という言葉がぴったりなのかも知れない。
魔族と人間、他の亜人達との共存は目指していたが、何も隣同士で暮らし会う必要はない。
それぞれ別に暮らせば良い。
ただ、それぞれの特技が特性を生かし、こうして互いに交易したり、たまには酒を飲み交わしたり、それなりの関係が築ければそれでいい。
しかも、その関係が永続しなくてもいい。
永遠の平和など有り得ないからだ。
前世の歴史、この異世界の歴史もだが、永遠の平和が存在したことなどない。
ただ、そんな中でも束の間の平和なら有った時代もある。
俺が目指しているのはそんな時代だ。
たった数十年で良かった。
それくらいの時間があれば、せめて俺の横にいる少女達が生きている間くらい、戦争とは無縁でいられるだろう。
そんな風に考えていると、ひょい、とリリスが横から顔を出してくる。
「アイク様、なにかお考えごとでも?」
相変わらず脳天気でなにも考えていなそうな顔だ。
微笑ましく思ったが、同時にこうも思った。
そう言えば、淫魔族のサキュバスの寿命はどれくらいだったのだろうか、と。
もしもサキュバスが思いの外、長寿な魔族ならば、数十年くらいの平和では足りない。
俺の計画を考え直さなくてはならないかもしれない。
――もっとも、このサキュバスのことだ。
平和な時代だろうが、戦乱の時代だろうが、要領よく、楽しく生きていくだろうが。