笑顔と紅茶
バステオとの決闘は完全勝利で終わったが、問題がないわけではなかった。
俺が勝利してしまったことにより、問題が二つ生じた。
一つ目はバステオの処罰だった。
先ほど、俺の魔法で消し飛ばしたバステオとゾンビ兵どもだったが、実はバステオは生きている。
正確には首だけが健在だった。
命まで奪うのは不憫だと思い、首だけ残してやったのだが、それでも「おのれ、小僧め!」と減らず口を叩いている。
まあ、首だけではもう悪さもできないだろう。
恐らくではあるが、魔王城の地下牢で、一生、俺の文句を吐き続けることになるはずだ。
哀れではあるが、同情はしなかった。
身から出た錆であるし、そもそもこの決闘に負けた方は処刑されることになっていたのだ。首だけでも生き続けられるのは魔王様の慈悲に他ならない。
続いて俺は、二つ目の問題に視線を送る。
見れば魔王城の決闘広間には大きな穴が空いていた。
「これって俺の責任になるのかな?」
思わず吐息が出る。
これの修復にどれくらいの時間が掛かるであろうか。
それにその費用を考えると頭が痛い。
さすがに個人で支払え、とはならないだろうが。
――いや、あり得るな。
「自分で壊したものくらい、自分で責任を持て」
我が第7軍団の軍団長ならばそう言いそうな気もする。
さて、費用は誰持ちになるのかな?
そんな風に考えながら、決闘広間の貴賓席を見上げる。
そこで繰り広げられていたのは、思わぬ光景だった。
魔王軍の総司令官であるダイロクテン様と、我が第7軍団のセフィーロの言い争いだった。
彼女たちの主張はこうである。
まずは魔王様の主張。
「奴が第3軍団の団長を倒したのだ。奴が空席となった第3軍団の軍団長となるべきだろう」
魔族の世界ではそれが常識だった。
先ほどの戦いで俺の指揮官としての有能さ。
個人としての武勇もバステオを超えると判断されたのだ。
より強い者、より有能な者が、上位に立つ、それが魔族の理だ。
ただ、セフィーロは猛然と反対する。
彼女の主張はこうだ。
「アイクは妾の部下じゃ。奴の人事権は上司である妾にある」
これも正しい主張かもしれない。
今現在、俺は第7軍団の旅団長なのだ。
それを勝手に引き抜かれたら困る、という主張も分かる。
要は魔王様とセフィーロで俺の取り合いが発生してしまったわけだ。
「アイクは妾のものじゃ!」
「アイクは余のものだ!」
美女、二人から求められる、というのは悪い気はしなかったが、どちらにしろ俺は旅団長のままではいられない。
現在、第7軍団の副団長の席は空いている。
これまでの功績、これからのことを考えれば、その座に就くのは俺だろう。
つまり、空席となっている第7軍団の副団長になるか、第3軍団の団長になるか選べる立場なわけだ。
「どちらを選ぶべきだろうか?」
判断に迷う。
義理人情としてはセフィーロの方を選ぶべきなのだろう。
幼き頃より面倒を見てくれた人だ。
今更この人のもとを去るのは名残惜しい。
一方、軍団長になる、という選択肢も悪くない。
セフィーロと肩を並べ、魔王様と共に魔王軍を率いる。
さすれば俺の望む世界、
『魔族と人間』
が、共存する世界をより早く掴むことができるかもしれない。
義理と人情の板挟みだ。
幼き頃より面倒を見てくれたセフィーロを取るべきか。
それとも目をかけてくれた魔王様を取るべきか。
俺が出した答えは――
†
イヴァリースに戻り、いつもの執務室、いつもの椅子に腰掛けると、いつものようにサティに紅茶を頼む。
「銘柄は何になされますか?」
サティが控えめな口調で尋ねてくる。
もちろん、イヴァリース産に決まっている。
最高の物は大陸の北西にあるジャクロット産のものだといわれているが、俺はそうだとは思わない。
イヴァリースの領主をしているから、ひいき目に見えるのかもしれないが、この地方で産出される紅茶が好きだった。
俺はサティに「いつものを」と頼むと、彼女は「かしこまりました」と恭しく頭を下げた。
数分後、最適の入れ方で注がれた紅茶が、机の上に置かれる。
その紅茶の香気をひとしきり楽しんでいると、サティは頃合いを見計らったかのように声をかけてきた。
「――昇進、おめでとうございます。ご主人さま」
彼女は、微笑みながら再び頭を下げる。
一応、「ありがとう」と返礼するが、一体、彼女はどこからその情報を仕入れたのだろうか。
尋ねてみると、情報源はジロンだと判明する。
あの豚め、あれほど誰にも言うなと釘を刺していたのに――。
口の中でそう罵ったが、ばれてしまったものは仕方ない。
それにこれは吉事だ。
殊更隠し立てすることではないだろう。
「しかし、ご主人さま、どうして、軍団長になることができなかったのでしょうか?」
俺は「さてね」と答える。
別に答えにくいものではないが、魔王軍にも色々と事情があるのだ。
大人の事情、政治と言い換えることもできる。
まず魔王軍の総司令官である魔王様は、俺を軍団長にすべき、と推したが、セフィーロは強硬に反対した。
俺は大事な戦力だ。ここで失うのは痛い、という気持ちもあったのだろうが、まだまだ自分が導いてやらなければならない、という保護者意識があるのかもしれない。
いまだにあの人は「俺のおしめを替えたことがある」が口癖だものな。
近所のおばさ――、いや、お姉さんそのものだ。
いい加減、大人扱いして欲しいものである。
「セフィーロさまが反対されたから、団長になれなかったのですか?」
サティは残念そうに尋ねてくる。
いや、と俺は首を振る。
「それだけじゃないよ。やっぱり、俺はまだまだ若すぎる、って他の軍団長も反対した」
考えてもみれば、旅団長になってから3年も経過していない。
いくら功績を立てたとはいえ、いきなり旅団長から軍団長への出世は早すぎるのだろう。
反対意見が出るのも、もっともな話であった。
魔王様はそれでも、俺を「軍団長」にと推してくれたが、俺は自ら辞退した。
先日のバステオの件もあるように、魔王軍は一枚岩ではない。
ここで無理を押し通して再び、バステオのような不穏分子を生まない、とも限らない。
それは俺も望んでいないし、魔王軍にとっても良いことではないだろう。
それに、今、もし、俺が団長になってしまえば、このイヴァリースを離れることになってしまうかもしれない。
軍団長ともなれば、使用人としてサティを近くに置くことも難しくなるかもしれない。
それは本意ではない。
俺はなんだかんだで、このイヴァリースという街が好きだった。
サティという少女が入れてくれた紅茶を口にしながら、執務室から見下ろす街の光景が、お気に入りだった。
いつまでこの街に留まっていられるかは分からないが、それを自ら手放すのは惜しいような気がした。
俺はサティの方を振り向くと、いつもと同じ口調で言った。
「紅茶のお代わりを頼む、サティ」
サティは、いつもの笑顔で、いつもの台詞を口にした。
「はい、ご主人さま」
彼女の笑顔と、お代わりの紅茶の香りは、最高のものだった。
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