思わぬ人物の来訪
「妾にも不可能はある」
それが黒過の魔女の異名を持つ狂錬金術師の第一声だった。
思わぬ返答に戸惑ってしまう。
「いや、団長。いつも自信満々に言っているじゃないですか。妾に不可能はない、って」
その台詞を聞いたセフィーロは、「はての? そんなこと言ったかの」と惚けてみせる。
「妾とて神ではない。なんでも作れるわけではない。なんじゃ、そのテッポーという奴は? 聞いたこともみたこともない。ただの鉄の筒でも作れば良いのか?」
「違いますよ。いや、鉄の筒なんですが、火薬と鉄の弾を込めまして、それに火を付けて、弾を発射するんです」
その説明を聞いても、セフィーロは「……???」という顔をする。
そりゃそうか、口で説明しただけで、分かって貰えるわけがない。
せめて一丁でも実物があれば良いのだが――
そんな風に考えていると、とある人物の顔が浮かぶ。
「……もしかしたらあの方なら銃を持っているのでは?」
もしくは製造方法を知っているかもしれない。
なにせその人は、その鉄砲という奴にいち早く着目し、それを活用し、戦国時代に終わりを告げた人なのだから。
俺はその人物に会いに行くべく、セフィーロの許可を貰った。
セフィーロはいまだに事情を掴めていないようだが、戸惑いながらも魔王様の居城、ドボルベルクへ向かう許可をくれた。
ドボルベルクへ向かう途中、イヴァリースへと立ち戻った。
これから会うのは魔王軍の総大将だ。
湯浴みでもして身体を清めてからにしたい。
汗臭い身体のまま会うわけにはいかない。
決して魔王様が、可憐な美少女だから、という理由ではないことを補足しておく。
ま、それに俺の前世は日本人、やっぱり1日1回は風呂に入らないと気が済まないんだよな。
などと思いながら風呂に入る。
この異世界ではあまり風呂に入る習慣はない。
薪や水が貴重な世界だ。
早々頻繁に風呂になんて入ってられない。
前世の世界でもイギリスのエリザベス女王1世が、1ヶ月に1回、風呂に入っていただけで、「病的なまでの潔癖症」といわれていたくらいだ。
それはこちらでも似たようなもので、庶民たちは、水浴びをするか、布で身体を拭くことしかしない。
ちなみに我がメイドであるサティは、ちゃんと毎日入っている。
最初は、「ご主人さまの残り湯に入るなんて恐れ多い」と断っていたが、一度、無理に勧めてみれば、やっぱり風呂というのは良い物らしい。
毎日鼻歌交じりに湯に浸かっているようだ。
「――ちなみに覗いているわけではないからな」
誰に言い訳するでもなく、そう漏らすと、俺はそのサティの名前を呼んだ。
「サティよ。タオルを取ってくれ」
本来ならば用意されているはずのタオルがそこに置かれていなかったからだ。
サティはメイドとしては完璧であるが、たまにはミスをする。
まあ、この程度はミスともいえないが、ともかく、タオルがないのは困る。
俺は再び、サティの名前を呼ぶと、タオルを催促した。
音もなく浴室のドアが開かれる。
普段のサティならば、
「ご主人様、申し訳ありません」
と、申し訳なさそうに謝罪を述べて入ってくるのだが、今日のサティは無言だった。
珍しいこともあるものだ、とは思ったが気にも止めなかった。
俺の館は、容易に他者が入ってこられないようになっている。
理由は、他人に侵入されると困るから。
魔王軍の旅団長だ、暗殺される、という危険性もあるが、それよりも何も俺の正体がばれるのが不味い。
最近、魔族らしいごたごたに巻き込まれて忘れそうになるが、俺の正体は人間だ。それがばれるのは不味かった。
特に、他の魔族にばれようものなら、俺の命はないだろう。
裏切り者として、処罰されるに決まっている。
魔王様の御前に引き出され、そのまま首を切られるか、とてつもない魔法で消し炭にされるか。
「それならばまだいいけど、拷問の末、嬲り殺し、という可能性もあるな」
それだけは勘弁して欲しかった。
そう思いながらサティからタオルを受け取った。
サティには珍しく、タオルを投げて寄越す。
俺はそれで顔を拭く。
かびたような匂いがした。
俺はタオルと思わしき物体を見つめる。
――それはタオルではなくボロ切れだった。
「……団長の仕業だな」
即座に察する。
忠実なるメイド、サティは絶対にこんな真似はしない。
更に言えば、さっきも言ったとおり、この館には結界が張ってある。
自由に出入りできるのは、俺よりも強大な魔力を持っているか、俺の許可を得た人間か。
そう考えれば、必然的に答えが出てくる。
俺は呆れながら振り返ると言ってやった。
「……団長、いい加減この手の悪戯はやめて貰えませんか?」
というか、少し怒り気味に。
上司、いや、いくら幼き頃から面倒を見て貰っている(見た目だけは)お姉さんとはいえ、さすがにうんざりしてくる。
「いい加減、団長の通行許可を取り消しま――」
俺の言葉が途中で止まってしまったのは、そこにいた人物が団長ではなかったからだ。
更に言えばそこにいたのはサティでもない。
思わぬ人物がそこにいた。
彼女は、眉一つ動かさずにこちらを見つめると、
「――であるか」
と、言った。
その口癖を聞くまでもなく、そこにいたのは魔王様だ。
12枚の羽根と端正な顔を持った魔王軍の総司令官。
魔族の王がそこにいた。
俺はとっさにバスタブの横にかけてあった不死の王のローブを身に纏い、彼女に背を向ける。
――たぶん、ぎりぎりセーフだと思う。
湯気が邪魔をしていたはずだ。
そう思いながら、努めて冷静な口調で言った。
「魔王様、お久しぶりでございます」
魔王様はいつもの言葉で返す。
「であるか」
そして続ける。
「――不死族のものでも湯浴みはするのだな」
もっともな疑問だ。
しかし、どうやら俺の秘密はばれなかったようだ。
安堵の溜息をつきながら、魔王様に応接間に向かって貰うよう願った。
魔王様は素直に従ってくれる。
あるいはとても無礼な対応をしてしまったのかもしれないが、正体がばれるよりはましだ。
そう思いながら、不死の王のローブの乱れを直し、自分も応接間へ向かった。
†
カタカタ――、
と、サティの持つティーカップが揺れているのは、目の前にいるのが魔王様だからだろうか。
彼女は極度の興奮のためか、ティーカップどころか足まで震わせている。
可哀想ではあるが、魔王様にお茶も出さないというわけにはいかない。
サティは俺の耳元で囁く。
「さ、砂糖は何杯入れた方がいいのでしょうか?」
俺は魔王様に尋ねる。
「……魔王様、砂糖は何杯入れた方がいいでしょうか?」
彼女は指を5本突き出した。
どうやら彼女は甘党らしい。
威厳のあるお方だが、そのお姿に相応しく、女の子っぽいところがある。
サティは更に尋ねてくる。
「き、金箔も入れた方が宜しいでしょうか?」
確かにその通りなのかもしれない。
俺はそう思ったが、どうやら魔王様には聞こえていたようだ。
「そんなものは不要だ」
と、一言で斬り捨てる。
さすが魔族、地獄耳のようだ。
今後はなるべく、独り言も漏らさないようにしなければ。
魔王はサティが出した紅茶に口を付ける。
「――美味である」
相変わらず短い台詞しか口にしない人だ。
しかし、こうして見ると、背中に羽が生え、角があるところ以外、本当に普通の女の子と変わらないな。
そんな感想を抱きながら、俺も紅茶に口を付けていると、魔王様は唐突に切り出した。
「――ところでアイクよ。うぬが今度の決闘の代理を務める、というのは本当か?」
どうやら彼女は地獄耳なだけでなく、耳も早いらしい。
内密にしていたのだが、いつの間にやらその情報を掴んでいたようだ。
ここは正直に話すことにする。
そもそも彼女はその件を話すためにここにやってきたのだろうし。
「ええ、自分が団長の代理で戦います」
その言葉を聞いた魔王様は「であるか」と漏らすと、己の細い顎に手を添える。
なにか思案をしているようだ。
俺は彼女の思案がまとまるのを待つ。
数分ほどであろうか、彼女の考えは纏まったようだ。
「――アイクよ、余はお前にこれを托そうと思う」
魔王様はそう言うと、一言、魔法を詠唱し、俺の目の前に『木箱』を召喚した。
「これはなんですか?」
「………………」
魔王様は何も答えない。
開けてみろ、ということであろうか。
一応、開けても良いか問うてみる。
彼女の答えはいつものものだった。
「――であるか」
「…………」
たぶん開けても良いものだと判断する。
そうでなければ、わざわざこんな物は出さないだろう。
俺は恐る恐る箱の中を開ける。
その中に詰められていたのは意外なものだった。
「――これは」
思わずそう漏らしてしまう。
俺が欲して止まなかったものがそこにあったからだ。
木箱に詰められていたのは、10丁の銃であった。
いわゆる火縄銃という奴だ。
昔、博物館で見たことがある。
俺は魔王様に、手にとっても良いですか?
と、問う前に、思わず銃を手に取ってしまう。
意外と重い。
木でできているため、見た目こそ軽そうに見えるが、4、5キロはあるだろうか。ちょっとした赤ん坊レベルの重さだ。
長さも意外にある。子供ほどの背丈だろうか。
す、すごい。
思わず息を飲んでしまう。
そもそも、銃という奴は男心をくすぐる。
銃と剣が嫌いな男などいない。
後者の方は思う存分堪能できる世界に転生したが、まさか銃に触れられる日がくるだなんて夢にも思っていなかった。
しばし見とれてしまったが、とあることを思い出す。
魔王様がこの銃を持ってきた意図が分からなかったからだ。
俺は思わず尋ねる。
「魔王様、これは?」
彼女の答えは、「であるか」ではなかった。
「これは火縄銃というものだ」
「……火縄銃?」
一応、驚いた振りをしておくか。
前世の記憶があるとばれるのは得策ではない。
しかし、その努力は無駄だったようだ。
魔王様は答える。
「白を切る必要はない。お前が前世の記憶持ちであることは知っている」
「――――」
思わず冷や汗が流れる。
横にいたサティも顔面が蒼白になり、膝を震わせている。
サティよ、やめてくれ、前世の記憶だけではなく、俺が『人間』であることがばれるかもしれないではないか。
サティに視線を送ったが、彼女は余計に緊張しているようだ。
それを見かねたわけではないだろうが、魔王様は「隠し立てする必要はない」と言うと、
「余はお前が人間であることも知っている」
と、結んだ。
「…………」
思わず絶句してしまう。
サティに視線を送る。
このまま彼女を連れ出し、この館から逃げるべきであろうか。
今の俺では魔王様には敵わないが、逃げることくらいならばできるかもしれない。
一瞬、本気でそう思ったが、すぐにその考えを改める。
冷静に考えれば、そんな必要などない。
彼女が俺を始末する気ならば、こんなところで暢気に茶を飲んでいるなどありえないし、俺に『火縄銃』を見せる必要などない。
おそらくではあるが、魔王様はとあることを考えているのではないだろうか。
そもそも火縄銃という物が存在するのに、今までなぜ、魔王軍がそれを使用してこなかったか。
それを考えれば、答えは自ずと見つかる。
『火縄銃』自体は有っても、その銃に込める『火薬』がなかったに違いない。
彼女は――、魔王様は俺に火薬を作れ、と期待しているのではないだろうか。
俺がそのことに気がついたことを察したのだろうか。
魔王様は、はじめて口元を緩ませる。
「――人間、魔族である以前に、余は前々からお前に目をかけていた」
「……俺がじいちゃんの、奈落の守護者ロンベルクの孫だからですか?」
彼女は首を横に振る。
「いや、それは関係ない、ただの勘だ」
「……勘ですか」
「しかし、余の勘は良く当たる。余が目をかけた人間はすべて大成しておる。羽柴秀吉、前田利家、明智光秀、滝川一益。皆、無双の働きをし、余の助けになってくれた」
「…………」
まさか、異世界でそんな名将たちの名前を聞くことになろうとは思わなかった。
皆、織田信長という人の天下取りに欠かせなかった名将たちだ。
俺はそんな名将たちと比べられるような存在、ということなのだろうか。
買いかぶりだとは思うが、魔王様は最後にこう言った。
「うぬは、異世界での秀吉になってくれるか、それとも光秀(裏切りもの)になってくれるかな?」
「………………」
俺は沈黙によって答える。
この人は、自分が明智光秀に殺された後の歴史を知らないようだ。
羽柴秀吉という人は織田信長の死後、織田家を乗っ取って天下人となったのだ。
さて、そのことをどう答えたら良いものか。
答えに迷ったが、ともかく、魔王様に協力することにした。
そのことを申し出る。
「微力ながら、力をお貸しします」
その言葉を聞いた彼女は、いつもの口癖を口にすると、はじめて笑顔を見せてくれた。
「――であるか」
いつも無表情ゆえに大人びて見えたが、笑顔になると年相応に見える。
――もっとも、魔族ゆえにその実年齢は不明であるが。