トロイの木馬
不死旅団の部隊が撤退し終えるのを見届けると、俺はセフィーロに頼んでおいた『物』を確認した。
その物体は、一言で説明すれば、
『巨大な木馬』
だろうか。
木製で作られたもので、立派な雄馬をモチーフにしたものだ。
仮にこれをイヴァリースの街の広場にでも置けば、さぞ住民たちは喜ぶだろう。
なんだこれは、と黒山の人だかりができるに違いない。
それを見たその街の支配者は、ほくそ笑むはずだ。
「がっはっは、みたか、これが俺様の権力よ」
と――。
いつの時代、どこの世界でも同じだ。
権力者ってやつは、『巨大』な建造物を作って、自己満足に浸る。
古くはクフ王のピラミッドや中国の大陵墓、それに現代だとどこの国の独裁者も馬鹿でかい自分の銅像を作る。
一庶民目線で見れば、「馬鹿じゃないの?」となるが、人間偉くなるとどうしてもその力を他人に見せつけたくなるらしい。
幸いと俺は根っからの庶民なので、そんな悪癖とは無縁でいられた。
だが、片目の小鬼ことジェイスは典型的な自信家だと知っていた。
自分の力を誇示したくて仕方ないタイプだと知っていた。
だからそこに目を付ける。
俺はセフィーロが送ってきた『巨大な木馬』をジェイスに送った。
名目は、停戦の証だ。
どうぞこれを納めるので、今回ばかりは許してください、と、詫び状も添えた。
その詫び状と巨大な木馬を見たジェイスは、さぞ気分を良くしていることだろう。
部下に酒を振る舞い、宴を開いているかもしれない。
――というか、実際に開いていた。
片目の小鬼のジェイスは、その木馬の中に俺が潜んでいるとも知らずに、広場の真ん中で陽気に酒を飲んでいた。
この男はどうやら『トロイの木馬』の故事を知らないらしい。
古代ギリシャ神話のトロイア戦争で用いられたあれだ。
苦戦した相手に講和を持ちかける振りをして、巨大な木馬を貢ぎ物として送り、その中に兵を潜ませておいて油断したところを急襲する、古典的な戦法だ。
現代だとコンピューターウィルスとしての方が有名か。
現代人は、トロイの木馬、という言葉を知っているので、早々簡単に引っかからないが、こちらの世界では、似たような神話も故事も存在しなかった。
ゆえに知らなくて当然なのだから、ジェイスを馬鹿、と決め込むのは可哀想なのかもしれない。
ジロン曰く、
「旦那が天才すぎるだけなんですよ」
とのことだが、ただ単に前世の知識を活用したに過ぎない。
さて、こうして難攻不落のロワーレに難なく潜入できたのだ。
やることは決まっていた。
軽く深呼吸すると、右手に持った円環蛇の杖に力を入れる。
それと同時に木馬の扉は開かれる。
視界の先には大量のゴブリン達がいた。
皆、酒杯を手に持っているか、手掴みで料理を口に運んでいる。
俺は、広場に集まっていたゴブリンどもめがけ、《火球》の魔法を解き放った。
狙いを定める必要さえない。
皆、輪になって円陣を組んでいるからだ。
広場の中心にある噴水の近くに爆炎と爆音が響き渡る。
その段になっても他のゴブリン共がキョトンとしているのは、祝いの魔法でもぶち上げたと思い込んでいるのだろう。
要は完全に油断しきっているということだ。
いまだに臨戦態勢に入らないゴブリン共に次々と魔法を放つ。
《火球》《電撃》《斬撃》特に効果のある魔法を選ぶ必要さえない。
次々と敵兵は倒れていく。
しばらくしてジェイスをはじめ、敵兵たちはやっと俺が砦の中に潜入していることに気がついたようだ。
ジェイスは叫ぶ。
「ば、馬鹿な。貴様はアイク!? どうしてここに!? 対転移魔法には抜かりはなかったはずだぞ」
「木馬の中に潜んでいたんだよ」
と、説明するのも手間だ。
分かりやすいように俺は、魔法の詠唱をはじめた。
すると、木馬は蒼白く光り始める。
それと同時に周りを覆っていた木の枠がはじけ飛び、周囲に飛散する。
「な、なんだありゃ!」
近くにいたゴブリンは叫ぶ。
俺は答えてやる。
「ダマスカス鋼のゴーレムだよ。団長特製のな」
そう言い終えると、ゴーレムは起動する。
ゴブリンを敵と認識したゴーレムは、彼らにめがけて疾走する。
鋼の拳がゴブリンにめり込む。
「…………」
――痛そう。
という感想さえ湧かない。
即死どころか原形さえ留めていなかったからだ。
一撃でゴブリンを殺したゴーレムは次の標的を探し、即座にそちらに向かう。
無論、ゴブリンたちも反攻するが、所詮、素手で敵う相手ではない。
あのダマスカス鋼でできたゴーレムに傷を付けるには相当の魔力か、強力な武器が必要なはずだ。
酒宴に参加していたゴブリンたちにそんなものがあるわけがない。
僅かながらいたゴブリンの魔術師たちが魔法で反撃していたが、残念ながら彼らの魔法ではゴーレムの表面に傷を付けることだけしかできない。
ゴーレムがゴブリンたちを打ちのめすのを横目で確認すると、ジェイスを探した。
第7軍団を裏切ったとはいえ、余計な殺生などしたくはない。
早く副団長であるジェイスを捕まえ、この無意味な戦闘を一刻も早く終わらせたかった。




