出陣の儀式
イヴァリースの街、自分の館に戻ると、俺はサティに命じて、「湯漬け」を持ってこさせた。
「ユヅケ? ですか?」
サティはきょとんとする。
そうか、異世界人に分かるわけないよな。
まあ、現代人も分からないだろうけど。
湯漬けとは読んで字のごとく、ご飯にお湯をかけただけの食べ物だ。
現代人には分からないだろうが、ご飯という食べ物は、保存が利くようできない。
現代ならば電子ジャーでいつまでも温かくてふっくらしたお米を食べられるが、電気のない世界ではそうはいかない。
普通、朝一番に炊いた米を、一日中使い回しする。
そうすると夜はパサパサで不味い飯を食う羽目になるわけだ。
もちろん、庶民だってある程度旨い物を食べたい。
だから湯漬けという食べ物ができあがる。
パサパサになったご飯にお湯をかけて、水分を取り戻すのだ。
もちろん、炊きたてのご飯独特のモチモチ感までは戻らないが、それでもパサパサになった飯を食うよりも何倍も旨い。
「ご飯でしたら、今すぐに炊くこともできますが?」
サティは不思議そうな面持ちでこちらを見る。
「いや、それでいいんだ」
俺は答える。
別にサティを気遣ってとか、米を炊く薪が勿体ない、と思っているわけではない。
ただ、験担ぎのために一度やってみたかったのだ。
かの織田信長も、桶狭間の前には湯漬けを食べたらしいし、他の戦国武将にも似たような逸話がある。
彼らに憧れている、というわけではないが、一度真似したかったのは事実だ。
「それに米は腹持ちがいいしな」
そうサティに言うと、俺は箸で湯漬けを口にかけこんだ。
ちなみに箸は自分で作った自作のものだ。
長粒種の湯漬けはあまり旨くなかったが、それでも箸で米を食っていると落ち着くのは、日本人に染みついた習性なのだろう。
戦支度をする前くらい、ほっとしたい、というのが本音なのかもしれない。
湯漬けを食し終えると、「旨かった」とサティに言い残し、館の外に出た。
不死旅団の精鋭全員が、整列して俺を出迎えてくれた。
俺は握りしめた円環蛇の杖をかかげると、
「いざ、出陣!!」
と、声を張り上げた。
旅団員たちは、
「おおッ!」
という掛け声と共に、イヴァリースの街を出た。
†
第7師団副団長――
片目の小鬼の二つ名を持つジェイスは、ローザリア東部にある街、ロワーレの統治を任されている。
ロワーレの街は魔王軍本来の領地に接しており、古来よりその支配権を巡って激戦が繰り返されてきた。
そもそもこのロワーレの街が魔王軍に落ちた瞬間から、魔王軍の怒濤の進撃が始まったのだ。
このロワーレの街はそれほどまでに重要な拠点だった。
ゆえに、オークの参謀であるジロンが心配するのも無理からぬことだった。
「ア、アイク様。ほんとうに大丈夫なんでしょうか?」
なにがだ? 意図は知っているがあえて尋ねてみる。
「いや、ロワーレといえば、堅固な城塞都市として有名じゃないですか。それをたったの一個旅団で落とせってのは無茶すぎませんか?」
「無茶というか、不可能だろう。普通に考えれば」
「え……?」
ジロンは間抜けな声を上げる。
「じゃ、じゃあ、オレたちは負け戦をしに行くんですかい?」
「まさか」
と言ってやりたいところだったが、その通りだった。
しかし、そのことをこいつに伝えても良いだろうか。
迷う。
俺は延々とジロンの間の抜けた顔を見つめる。
「お前は口が堅い方か?」
「いえ、おしゃべりです」
即答する。
……正直な奴だな。まあ、こいつはあまり役に立たないが、こういった裏表のないところは信用していた。
俺は、誰かにしゃべったらロースト・ポークにするぞ、と前置きした上で言った。
ジロンは絶対誰にもしゃべりません、と、両手で口を塞ぐ。
「俺たちは負けるつもりで戦いに挑む」
「…………」
「どうした? 今度は驚きもしないな」
「……いえ、あの、オレの聞き違いかと思って。ええと、耳の穴をかっぽじって聞くんで、もう一度言っていただけますか?」
俺は先ほどと同じ言葉を繰り返す。
「俺たちは負けるつもりで戦いに挑む」
「ええー!? 負けるつもりで勝負を挑むんですか!?」
「馬鹿、声が大きいぞ」
「で、ですが、負け戦をしに行くだなんて聞いたことがありやせん。そんな話が旅団の連中にばれたら、士気ががた落ちだ」
「まあな。だから内緒にしていたんだよ。でも、さすがにお前くらいには伝えないとな」
「しかし、どうやって負けるつもりなんですか?」
「そりゃ簡単だ。戦の最中、俺は適当な指示を出す」
「はあ、でもそんなことしたらうちの旅団の奴が死んじまいませんか? さすがに哀れだ」
「そんなこと知ったことか。こちとら魔族だ」
と、言ってやりたいところだったが、さすがに言えない。
そもそも魔族とて情くらいはある。
死地に赴け、といって赴くような奴は少ない。
いや、泣く子も黙る第二軍団の連中ならば、団長が「死ね」と言えば、死ぬかもしれない。
ただ、残念ながら、我が不死旅団は甘いことで有名だ。
不死旅団などといういかつい名前を貰ってるが、不死旅団はよく他の魔族から馬鹿にされる。
「お前らはろくに戦わないから死なないだけだ。だから不死旅団なのさ」
と――。
理由はそこの旅団長が甘ちゃんだから。
人間だから、と言い換えても良いかもしれない。
その代わり、前世の知識という「チート」も持ち合わせているのだけど。
今回の戦では、その「チート」という奴を思う存分使わせて貰うつもりでいた。
ロワーレの街の付近に着いたとき、斥候であるコボルトがやってきた。
名前はタロ。
まだ少年、というか子犬だ。
大人になれば立派な兵士になるのだろうが、まだまだ幼いので、斥候として活躍してもらっている。
コボルトという種族は、あまり頭が良くない種族であるが、その視覚、聴覚、嗅覚は、魔物の中でも飛び抜けていた。
ゆえにこういった偵察任務を任せるのに、彼ら以上の魔物はいない。
「アイク様、どうやら敵は野戦に打って出てくるようです」
「そうなるよな」
俺はぽつりと漏らす。
「はい。でもなんでわざわざ城の外に出てくるんでしょうかね?」
コボルトの少年は、尻尾をぴんと伸ばしながら尋ねてくる。
緊張している証拠だ。
コボルトという種族は犬の魔物だ。
人狼と似ているが、その大きな違いはコボルトは常に犬の形態のまま、人狼は人の姿にもなれる、というところだろうか。
どちらも共通点として、犬科の魔物である。
やはりその生態がその身体に色濃く反映される。
つまり、緊張していれば、尻尾をぴんとさせ、喜べば尻尾をフリフリさせる。
タロも、普段ならば尻尾をフリフリしてくれるのだが、やはり戦の緊張感なのだろうか。
その精神状態が尻尾に良く現れていた。
俺はタロの緊張を和らげるため、彼の頭を撫でる。
頭を撫でられると喜ぶのも犬科の魔物の特徴だった。
「やつらが城の外に出てくるのは、俺たち不死旅団を舐めているせいだろうな」
「え? ボクたちのことを舐めるんですか?」
「……文字通りの意味じゃないぞ」
コボルトの知能は低い。
犬の知能は5歳児程度、という話もあるが、こちらの世界でも似たようなものだ。あまり賢くはない。
俺はタロにもわかるように簡単に説明してやった。
「俺たちのことを雑魚だと思ってるんだよ。だから、城に籠もらないで、野戦でガチ勝負をするつもりみたいだ」
「でも、ボクたちは負け知らずの不死旅団ですよ? どうしてそんなことするんですか。そんな雑魚扱いされるなんて」
「まあ、ロワーレに籠もっているのは一応、第7軍団の副団長、片目の小鬼のジェイスだからな、俺たちを舐める権利はある」
我が不死旅団の規模は300名ほど。
一方、ジェイスは副団長だけはあり、その倍の魔族と魔物を抱えている。
更に先ほどもたらされた情報によれば、他の旅団もひとつ、ジェイスに合流したらしい。
どうやら事前に第7軍団を裏切るように調略を重ねていたようだ。
結束力があると、もっぱらの評判の我が第7軍団から他の旅団長を引き抜くのだから、なかなかの手際だ。
俺は素直に感心したが、同時に哀れにも思った。
(まったく、どこの馬鹿が裏切ったのかは知らないが、間抜けなことをしたもんだ)
どうせ味方に付くなら勝つ方につけよ。
俺はそう思いながら、ジェイスと激突するであろう平原へと向かった。




