アイクの水田作り
イヴァリースに帰ると、俺は入手した書類をすべて上司であるセフィーロに送った。
一応、すべて《複写》の魔法でコピーは取ってあるが、特に地図の方は、俺の持て余す領域だ。
俺はどちらかといえば攻撃魔法が得意で、その手の探知魔法が得意ではない。
あの地図に残されたほんの少しの魔力の痕跡から、あの地図を書いたものを割り出すことなどできない。
その手の作業は狂錬金術師である団長の分野であろう。
だから俺は、自分に課せられているもう一つの仕事に専念することにした。
メイドであるサティを呼び出すと、とあるものを渡した。
「なんですか? この白いちっちゃいのは」
サティは初めて見る物体に戸惑う。
「ご主人さま、これはなんなのですか?」
「これは米、というものだ」
「……米ですか?」
彼女は聞いたことがないようだ。
この世界ではポピュラーではないのだろう。
当たり前か、俺もこの前、王都リーザスに行くまでその存在に気がつかなかった。とある商人の店の片隅で見つけるまで、こちらの世界に米があるなど知らなかった。
「前に俺がこの都市の税収を2倍にする、という話をしたのは覚えているな」
「はい、確か四輪作農法を試されるとか」
「ああ、裏で魔法とかを使ってちゃちゃっと実験してたんだが、この世界の土壌と季候は、四輪作農法に適合しているようだ」
「それでは毎日カブが食べられるようになるんですね!」
サティは子供のように無邪気に喜ぶ。
「まあ、毎日は無理だが、飽きるほど食えるようにはなるはず」
「それでは税収2倍のお仕事は成功ですね」
「おおむね目処はたったかな。農業は時間が掛かるから、来年すぐ効果が出るわけじゃないけど」
「それでは団長さまもさぞお喜びでしょう」
「まあな、まだ報告しないけど」
「え? どうしてですか?」
「いや、簡単に達成しちゃったら、あの人は更に無理難題を俺に押しつけてくるからな。苦労に苦労を重ねた上、なんとか成功しましたー、って情けなく報告するくらいで丁度いいんだよ」
「なるほど、そういうお方なんですね」
「悪い人じゃないんだが……、いや、極悪人か。何百年も生きている魔女だし、底意地が悪いしな」
「……いいんですか? 上司の悪口を言って」
「この部屋は《対盗聴》の魔法が付与されてるよ。それにどんな独裁国家だって、部下は上司の悪口をいう権利がある」
――上司の居ない場所で、だけど。
さて、愚痴をこぼしていても始まらないので、本題に入るか。
「話は戻すが、これは米、といって、南方にある島国から取り寄せた珍しい穀物だ」
「……お高いのですか?」
サティはおそるおそる尋ねてくる。
「そこそこだ」
一言だけ返す。
値段をずばり言わなかったのは、いってしまうとこの娘は卒倒してしまうから。
それにこれからこの米を調理して貰うのだ、震える手で料理されては堪らない。
いくら彼女が料理の名人でも、その食材の値段を聞いてしまえば平常心で調理できるわけがない。
「……そこそこ高価だが、それをいったら、普段、俺が食ってるものも高級品だ」
と、前置きをしておく。
ちなみにこの世界における米の価値は、同質量の銅と同じくらいの価値だろうか。
貴族様の嗜好品だ。
これを量産化できれば、税収は大幅にUP!
――とはならないと思う。
嗜好品は嗜好品、大量に出回るようになれば、値段もそれ相応に下がる。
ただ、それでも珍しい穀物として付加価値はあるし、米という作物には利点もあるのだ。
『米は麦に比べて何倍も生産性が高い』
同じ面積から取れる米の量は、麦よりも圧倒的に多い。
ぶっちゃけてしまえば、効率という点からみれば、現代でも異世界でも、麦を作るなど馬鹿馬鹿しい。
米は肥料も少なくていいしな。
みんなが米を食えば、今の何倍もの人間を養える。
そのことをサティに説明してやると彼女は目を丸くする。
「つまり今までよりも何倍も多くご飯を食べられるということですか? サティはそんなに食べられませんよ」
と、見当違いのことをいう。
教養のないサティには難しすぎるのかもしれない。
レベルを落として説明してみるか。
「サティらしい考え方だ。だが、違う。何倍も生産できれば、今よりも何倍の人間を養えるようになる」
「人口がそれに比例して増える、ということでしょうか」
「単純に考えればな。まあ、実際にそんなに増えないだろうし、増やす必要もない。少ない人数で大量の人間を養えるようになれば、農作業をしなくて済む人間もでてくるだろう?」
「はあ、たしかに、でも働かない、だなんてまるで貴族さまみたいですね」
「文字通り働かなくなるわけじゃない。農作業に従事していた人間が、他の仕事をするだけだ。武器職人になったり、煉瓦職人になったり、中には大道芸を披露して食う奴もいるかもしれない」
「いまもそういう方はおられますが……?」
「それがもっと増える、ということさ」
第一次産業、第二次産業、第三次産業、という言葉を使ってもサティには理解できないだろうな。
「……まあ、農作業から解放された農民が、なにかを生産する仕事に就く、そしてその仕事に就いた人たちにサービスを提供する人間が増える。例えば、料理人とか、舞台俳優とか、作家とか、そうすれば自然と国が豊かになるんだよ」
「……サティにはいまいちよくわかりませんが、でも、ご主人さまが領民のために頑張っている、ということだけは分かりました」
そう言うと彼女は「不肖、このサティ全力を持ってご主人さまのサポートをさせて頂きます」とメイド服の袖をまくり上げた。
「そう言って貰えると助かる」
俺はそう言うとサティに米の調理を頼んだ。
前世の知識は豊富であるが、こと料理となると門外漢なのが俺だ。更に調理となればもはやなにをやってよいかもわからない。
ここは専門家に一任するのが筋というものだろう。
俺は一応、前世の記憶で唯一残っていたもの。
「米を炊くときは、始めちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな、という格言がある」
という言葉を伝えておいた。
「……ハジメチョロチョロナカパッパアカゴナイテモフタトルナ、ですか。……なんだか魔法の呪文みたいですね」
彼女は困惑したように復唱する。
まったく理解していないようだ。
もしかしたら余計なことを吹き込んでしまったのかもしれない。
そう思いながら、米の調理を始めたサティの後ろ姿を見つめた。




