アリステアの正体
門番の後ろに忍び寄ると、門番の首筋に手刀を食らわせる。
映画や漫画ではよくあるシーンだが、魔力を込めれば、相手を気絶させることなど造作ない。
――逆に言えば別に手刀でなくてもいいのだけど。
一方、サキュバスであるリリスは、豪快に頭をぶん殴っていた。
門番は泡を吹いて倒れている。
哀れである。
同情はしたが、介護している暇はない。
あとで余裕があれば回復魔法ぐらいかけてやるが、今、必要なのは、白薔薇騎士団の団長アリステアの身柄であった。
俺たちは門を開け放つと、塔の中へ入った。
塔の1階、やはりそこは衛兵たちの詰め所になっていた。
いくつかのテーブルと椅子が置かれ、そこで衛兵たちが雑談している。
さすがに任務中だ、酒を飲んでいる人間はいなかったが、カードゲームに興じているものやテーブルに伏せて眠っているものはいた。
要は緊張感がまったくない。
「まあ、当然か……」
ぽつり、と漏らす。
ここに幽閉されているのは貴族だ。
よほどの状況でない限り、内部から逃亡する恐れもないし、外部から襲われる心配もない。
緊張感を保て、という方が無理な相談だ。
ましてや『魔族』の襲撃など予想さえしていなかったのだろう。
この期に及んで俺達の姿を見ても、彼らはキョトンとしていた。
ちなみに俺は骸骨の仮面を被った異形の魔術師。
リリスは褐色の肌をした淫魔サキュバス。
どこからどう見ても魔族なのだが、衛兵たちが、
「ま、魔族だー!!」
という叫び声を上げるのに数秒を要した。
俺はその叫び声が上がるよりも先に呪文の詠唱を終えていた。
《深遠なる催眠》
この魔法は、唱えるのに少々時間を要するが、広範囲に渡って効果を及ぼす催眠魔法である。魔力のない人間ならば抵抗さえできずに眠りに落ちるだろう。
実際、最初から寝ていた人間以外、すべてその場に崩れ落ちていった。
少し笑ってしまったのは、居眠りをしていたものが、崩れ落ちた人間の物音で起きたところだろうか。
「ふむ、どうやらこの魔法はすでに眠っているものには効果がないらしいな」
いいサンプルケースになった。
俺はそう漏らすと、起きたばかりの兵士に手刀を加えた。
「馬鹿な兵士ね。眠ったふりでもしておけば、痛い目にあわなかったでしょうに」
リリスはそう言うと、こちらの方へ振り向き、「くすくす」笑う。
「なにがおかしいんだ?」
俺は尋ねる。
リリスは更に頬を緩めると返す。
「だって、アイク様、わたしには手加減しろ、って言っておきながら、御自身は全然手加減されないんですもの」
「………………」
無言によって返す。
(……これでも手加減しているつもりなんだけどな)
端から見れば、俺の手加減はとんでもない力に見えるらしい。
どうやら俺も他人のことをとやかくいう資格はないようだ。
――今後は気をつけよう。
それはそれとして早くアリステアの身柄を確保しなければ。
眠っていた衛兵の一人を無理矢理起こし、締め上げると、白薔薇騎士団の団長、アリステアが幽閉されている場所を聞き出す。
彼はどうやら最上階に幽閉されているらしい。
「白薔薇騎士団の団長様はVIPらしいな」
「貴族の中でも位が高いのでしょう」
異世界でも現代でも金持ちほど高いところを好むのは一緒のようだ。
「さて、場所も分かりましたし、ささっとこいつを殺してしまってもいいですか?」
リリスは尋ねてくる。
「おい、リリス、無駄な血は流すな、と、あれほど……」
「もう、冗談ですよ。小粋な魔族ジョークです。こうして脅せば最上階の鍵を渡してくれるかな、と思っただけです。って、あれ? こいつ、失神してますね?」
見れば哀れな衛兵は気を失っていた。
リリスは、水でもぶっかけて起こしましょうか? と、提案してきたが、俺は首を横に振る。
無用だと思ったからだ。
俺は最上階まで上がると、アリステアが幽閉されているだろう部屋の前まで歩いた。
案の定、その部屋には鍵がかけられていたが、大した鍵ではなかった。
魔族のものならば力尽くで蹴破れる程度、人間でも手先が器用なものならば簡単に解錠できる。
「まあ、そんなことをしなくても《解錠》の魔法で一発だしな」
有言実行、とばかりに魔法を唱える。
ガチャリ――、
という音と共に、扉は開かれる。
俺は部屋に入ると、うやうやしく頭をたれた。
俺は魔族、相手は人間、礼を尽くす必要はないが、敬意を払うだけで人間関係が円滑に進むのならば、これほど安いものはない。
頭を上げると、白薔薇騎士団の団長と思わしき人物に視線をやった。
「………………」
――ってあれ?
そこには騎士団の団長はいなかった。
代わりにそこにいたのはアリステアの女中であろうか。
20歳を少しばかり過ぎたくらいの金髪の女性がいた。
髪を綺麗にまとめ上げ、ネグリジェを纏っている。
或いはアリステアという人物が連れ込んだ愛人か情人の類い、という可能性も考えられた。
幽閉の身でありながら、お盛んなことだ、と軽く皮肉が浮かんだが、彼女はベッドの側に置かれていた机から短剣を取り出すと、それをこちらに突きつけてきた。
「無礼者! 我を白薔薇騎士団団長、アリステア・ロッテンマイヤーと知っての狼藉か!」
「………………」
その言葉で、白薔薇騎士団の団長が女であったことに気がつく。
(……まったく)
吐息も出ない。
魔王様のときも似たような感想を覚えたが、どうやら俺には女難の相があるのかもしれない。
――もっとも、魔王様のときとは違い、この女を恐れる理由など何一つないが。
仮面の中の表情を作り直すと、再び頭を下げこう言った。
「突然の来訪、失礼つかまつります。白薔薇騎士団団長、アリステア・ロッテンマイヤー殿。俺は、魔王軍第7軍団不死旅団旅団長アイクと申します」
「不死旅団!?」
その言葉を聞いた彼女は明らかに表情を変えた。
それはそうだろう。
自分の騎士団をしこたま打ち倒し、敗戦の屈辱を味合わせた張本人が目の前に現れたのだから、すぐにその短剣を俺の心臓に突き立てたいに違いない。
だが、彼女は俺の言葉を聞いた途端、足を震わせた。
先日の戦の恐怖がまだ残っているのかもしれない。
いや、それともこの異形の姿に恐れおののいているのか。
しかしそれでも声を震わせず、詰問してくるのは、さすがは騎士団の長、というところか。女だてらに騎士団長を務めているだけのことはある。
「貴様ら、魔王軍のものか!? なぜ、このような場所に現れた! などとは言わない。先日の借り、今、この場で返させて貰う!」
彼女はそう言うと、全身の力を込め、短剣を突き立ててきた。
さすがに武器の扱い方は知っているようだ。
もしもその短剣を俺に突き刺すことができれば、致命傷は免れないだろう。
――もしも突き刺せれば、の話だが。
彼女は騎士団の長のようだが、その剣術は大したものではないようだ。
恐らくは実家が大貴族なのか、もしくはなんらかの事情があるのか。
ともかく、剣術の腕によって選ばれたことでないことだけは確かなようだ。
俺は手のひらに魔力を集中させると、短剣を素手で掴みへし折る。
その光景をみたアリステアは、
「なっ……」
と驚愕の表情を浮かべた。
最後の望みが絶たれたためだろうか、彼女はその場で崩れ落ち、うなだれる。
美女が絶望にうちひしがれている、という光景はなかなか絵になる。
しばらくその光景を見ていたかったが、残念ながらその時間はない。
誰かが街まで救援を頼みにいった可能性もある。
可及的速やかに彼女から情報を引き出したかった。
(……やれやれ)
心の中でそう漏らすと、久しぶりに魔族らしく振る舞うことにした。
アリステアの顎を掴み上げると、彼女を強引に立たせる。
そのまま壁まで彼女を押しつけると、低い声で言った。
「先日、私が預かる街に攻めてきたのはお前で相違ないな?」
彼女は反抗を試みたがすぐに断念する。
そもそも最初に自分から、白薔薇騎士団の団長と名乗ったのだ、今更しらばっくれる気などないのだろう。
「……それがどうした、この化け物め!」
「勇ましいお嬢さんだ。別に攻めてきたことを咎めているわけではない」
一呼吸置くと、「ただ確認したいことがあるのだ」と続ける。
「あのとき、お前達が攻めてくると同時に、俺が作った抜け道から人間の兵隊が現れた。あの抜け道を教えたのは誰だ?」
「………………」
彼女は沈黙によって答える。
当然か。こんな気位の高そうな娘がそう易々と口を割るとは思えない。
横に控えていたリリスは提案する。
「アイク様、拷問をするのでしたらこのわたしにお任せあれ。指を一本一本折りながら、苦痛に悶える人間の姿が久しぶりに見とうございます」
冗談とも本気とも付かない口調であったが、俺が許可をすればなんの躊躇もなく実行するだろう。この娘はそういう娘だ。
何度も言うが、俺の心は人間そのものだ。
そういった手荒なことは控えたかった。
だから俺は、アリステアという娘の横にある壁に、
ドンッ!
と、手を置く。
いわゆる壁ドンという奴だ。
ただし、普通のものではなく、魔族式の。
轟音と共に彼女の脇にある壁に大きな穴が穿たれる。
その光景を見た彼女は、初めて、
「……ひぃ」
と、顔を歪めた。
しかし、それでも口を割らないのは大したものだ。
ただ、俺は彼女が顔を歪めた瞬間、意識がそちらに集中したのを見逃さなかった。
《読心術》
の魔法をすかさず詠唱する。
この魔法をかけられたものは、己の心の内側を術者に晒してしまう。
強制的にだ。
ただし、心の中がすべて筒抜けになるわけではない。
上手く会話を誘導しなければ、聞きたい情報は引き出せない。
俺は彼女が口を割らないことを前提に会話を始めた。
まずはあたり触りのない質問をし、反応を試す。
「お前はその若さで騎士団の団長となったようだが、どうやってなった? その美貌で権力者にでも取り入ったか?」
「…………」
彼女は激しく睨み付けてくる。
どうやら違うようだ。
心の底から否定している。
「ならば、親の七光りか?」
「…………」
どうやらそのようだ。
「なるほど、白薔薇騎士団の団長は伝統的に伯爵以上の貴族の生娘がつとめることになっているのか。要はお飾りの団長というわけだな」
その言葉を聞いたアリステアは「……なっ」という声を上げる、心を読まれたことに動揺しているようだ。
「――己、面妖な魔術師め! 人の心を読むのか!」
彼女は俺が高位の魔術師であることを思い出したようだ。
必死で抵抗を試みようとする。
しかし、抵抗すればするほど、必死になればなるほど、こちらの思うつぼだ。
考えまい、と思考するほど、相手の声が大きくなり、こちらに伝わってくる。
「話を戻そうか。お前に抜け道を教えたのは、魔族のものか? それとも人間か?」
彼女の答えは、我が栄光ある白薔薇騎士団が魔族の力など借りるものか! だった。
まあ、そうだよな。
どんな間抜けでも魔族の姿のまま人間に策を授けに行くとは思えない。
代理のものを立てるか、変化の魔法を使うか、どちらかだろう。
俺は質問の方法を変えた。
「お前は攻め込む際、抜け道の地図を貰ったはずだな? それは今も持っているのか?」
「…………」
「ほう、どうやら今も持っているらしいな」
「…………っく」
アリステアは表情を歪める。
どうやら《読心術》の魔法を使うまでもなかったらしい。
その表情は今もその地図が残っていることを証明していた。
しかも彼女は本当に馬鹿正直なようだ。
その視線がベッドサイドに置かれたチェストの引き出しに向かっている。
俺はアリステアを解放すると、そのチェストの前まで歩き、チェスト引き出しを一つ一つ開ける。
その地図は3番目の引き出しに保管されていた。
重要な書類の類いは皆、そこに保管されているようだ。
役に立つかは分からないが、すべてもらい受けることにする。
アリステアはそれを黙って悔しそうに見守っていた。
まざまざと実力の差を見せつけられたこともあるだろうが、横にリリスが控えているのだ。蛇に睨まれた蛙のように動けないでいた。
地図を回収し終えると、俺はリリスにこちらに来るように言った。
「なんですか? 人間の前でわたしたちがラブラブなところでも見せつけるのですか?」
リリスの冗談を完全に無視する。
「帰るんだよ。ここは一度も来たことがないから転移魔法は使えなかったが、帰りは別だ。わざわざ歩いて帰る必要もあるまい」
「それはそれで楽しかったのですが」
「俺は歩くのが嫌いだ」
魔術師に転生したというのに、何が悲しくて歩かなければならないのか。
リリスは残念です、というと、俺の肩に手を置いた。
さて、後はイヴァリースに帰るだけだが、問題なのは放心しているアリステアだった。
戦場では完敗し、そのせいで幽閉され、あまつさえその敵将に脅され、重要な書類まで奪われたのだ。
一応、自害されないように折れた短剣は取り上げておいたが、なにか声をかけておくべきだろうか。
――かけておくべきだろうな。
今後、この娘と出会う可能性はないだろうが、だからこそ死なれたら困る。
夢見が悪くなる。
転移する前に俺は、慎重に言葉を選び、彼女の背中に語りかけた。
「……うん、なんだ……、その敵の俺が言うのもなんだが、あまり負けたことにくよくよするなよ。100戦して100勝する将なんていないんだ。要は最後の瞬間、立っていればいいんだ。ここぞというときに勝てばいいんだよ」
前世の世界でも、負けに負けまくった上にここぞというときに勝って、天下を手に入れた男が何人もいる。
日本だと織田信長という人もかなり負けまくってるが、要所要所で勝って天下を手に入れた。
あと有名なのは、三国志――、の前の世代の漢王朝の劉邦が有名だろうか。彼も72回も負けたのち、たった1回の勝利で天下を取ったではないか。
――と、説明しても異世界人には通用しないだろうな。
まあ、でも、戦いに身を置くものならば、勝敗など実力だけでなく、運も関係することくらい分かっているだろう。
俺は重ねて、
「馬鹿なことは考えるなよ。死ぬくらいならその気持ちを糧に俺に一矢報いてみろ」
と、言い残し、転移した。
その言葉がアリステアに通じたかは分からないが、転移後、リリスは苦笑を浮かべる。
「アイク様は本当にお優しい方ですね。まるで人間みたいです」
という感想を漏らした。
自覚はあるよ、と言ってやりたかったが、無言で返すしかないのが俺の今の立場だった。




