その7 淫魔
淫魔とは人や動物の雄を魅了して相手が死ぬまで搾取する悪魔であり、好むのは快楽と体液。その淫魔であるリリスは恋をしている。相手の生物が上手で美味しい……というわけではない。リリスは意中の相手と一度も交わったことがない。さらにいえばリリスはそもそも雄の精気を吸ったことがない。あるのは花々の精気だけである。
リリスが好意を寄せるのは魔王軍第7軍団所属、不死旅団の団長。不死の王の仮面、漆黒のローブで正体を隠している男である。旅団一つで、城塞都市を落とした知能、魔術師の中でも高位の者でなければ使えない禁呪魔法を取得している才能、そして人間と仲間に対する甘さ。そのすべてにリリスは惚れたのだ。
「アイク様……」
想い人――アイクの名前を呟く。アイクのことを考えると必ず名前を口に出すのだ。その癖を不死旅団に所属するほぼ全員が知っている。知らないのはアイクだけである。
「どうしたらアイク様のお心と体を奪えるのかしら……」
「物騒なことを本人に尋ねるのはどうかと思うんだが」
アイクは不死の王の仮面の中から冷めたような視線でリリスを見た。リリスは「きゃはっ」と笑うとリリスは剣を水平に振った。アイクは二歩だけ後ろに下がると円環蛇の杖でリリスの手を狙った。
「その手は前にされたので効きませんよ」
リリスは横に軽くジャンプして移動するとそのまま真っすぐにアイクへ突進した。剣先はアイクの喉を捉えていた。アイクはため息を吐く左足を軸にして右足を後ろに下げて体を半身にさせた。リリスの突進を難なくを避けた。
「リリス、突進は隙が大きいからやるなと前に」
リリスは握っていた剣の柄の部分でアイクの右脇腹を打った。
と思ったがアイクは円環蛇の杖で防ぎ、そのまま柄を叩き落とした。カランと剣が床に音をたてて落ちた。
「今のは少し危なかったな」
「えぇ~! 今のも駄目ですか……」
「団長の勝利!」
審判をしていた旅団の一兵士が声を張る。静かに観戦していた旅団の兵たちはアイクとリリスの勝負について感想を話し始めた。「団長はめっちゃ強い」「リリスさんも強い」と両者の誉め言葉の中で、リリスはしょんぼりと肩を落とした。剣を拾うと軽く剣を振ってから鞘に納めた。今日は不死旅団の稽古にアイクが来る日だった。リリスはもう稽古に出なくてもいいほど強いと言われて、副官に就いている。稽古に出なくていいと言われているのに、なぜ稽古に出るのか。
「私が勝ったらデートしてくれるって……」
「そんな約束してないだろう」
「じゃあキスを」
「そもそも負けているだろう」
「勝ったらの話ですよ!」
「勝ったら褒めるじゃダメなのか」
「え、アイク様が褒めてくださるんですか?」
「リリスが勝ったらな」
リリスは想像した。
リリスが稽古でアイクに華麗に一本取る。するとアイクはリリスの頭をポンポンとする。
「リリスは凄いな。これからも俺の懐刀でいてくれよ」
アイクの声は優しくて甘い。不死の王の仮面も微笑んでいる。リリスの強さを認めたアイクは、どこに行くにしてもリリスをお供にしてくれる。
「えへへへへ……」
リリスはアイクに褒められる想像をして破顔した。頬を両手で包みリリスは体をくねくねさせ始めた。アイクはその様子を冷めた目で見ていた。冷めてはいたがリリスのことが嫌いなわけではない。アイクにとっては大事な仲間である。強烈な好意には困っているが、かなり信頼を寄せている。
「アイク様、勝ったら褒めてくださいね!」
リリスは目を輝かせてアイクに右手の小指を突き出した。アイクはリリスの小指をまじまじと見た。
「あ、そっか。アイク様は知らないですよね。約束の厳守の証に互いの小指を絡めるんですよ。人間がやってました」
「指きりか」
「ユビキリってなんだか物騒な名前ですね」
「そうだな。そもそもの起源が……いや、やめておこう」
「……?」
不思議そうにアイクを見つめるリリスの小指にアイクは小指を絡めた。リリスはアイクの小指を嬉しそうに目を細めた。
「これで約束が厳守されるんですね!」
「まぁ、……そうだな」
アイクは前世を思い出していた。子供のころに歌をうたいながら指きりをしたことを思い出していた。こっちの世界でも指きりに歌があるのだろうか。そう思いながらアイクとリリスの絡まった小指を見ていた。リリスは歌うことはなくひたすら小指を絡めているだけだった。
「次は勝ちますからね!」
そう言うとリリスは左手で右手を包んで走り出した。かませ犬のようなセリフとは合わない表情。そのミスマッチな行動にアイクは思わず笑ってしまった。仮面があったおかげで周りの兵士たちには笑っていたことに気が付かれなかった。咳払いをして笑顔から真剣な表情に戻すとアイクは兵士たちの稽古の続きを始めた。




