噛ませ犬との決闘!
第7軍団団長セフィーロの根城、バレンツェレは、魔王軍の支配地域にあり、第7軍団の主力が滞在している。
また領地を持たない旅団長の一時的な滞在場所としても使われるし、軍団長であるセフィーロに報告にくるため、よく他の旅団長と鉢合わせすることがあった。
俺はなるべくこの城に滞在しないように注意している。
魔族という奴は、基本的に上下関係に五月蠅いというか、自分より上か下かでしか判断しない。
その実力と功績のみによって相手を判断するのだ。
最近、目覚ましい功績を立てつつある俺だが、実力の方は過小評価されている節がある。
理由はあまり敵兵を殺さずに都市を占領していること、俺がまだ旅団長に昇格してまもないこと、などが上げられるが、前世の癖か、あまり偉ぶった態度で接しられないのが原因なのかもしれない。
ゆえに、腕っ節は強いが、知能が低い旅団長あたりと出くわせば、揉め事になること必定であった。
だからさっさと転移の間に行き、自分の領地に帰りたかったのだが、こういうときに限って会いたくない人物に出くわすのだから、俺は運が悪い。
転移の間へと続く廊下で、人狼の旅団長であるベイオに出くわした。
第7軍団の旅団長の中でも、一番喧嘩っ早い男だ。
俺は揉め事にならないよう、廊下の端により、ベイオに道を譲った。
しかし、ベイオはわざと挙動を変えると、肩をぶつけてくる。
そして、三文芝居のような言いがかりを付けてくる。
「おい、痛えな、なに他人様に肩をぶつけているんだ」
いや、俺は静止していただろ。
お前は本当に分かりやすい性格をしているな。
いつもならば素直に謝るのだが、今日は事情が違った。
ここは喧嘩を買うべきであろう。
団長も言っていた。
「人間にとって謙虚は美徳かもしれないが、魔族にとっては逆に侮蔑の対象となる。いつしかそれが弱点になるかもしれないぞ」
と――。
それに、裏切り者をあぶり出すチャンスかもしれない。
たまには魔族らしく振る舞うのも悪くない、と、ベイオに言ってやることにした。
「俺は道を譲って静止していただろう。ぶつかってきたのはお前の方だ」
ベイオは俺が反論してくるとは思っていなかったのだろう。
「なんだと!」
と、全身の毛を逆立てた。
「謝るのはお前の方だ。大事なローブにお前の薄汚い毛がついてしまったではないか」
やれやれ、と毛を払う。
その言葉を聞いたベイオは更に鼻息を荒くした。
「俺様のこの銀毛が汚いだと。この不死族風情が!」
よし、計画通りだ。
ここまで怒らせれば、ベイオは想像通りの行動に移ってくれるだろう。
実際、ベイオは、俺を指さすと、
「お前に決闘を申し込む!」
と宣言した。
そうこなくてはな、と俺は心の中でにやりと微笑む。
魔族間の決闘はしょっちゅう行われている。
人間でも貴族同士、しょっちゅうやっているし、不思議ではなかったが、人間とは違い、魔族との決闘に流儀はない。
人間の貴族のように手袋を投げつけた瞬間、始めるとか、互いに剣を交差させた瞬間が合図になるとか、そういうのは一切ない。
なんの前口上もなく始まるのが魔族の流儀だった。
人狼のベイオは、
「ワォーン!」
と、こちらの背骨まで振動してくるほどの雄叫びを上げる。
普通の人間であらばそれだけで腰を抜かしてしまい、へたり落ちてしまうだろう。
人狼の咆哮には魔力が込められている。
そのまま失神してしまうかもしれない。
しかし、幸いなことに俺は『普通』の人間ではなかった。
幼き頃より魔族と共に暮らし、強大な魔力もその身に宿している。
その程度のこけおどしなど、まったく意に介さない。
俺は、じいちゃんから譲り受けた円環蛇の杖に魔力を込める。
この男は、仮にも旅団長だ。
手加減をする必要などないはず。
ただし、殺す必要もない。
喧嘩っ早い奴ではあるが、それでも気に喰わないという理由だけで仲間を殺すほど俺は人の心を失っていなかった。
俺は《火球》の魔法をベイオにめがけて放つ。
人狼の動きは素早い。
通常ならば、《火球》など、なんの造作もなく避けられる。
しかし、俺の火球の魔法は違う。
今、放った《火球》は、特別にカスタマイズしたオリジナルのものだ。
団長から教わった魔法で、威力を落とす代わりにその分、速度を強化していた。
まるで矢のような速度で飛んできた《火球》に、ベイオは驚愕の表情を浮かべる。
「くそ、小賢しい魔法を使いやがって」
当初は避けるつもりだったのだろうが、方針を変更して真っ向から受け止めることにしたようだ。
ベイオは静止すると、「こんな若造の魔法など正面から粉砕してくれる」と、火球を両手で受け止め、握りつぶした。
「――ほう」
と、思わず感心せずにはいられない。
威力が落ちているとはいえ、そのような芸当ができるとは思っていなかった。
流石は旅団長である。
やはり侮るべきではなかった。
ただ、ベイオは《火球》を握り潰すのに全力を傾けてしまったようだ。
俺はその隙を見逃さなかった。
杖に魔力を付与すると、それをベイオの頭にめがけ振り下ろした。
普通の人間がその一撃を受ければ、頭蓋骨が砕け、死は免れないだろうが、さすが魔族の中でも上位とされる人狼の旅団長、「ぐぁぁ!」という悲鳴は上げたが、それでもまだ意識は保っているようだ。
「よし、いまだ、とどめを刺すか」
普通の魔族ならばそう思うところだが、やはり俺は人間、勝負が決まれば、それ以上の加虐行為はためらわれる。
それが団長のいう俺の弱点なのだろう。
「……く、くそう、まだだ、まだ終われねえ」
やはりベイオはその甘さをつき立ち上がってきた。
さすがに足下はふらつき、その自慢の銀髪が血に染まっているが、まだまだやる気十分といった感じだ。
(まったく、魔族って奴はどうしてこうも負けず嫌いなのかね……)
心の中で吐息を漏らすと、呪文の詠唱を始めた。
今度こそは奴の戦闘力をそげる強大な魔法を使う――、
予定だったのだが、その呪文を詠唱し終えることはなかった。
とある人物が2人の間に割って入ってきたからだ。
彼女は、一瞬で俺とベイオの間に割って入ると、
「双方それまでじゃ!」
と、両手を突き出し、《呪縛》の魔法でベイオを拘束した。
臨戦態勢にいた旅団長クラスの実力者を瞬時に束縛できる魔力の持ち主など、そうそういるものではない。
二人の上司にあたるセフィーロは、珍しく真剣な表情で叱りつけてくる。
「魔族同士の決闘は御法度ではないが。さすがに妾の居城の廊下でやられたらたまったものではないな」
それに、と続ける。
「この試合の勝者はすでに定まっている。ベイオよ、お前は相手の力量も分からないほどに間抜けな魔族だったのか? 低能な人狼の中でも一際強く、一際理知的だからゆえ、旅団長に抜擢したつもりだったが、妾の目は節穴だったのかの?」
その言葉を聞いてベイオはやっと理性を取り戻したようだ。
「……申し訳ありません」
と、頭を垂れる。
あの狂犬のようなベイオが、この人の前では飼い犬同然だった。
それがこの人、セフィーロの実力を物語っている。
セフィーロは、ベイオが納得したのを見届けると、
「うむ、素直で宜しい。それではこの勝負、アイクの勝ちでいいな?」
と言い放つ。
ベイオもすぐさま、
「……はい」
と、納得する。
その解答に満足したセフィーロは、
「魔族の世界では実力がすべてじゃ。遺恨は残すなよ」
と言い、ベイオに回復魔法をかけ始めた。
ベイオの身体は蒼白く光り、その傷はみるみる閉じていく。
血で汚れていることを除けば、元通り、といっても差し支えないかもしれない。
ベイオは傷が完全に治ると、
「団長、すみませんでした」
と、頭を下げる。
セフィーロも、
「うむ、もうよい。お前にはお前の仕事もあろう。早く任地に戻って手柄を立ててくるのじゃ」
と許す。
ベイオもその命令に従おうとするが、俺とすれ違う瞬間、軽く頭を下げる。
どうやら俺の実力も認めるようになったようだ。
ただ、
「次はこうはいかないからな!」
という捨て台詞も残していったが。
まあ、ある意味分かりやすいキャラである。
「何度でも返り討ちにしてやるよ」
俺もテンプレ通り返礼すると、ベイオの帰還を見送った。
ベイオが転移の間に入ると同時に、俺は団長であるセフィーロに尋ねた。
「さて、団長、ベイオの奴からなにか情報は得られましたか?」
その言葉を聞いたセフィーロは、
「はて? なんのことじゃ?」
と、惚けたふりをしてみせた。
「普段の団長なら、身から出た錆じゃ、とでも言って、ツバでも付けとけとしか言わないでしょ。でもそれなのに今回は回復魔法をかけていたじゃないですか。しかも念入りに。なにか裏があると思うでしょ、普通は」
「ふむ、気がつかれたか。さすがはロンベルクの孫じゃな」
彼女はそう言うと種明かしをしてくれた。
「《記憶解読》の魔法をかけるのには、相手が完全に気を許している瞬間を狙うしかないのを知っているな」
「ええ、魔力がないものならそんな手間はいりませんが、仮にも相手は魔族ですからね。そう易々とは……、あ、なるほど、つまりそういうことか」
「そういうことじゃ。回復魔法を受け容れている間ならば、完全に気を許すからの」
「……あくどい人だな。もしかして、俺とあいつが鉢合わせする可能性を狙って俺達を呼び出した、ということはありませんか?」
「はての。それはどうだか」
セフィーロは、肯定も否定もせず、「かっかっか」といつもの笑い声を漏らす。
「……それで、奴の記憶から有益な情報は得られましたか?」
「ふむ、なかなか有益な情報が得られたぞ」
「まさか、あいつが裏切り者とか?」
「いいや、奴は粗暴で単細胞だが、その手の行為は忌み嫌う男じゃ。奴はシロとみてもいいじゃろう」
「そうですか。まあ、ああいう奴ですしね。策略とは無縁そうだ」
「だが、奴に『裏切り』をそそのかした人物の心当たりならできたぞ。奴自身は、それが裏切りの誘いであることも分かっていなかったようだが、奴を仲間に引き込もうとした旅団長がいるようだ」
「おお、さすがは団長です」
俺は賛辞を送り、その者の名を尋ねたが、団長は首を横に振った。
「いや、目星はついたが、まだ確信はない。軽々とその者の名を上げるのは早かろう」
確かな証拠が欲しい、とセフィーロは結んだ。
そして、ちらり、とこちらの方を見てくる。
つまり、俺にその証拠を掴んでこい、と言っているようだ。
以前も言ったが、魔族にとって上司の命令は絶対である。
それに今回は、我が旅団、いや、軍団規模の問題である。
命令されるまでもなく、裏切り者を探し出すつもりでいた。