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最後の名将 ††

 砲弾の嵐を受け、大混乱に陥る諸王連合。

 その中でも赤竜騎士団だけはその場に踏みとどまり、奮戦していた。

 ただ、戦場の状況を見る限り、諸王同盟は敗退するようだ。

 まずは傭兵団が撤退し、次に他の国の騎士団が撤退を始めた。

 これは負けるな、総大将であるエ・ルドレはそう感じた。


 意外な結果ではない。最初からこのような結果になるとエ・ルドレは予感していた。

 

 むしろ被害を最小限に抑えられて良かった、そう思った。

 エ・ルドレは懐から一枚の書状を取り出すと、それを妹であるヨハンナに託した。

 エ・ルドレはこう言う。


「もはや、赤竜騎士団はここまでだ。お前はこの手紙をファルス王に届けよ」


「兄上! なにを仰せになられるのです。赤竜騎士団はまだまだ戦えます。ここは一時、兵を引き、復讐戦の機会をうかがいましょう」


「いいや、それは無駄だ。ここで俺が負ければ、王はともかく、その周りにいる将軍どもが俺を許すまい。俺から兵権を取り上げ、そのまま獄に繋がれるだろう。俺は首を飛ばされるのは耐えられるが、首に縄を繋がれる屈辱には耐えられない」


 エ・ルドレはそう言い切ると、手紙をヨハンナに握らせた。


「いいか、これは俺の遺言だ。必ず国王陛下に届けるように」


 エ・ルドレの有無を言わさない態度にヨハンナは息を飲む。


「この手紙にはなにが書かれているのでしょうか?」


「陛下に、諸王同盟から離脱するよう勧める嘆願書だ」


「ファルスは諸王同盟から抜けるのですか? 魔王軍に屈するのですか?」


「屈するのではない。講和を結ぶのだ。もはや魔王軍の勢いは止められない。このままアズチに城を作られれば、このローザリアは魔王軍のものになるだろう。そうなれば諸王が集まる名目もなくなる。講和を結ぶならば早い方がいい」


「ですが、王は納得するでしょうか?」


「俺の命にかけて納得させるさ。その為の遺書だ。あの方は英明な君主ではないが、愚昧な君主ではない。きっと、俺の進言を受け入れてくださる」


「……兄上はもしかして、最初からそのつもりで司令官の座に復帰されたのですか?」


 ヨハンナは悲しげな瞳でそう尋ねてくるが、エ・ルドレは表情を変えずに答えた。


「まさか。俺はこれでも武人だ。最初から負けるつもりなどない。むしろ、つい数刻前まで勝つつもりでいた。いや、勝ちつつあった」


 だが、と天を仰ぎながらエ・ルドレは言う。


「武神の加護は、このエ・ルドレではなく、アイクという男に微笑んだ。口惜しいことではあるが、文句を言っても始まらない。この期に及んでは、俺はファルス王国の重臣として最後の勤めを果たすまでだ」


「……それがこの諌言状なのですね」


「ああ、国王陛下に対する俺からの最後の言葉だ。その血にまみれた手紙を見てくだされば、陛下も決心してくださるだろう」


「……血?」


 その言葉を聞いたヨハンナはあらためて手紙を見つめる。

 便箋の裏側には赤い液体が付着していた。ヨハンナは叫ぶ。


「兄上! まさかお怪我を!?」


「そうだな。実は鉛玉を腹に食らった」


「いつです? いつそのような事態に?」


「かなり最初の方だよ。運悪く弾が飛んできた」


「では、最初から手負いで指揮をされていたのですか? そのようなお身体で采配を振るっておられたのですか?」


「それは負けの理由にはしないよ。西方の丘を取られたのは完全に俺のミスだ。それにもしもあの場所を取られなくても、俺はアイクに負けただろう」


 将器、という言葉がある。それに大きさがあるのだとすれば、エ・ルドレのそれはアイクに遠く及ばないだろう。


 エ・ルドレは長年戦場を往来して知っていた。勝因がない勝利はあっても、敗因がない敗北がないことを。


 たとえ序盤に負傷をしていなくても、エ・ルドレはアイクにはかなわなかっただろう。


 魔王軍第8軍団長アイク。

 ジェラール・エ・ルドレが最後に戦う相手としては申し分のない相手だった。

 エ・ルドレは満足げに微笑むと、妹に手紙をファルス王に届けるよう頼んだ。

 ヨハンナも死に行く兄の遺言を無視することはできなかった。



「兄上、ご無事で」

「王都で再会しましょう」

「必ず生きて戻ってきてください」



 いくつもの言葉を発したかったが、どれも発することのできない言葉だった。


 だからヨハンナは唇を噛みしめると、馬に乗り、兄から預かった手紙をファルスに持って帰った。


 一刻も早く、一秒でも迅速に。

 それが死に行く定めを持った兄に対する最後の孝行であった。


 エ・ルドレはお転婆で泣き虫だった妹が振り返ることなく、馬を走らせたことに満足すると、赤竜騎士団の幹部を集めて軍議を開いた。


 集まった幹部に告げる。


「このいくさの趨勢は定まった。それに俺の天命もな」


 幹部に動揺は走らない。


 彼らはどんな事態に陥っても、俺の命令を信じ、最後まで剣を振るってくれた。これまでも。そしてこれからも。


「俺は一兵でも諸王同盟の兵を逃がすため、この戦場に留まるが。諸君らに玉砕は求めない。これから最後の突撃を加えるが、それは味方が逃亡する時間を稼ぐためのものだ。突撃が終了後、赤竜騎士団はその場で解散、その後、ファルスに戻れ、それが最後の命令だ」


 皆、無言でその作戦を聞くが、一人だけ尋ねてくる部下がいた。


 エ・ルドレよりも年長の老将で、幼き頃、エ・ルドレに剣の稽古を付けてくれた守り役の男である。


 彼はエ・ルドレの身体に鉛玉がめり込んでいることを知っていたし、その立場が危ういことも、そして死に場所を求めていることも知っていた。


「ジェラール様の命令は絶対だ。この場でその意思に反する人間はひとりもいないでしょう。しかし、貴方の死後はその限りではない。もしもジェラール様が死ねば、指揮権は私に移ります。そのときは最後まで抗戦し、敵軍を一人でも多く道連れにしますが、かまわないでしょうか?」


 その無骨な問いに、エ・ルドレは戯けた口調で返す。


「死後のことまで命令できるほど偉くないよ。俺は」


 エ・ルドレはそう言い切ると、その場にいた宿将たちは笑った。

 しかし、一人だけその場の空気を読めないものがいた。

 先日、赤竜騎士団に配属されたばかりの若い騎士だった。


 たしか彼は先日、幼なじみと婚約したばかりだった。エ・ルドレはそのことを思い出す。


「そうか。お前はまだ死にたくないか。ならばこの陣を離れてもいいのだぞ」


「それはできません。たとえ負けるにしても、敵前逃亡だけはできません」


 しかし、と彼は沈痛な面持ちで続ける。


「このいくさは我々の負けです。しかし、今後も負け続け、ファルスという国がなくなったら、私は。いえ、私たちはいったいどうすればいいのでしょうか?」


「お前は俺の死後のことまで俺に心配させるのか」


 エ・ルドレは冗談めかして言ったが、陽気に、軽い口調で答えた。


「そのときは、魔王軍のアイクという男を頼るがいい。あの男ならば我が軍にもファルスの国民にも悪い結果をもたらすまい。頼られる方も堪ったものではないだろうが、まあ、それも宿命だ。あの男はきっと、苦労をするために生まれてきたのだ」


 先日、一回だけであるが、そのときの印象がそれだった。

 この人物は頼るに値する人物、信頼に値する人物、それがアイクの印象であった。


「よいか。この一戦には敗れた。だが、ファルスという国はまだまだ続く。それに今後の情勢も未知数だ。どう転ぶか分からん。しかし、今後の歴史はあの男を中心に動くだろう。そしてあの男は信頼に値する人物だ。それだけを覚えておけば、何の問題もない」


 エ・ルドレはそう言い切ると、若い騎士の背中を押した。


「お前は敵前逃亡はできない、そう言ったな。だから任務を与える。お前は後方に帰り、このエ・ルドレの死に様を味方に伝えるのだ。エ・ルドレという男は最後まで戦った。腹に鉛玉を食らいながら槍を振り回した化け物だ。そう後世に伝えるのだ。それがお前の役目だ」


 エ・ルドレはそう言い切ると、若者を後方に下げた。


 エ・ルドレの決断に文句を言う部下は一人もいない。若者を批難するものもいなかった。


 それに満足したファルスの名将は、槍を取ると馬にまたがった。

 ファルスの赤竜騎士団は、全員、真っ赤な甲冑を身にまとっている。

 馬も赤毛ばかりだった。

 赤竜騎士団は、最後の突撃を魔王軍にする。

 真っ赤な甲冑がさらに赤く染まり上がり、魔王軍は切り裂かれていった。


 その勢いは凄まじく、勝ちに乗じて勢いに乗っていた魔王軍は、数百メートルほど後退せねばならなかったという。


 アイクのいる本陣まで、数十メートル先まで迫ったという。

 赤竜騎士団とそれを率いる武将の名は、後世まで語り継がれることになった。

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