イヴァリースの館の食堂にて
イヴァリースの館の食堂にて――。
現在も、魔王様は我が屋敷に滞在中である。
普段、俺の食事は他の軍団長から見れば質素なものだが、魔王様が滞在中はさすがにそうするわけにはいかない。
人間の王侯貴族のように豪華な食事、酒池肉林、満漢全席のオンパレード、とはいわないが、それなりに上質な食事へと切り替わる。
魔王様は大食らいではないが、彼女が滞在中の食費は普段の月の6倍に跳ね上がったと明記しておこうか。
といっても、それはあくまで庶民レベルの話であって、6倍に跳ね上がったところで大したことはなかった。
元が少なければ倍率が上がっても大差はない。
それどころか魔族を統べる魔王様にお出しするにしては質素すぎる食材のような気もする。
だが、魔王様は気にすることなく、出されたものに文句を付けることなく、あれが食べたいこれが食べたいなどと我が儘を言われることなく、3度の食事を残さず召し上がってくれた。
これはサティの料理スキルのお陰かもしれない。
彼女は料理の名人だ。
同じ鶏肉を使っても、部位によって調理方法をより分け、最良の料理を提供してくれる。
ささ身ならばゴマをすりつぶしたドレッシングをかけて工夫してくれたし、胸肉ならば煮込み料理などに使ってその味を引き出す。
もも肉など旨い部位を使う場合は、余計な手を加えず、香辛料を塗して、小麦粉を付けて唐揚げにする。それだけでご馳走に変わる。
その日も、豚のひき肉をミートソースにしたスパゲティを食卓に出すと、魔王様は旨そうに口に運んでいた。
乾麺ではなく、サティがこねた生パスタだ。もちもちしておいしい。
俺はフォークで掻き込むように食べるが、魔王様はフォークとスプーンで上品に食している。
これが育ちの違いかな。
そう思っていると、魔王様は唐突に話しかけてきた。
「――かの上杉謙信は粗食で有名だった。普段はほとんど飯を食わないが、いくさの前になると大量に飯を食らったので、家臣はいくさが始まるとすぐに察することができたそうだ」
なにがいいたいのだろうか?
俺がそんな表情をしていると、魔王様は意表を突いてくる。
「うぬにもその傾向が見られるな。最近、食べる量が増えている。そろそろいくさがあると踏んでおるな」
「……そんなに食べる量が増えましたかね?」
「1.2倍くらいには増えているかな」
「それはたぶん、いくさが近づくとサティの飯が食えなくなるからかな。しばらく戦場に行くとなるとまずい飯が続きますし」
「そうだな。このように旨い飯になれると戦場での飯が豚の餌に思えるだろう」
魔王様はそう言うと、
「馳走であった」
と、手を合わせる。
その姿を見たサティは、
「と、とんでもありません。お粗末なものを食べさせてしまいました」
と慌てる。
「これが粗末なものならば、戦場の兵士たちが食べているものは猫もまたぐ食べ物だな」
魔王様はそう言い切ると、サティに断言する。
「うぬの料理の腕は、ヒノモト。いや、この異世界一だ。世界の半分を統べる魔王であるこの余が言うのだから間違いない」
「きょ、恐縮です」
サティは恐れ入るが、魔王様の言葉はある意味正しい。
この世界のすべての料理を食べたわけではないが、サティが作る料理はとても旨い。
またしばらくこの味が食べられなくなると思うと、それだけで憂鬱になる。
「舌が肥えるというのも考え物ですね。ちなみに俺と魔王様の知っている世界ではイタリア軍という珍妙な軍隊がありましてね。彼らは戦場にアイスクリーム製造器を持ち込んだり、砂漠に大量の水が必要な乾麺を持ち込んだり、こと食べ物に関しては笑える逸話をいくつも持ったどうしようもない軍隊がありまして」
「それは笑えるな。その軍隊はさぞ弱かっただろうに」
「ですね。こと軍人に関しては味覚音痴の方が有利です」
イギリスが世界を制することができたのは、味覚音痴だから、という説がある。
世界中、どこの国を支配しても、自国より飯が旨かった。だから世界の果てまで行っても望郷の念に駆られることがなかったのだ。
そんな説があることを魔王様に話す。
「なるほど、道理だ。我がヒノモトが世界に羽ばたけなかった理由もそこにあるのかもしれないな」
「こと食い物に関してはうるさい国民性ですからね」
そう断言すると、フォークを置き、食べ物の話を切り上げることにした。
「たしかに、そろそろ、諸王同盟の本格的な侵攻が始まるでしょう。アズチの基礎工事は終わりましたし、これ以上、敵軍が座視しているとは思えない」
軍事の話をすると察したからだろうか。サティは下がろうとするが、魔王様はそれをとめる。
「うぬはここにおれ。余はワインが飲みたい」
魔王様はそう言うとサティは黙って魔王様にワインをそそぐ。
この娘ならば重要な機密は漏らすまい、そんな信頼感があるのかもしれない。
おれと同じようにサティを信頼してくれているのだろう。
そう思うとなんだか嬉しくなった。
「そうだな。半年をめどに敵の大攻勢が西方でも始まる。うぬにはそう言っていたが、そろそろ敵軍の動きも注視しておかねばならない時期かもしれないな」
「そうですね。もう休んでいるときではないかもしれません」
「どうせならば、永遠に休んでいたいのだがな。ふ……」
と魔王様は笑う。
「サティと話したり、編み物をするのは思いの外楽しい。いや、楽しかったかな」
「できればもう少し楽しんで頂きたかったのですが、ジロンの報告によると、そういうわけにもいかないらしいです」
「――というと?」
戯けていた魔王様の表情が真剣になる。
「エ・ルドレ、という人物をご存じでしょうか?」
「聞かぬ名だな」
「諸王同盟にその人あり、と謳われた名将ですよ」
「魔王軍最強の魔術師がそういうのだからなかなかの人物なのだろうな」
「一騎打ちはともかく、采配に関しては俺より上かもしれませんね。一度だけ戦ったことがありますが、その采配は見事だった」
「名将は名将を知る、か。案外、敵の方も同じ感想を持っているかもしれないぞ。――で、そのエ・ルドレというやつがどうした?」
「ジロンの報告によると、やつがローザリア西域の総司令官に任命されたようです」
「ほほう。それはゆゆしき問題だな」
「今までは張りぼての軍隊に第8軍団の旗を持たせるだけで敵軍は逃げ帰ってくれましたが、やつが指揮を執るとなるとそうはいかないでしょうね」
「もはやうぬが直接出向いて指揮を執るしかない、と?」
「そうするつもりです」
断言をすると、サティはこちらを見つめてくる。
彼女は俺が戦場に赴く際、いつもその表情をする。
その目は悲しみに満ちている。
俺がもう戻ってこないのではないか、そんな目をしている。
俺は出征のたび、サティに見送られ、その都度、必ず戻ってきたが、その幸運がいつまで続くか分からない。
そう肌で感じているのだろう。
戦争とはそういうものだった。戦いとはそういうものであった。
実際、人間である俺はいつ死ぬか分からない。
神は、人間にも魔族にも平等に死を与える。
俺もその例外ではないだろう。
無論、この場ではサティに、
「何も心配しなくていい」
と気遣いの言葉を残すが。
俺は魔王様に許可を頂くと、第8軍団の他、魔王様の手勢、それに第7軍団のセフィーロと第5軍団のウルクの援軍を願った。
ジロンのもたらした情報が正確であるならば、敵軍を倒すにはそれくらいの戦力が必要だと思ったからだ。




