森の女王の病 ††
††(エルフの女王フェルレット視点)
エルフの森の女王、フェルレットは病気を患っていた。
最近、食欲がないのだ。
大好きなキノコも、森の果実も喉を通らない。
仕方ないので、果実をほぐし、熱して、蜂蜜を加えて、ジャムにしたものを口にしていた。
その日も侍女に甘えながら、「あーん」をして、ジャムを口に運んでいた。
侍女はベッドで伏せるフェルレットをしばらく見つめるが、苦言を呈することにした。
「フェルレット様、いい加減、ふてくされるのはやめて、政務に戻って頂けませんか?」
フェルレットは頬を膨らませる。
「でも、私は病気なのよ? 病人は病人らしくしないと」
「健康体ではないですか」
「でも、食欲はないし、やる気も起きない。それに、常に胸がドキドキするの」
「……それはどういうときに発症するのですか?」
「あの方のことを考えたとき」
と、フェルレットは断言する。
その言葉を聞いた侍女は呆れながら言った。
「それは不治の病ですね」
「でしょう?」
と、上目遣いのフェルレット。
「ええ、聖なる泉でも霊薬でもなおせないというやつです。恋煩いというやつですな」
「そう! そうなのよ。あの方、アイク様のことを考えているだけで、胸が高鳴ってしまうの。心臓が飛び出してしまいそうになるの。こんな状態じゃ仕事はできないわ」
「そうですか、つまり、フェルレット様は、今、客人が来てもお会いになられない、ということでよろしいですね」
「そうね、そういうのは貴方に任せます」
「承りました。では、『アイク様』にそのことを伝えてきます」
侍女がそう言うと、フェルレットは飛び上がる。
そしてまっすぐクローゼットに向かうと、侍女に言った。
「アイク様は何色のドレスが好きかしら?」
「肌色じゃないですか? アイク様も殿方ですし」
「アイク様はそのようなお方ではありません!!」
フェルレットは頬を膨らませると、ドレスを選び、化粧を始めた。
侍女はその後ろ姿をやれやれ、と見つめた。
エルフの女王の間は、陽光に満ちあふれていた。
そこに颯爽と現れる金色の髪の美女、彼女は薄緑色のドレスを身に纏っていた。
相も変わらず見目麗しい美姫であるが、少しだけご機嫌が斜めのようだ。
彼女は開口一番にこんな不平を漏らした。
「その横にいる美しい女性は誰ですか?」
「サティにございます」
「それは知っています。以前お会いしていますから。そうではなく、右の方にいる髪の長い女性です」
「ああ、この方ですか、この方は――」
と、俺の言葉に割って入ったのは、その麗しの少女だった。
「余は、ダイロクテン魔王である」
彼女はそう宣言した。
「まあ、魔王様」
フェルレットは、口を大きく開け、そこに手を添える。
「まさかこのように可愛らしい方だとは思いませんでした」
「それはお互い様だろう。年を取ることを忘れた種族よ」
「でも、魔族の王様なのですから、もっと怖い方を想像していました」
「であるか」
見た目に騙されない方がいいですよ、そう言いたくなったが、それを抑えると、早速、俺は用件に入ることにした。
「フェルレット様、フェルレット様は以前、この森に住む地竜の研究をされていたとか」
まあ、どこでそんな話を、と再び驚くが、
「きっと、アネモネね。良く覚えていたわね、あの鳥頭娘が」
フェルレットはそう言うと、自慢げに胸を突き出した。
エルフゆえにささやかな胸だが。
「そうなんですよ。こう見えても私は博学なのです」
とアピールしてきた。
アネモネを見ている限り、そうは見えないが、この女性は仮にもエルフの王、アネモネとは脳の作りが違うのかもしれない。
そう思ったが、口には出さず研究好きの女王に尋ねた。
「フェルレット様、お尋ねしたいことがあるのですが」
「わたしの胸の大きさはアネモネよりちょっと大きいです。ウェストは微妙に細いです。好きな食べ物はマッシュルームのバター焼き、それにマーマレード・ジャム――」
「………………」
延々と関係のない話を聞かされる。
俺が聞きたいのは地竜に関することなのに、彼女は延々と話し続ける。
自分の趣味嗜好はもちろん、使っている香水、好きな下着の色、前回、俺が森にやってきてからこれまで起こった些細な事件、すべてを話してくれた。
女性とはどうしてこうもかしましい生き物なのだろうか。
そんな感想が浮かんだが、沈黙によって節度を守った。
仮にも相手は一国の女王であるし、横にはサティも魔王様もいる。
それに死んだじいちゃんも言っていた。
女性を黙らせることはどんな賢者にも不可能である、と。
賢者ですらない俺は、彼女を黙らせることはできない。
彼女が満足するまで世間話に付き合うと、彼女がしゃべり疲れるのを待った。
その間、横にいる女性陣を見る。
サティはニコニコとしていた。
相変わらずどんな場面でも笑顔を絶やさない娘だ。
一方、短気なことで有名な魔王様は意外にも冷静な表情をしている。
瞑想するように目を閉じると、真摯に女王の言葉に耳を傾けていた。
――と思ったがそれは勘違いで、彼女は眠っているようだ。
「ZZZZZ」
という漫画のような寝息ではないが、静かな寝息が聞こえてくる。立ったまま眠るとは器用な方だ。
是非とも同じ特技が欲しいところだったが、それを習得する前に、エルフの女王は話し疲れたようだ。
「――ところで、さっき、なにかわたしに質問をしませんでしたっけ?」
フェルレットはにこやかに問う。
これで本題に戻れる。そう思った俺は、今度こそ脇道にそれないよう一気に用件を話した。
「――フェルレット様は昔、この森の付近に住まう地竜の研究をされていたとか。その生態研究を是非うかがいたい」
「ああ、そうでした。たしかアイク様はそのようにおっしゃっていましたね」
「はい、この森に来たのもフェルレット様に地竜についてうかがいたかったからです」
「……わたしに逢いにやってきてくれたのではないのですか?」
フェルレットは少しすねた顔をしながらいう。
ここで違う、と言うほど勇気はない。
「無論、それが一番目の目的ですが、それと同じくらい今、地竜の情報が欲しいのです」
世辞が効いたのだろうか、フェルレットは目を輝かせながら、地竜について語ってくれた。
彼女は饒舌に語る。
「この森の付近に住まう地竜、つまりアースドラゴンですが、その大きさはちょっとした小山ほどはあります」
「小山ですか」
「小城というより小山ですね。実際、休眠期にはその場にうずくまり、皮膚に苔が生えて、旅人が間違えて地竜の頭の上で寝てしまった、という逸話があります」
「それは難儀な旅人ですね」
「――いえ」
と、フェルレットは流麗に首を横に振る。
「休眠期の地竜は大人しいです。その頭の上でワルツを踊っても怒るどころか起きることさえないでしょう。休眠期だけでなく、活動期もです。こちらが攻撃しない限り、絶対に危害は加えてきません」
「なるほど、そんなドラゴンもいるんですね」
「はい。ドラゴンすべてが凶暴なわけではありませんから」
「で、そのドラゴンはどうして20年周期で人を襲うのでしょうか?」
「地竜は自分からは人を襲いませんよ」
「ですが、実際、これからその地竜というやつは動きだし、アズチという村に襲いかかります。我々はそれをとめたい」
「それはアズチという村の付近に、地竜の繁殖場があるからでしょう」
「繁殖場?」
「はい、地竜は20年ごとに繁殖場に現れては、他の雄と交配し、子孫を残します。地竜は別に村を襲うためにアズチを通っているのではありません。繁殖場の通り道に村があるのに過ぎないのです」
「ちなみに地竜は一匹しか現れないと村の長が申し上げていましたが?」
「それはたぶん、雌の地竜があまりにも巨大すぎて目立っていないだけかと。その時期、小さな地竜がたくさん集まってるはずです。まあ、これは憶測ですが」
「……なるほど」
俺は仮面越しに顎を押さえる。
繁殖期になると集まるドラゴンか。ありえる話だ。
前世にもそのような動物はたくさんいた。
むしろ繁殖期以外は別個に生活して、繁殖期のみ出会う、という生物の方が多いのではないだろうか。
群れで生活する動物以外は、そのような傾向にあるといっても過言ではない。
この異世界も似たようなもので、常につがいとなって行動する生物の方が希少な気がする。
と、なれば、その繁殖行動を逆手にとれば、地竜の行動を制することができるのではないか。俺はそう考察し、そのことをフェルレットに伝えたが、彼女はその言葉を聞くと、可憐な笑顔で返礼してくれた。
「さすがですわ、アイク様。その通りです」
彼女はそう言うと、侍女になにかささやいている。
エルフの侍女はうやうやしく頭を下げると、女王の間から消えた。
しばらくすると、見慣れぬ果実を手に持ってやってきた。
「それは?」
と、問うと、彼女は説明してくれる。
「これは地竜の雌と同じ匂いを発する果実でございます」
「ほほう」
思わずそう口にしてしまう。
その後、彼女は俺が期待している言葉を付け添えてくれる。
「ちなみに地竜の雌はとても仲が悪いです。近くに同じ雌がいると共食いをするくらい」
「それはいい情報を聞きました」
最高の情報であった。わざわざ、世界樹の森までやってきた甲斐があるというものだ。
俺はエルフの女王に尋ねた。
「その果実を大量に頂きたいのですが、集めるのにどれほどの時間が必要でしょうか?」
「何個ほどですか?」
「多ければ多いほどいいですが、取りあえず百個ほど」
「ならば一週間は必要です」
「一週間か……」
思わず唸ってしまう。
それだと時間的に地竜と諸王同盟の進軍に間に合わない可能性がある。
あの村を破壊される前になんとか敵を撃破したかった。
アーセナム付近でなく、なるべく敵国との国境線付近で戦闘を行いたかった。
俺がそう悩んでいると、魔王様が助け船を出してくれる。
いつの間にか目覚めた魔王様は、開口一番にするどい指摘を加えた。
「たわけ。この娘の策略に乗せられるな。この娘はお前と一緒に居たいがために、口三味線をしているのだ。本気を出せば三日で集まる。第一、この果実はこの森に来る途中、何度も見たし、森中から香りが漂っておるわ」
その言葉を聞いた俺は改めてフェルレットを見据えると、彼女は悪戯好きの少女のように舌を出した。
「ごめんなさい、アイク様、アイク様と少しでも長く一緒に居たくて」
彼女はそう弁明すると、
「3」
と、指を三本突き出した。
「三日ということですか?」
俺は尋ねる。
彼女はゆっくり首を振る。
「30時間で集めて見せましょう」
彼女は断言するが、ただし、と付け加えた。
「その間だけでいいので、わたしとイチャイチャしてくださいな。妹の話とかも聞きたいですし」
フェルレットはそう言いきると、強引に俺の腕を組んできた。
その様子に、魔王様とサティも飽きれるが、俺はうなずくしかない。
イチャイチャはともかく、彼女にも彼女の妹にも感謝はしていた。
とくにフェルレットの妹、アネモネにはだいぶ助けられている。
彼女たち二人は双子の姉妹だ。
遠く離れ離れに暮らし、寂しい思いをしているだろう。
それを少しでも慰められるのであれば、話くらい聞くのもするのもやぶさかではなかった。
俺は、サティと魔王様をともない、客間へと向かい、前回、エルフの森から出て起きたことを彼女に話すことにした。




